私のオリジナル小説「ハル&デイヴィッド」を読んでくださってありがとうございます。
 ここでは、この作品を更に楽しんでいただくために、「ハル&デイヴィッド」をめぐる史実とシェイクスピア作品について解説しています。今回はの第二作「モンマスの祝宴」を受けて、ハルの父ヘンリー四世の即位の経緯と、ホットスパーについて、簡単に書いてみようと思います。…詳しくは、森護氏の著書「英国王室史話」をご参照ください。


 リチャード二世の王位継承者

 リチャード二世というイングランド国王は、父(ブラック・プリンスとして有名な人物)が早く亡くなったため、1377年10歳の時に祖父エドワード三世の後をついで即位しました。
 リチャードは信仰心が厚く、洗練され、教養深い人物でしたが、国王として立ち回るには多少詰めが甘く、思い込みの強い面があり、そしてあまり器用な性質ではなかったようです。そして、父ブラック・プリンスの三番目の弟ランカスター公爵を非常に嫌っていました。どうも公爵はかなりの野心家だったようです。
 ともかくリチャードはどうしてもランカスター公爵の家の人間には王位を継がせないぞ、という「当てつけ」とも言うべき王位継承者の指名をしたのです。指名されたのは、マーチ伯爵ロジャー・モーティマー。モーティマーは、ブラック・プリンスのすぐ下の弟ライオネルの娘の息子だったのです。イングランドは女系への王位継承が認められていましたから、あり得る指名ではありました。
 しかし、上記の説明の面倒さからも分かるとおり、この王位継承者指名には無理がありすぎました。
 何と言っても、継承者指名した時、国王リチャードは18歳、王妃は19歳。子供が生まれるとしたらこれからと言う時だったのです。しかも嫌っているとは言え、リチャードの叔父であるランカスター公爵にはダービー伯爵という息子が居たのです。男系が絶える気配もありません。宮廷の一部の人々にとっては、王家からやや離れたモーティマー伯爵よりも、ランカスター公爵やそのダービー伯爵の方が、まだ後継者に相応しいと思われたのです。

 1399年ランカスター公爵が亡くなると、国王リチャードはその所領を没収してしまいました。ダービー伯爵が怒るのは当然です。おりしも、リチャードはアイルランドに出陣していました。ダービー伯爵はイングランド北部に勢力を持つノーサンバランド伯爵家などの助力を得て、あっという間にリチャードを廃位に追い込み、ヘンリー四世として即位しました。
 ヘンリー四世の即位は、時勢を得るという幸運もありましたし、ランカスター公爵家に組する貴族の存在もプラスになりました。しかし王位継承者が別に居る以上、これは簒奪です。ヘンリー四世の即位は、現実的でも筋が通らかったのです。
 一方、王位継承者に指名されていた方はと言うと、前年に戦死しており、8歳の息子エドマンド・モーティマーに伯爵位と王位継承件が移っていました。彼が即位するとしたら、それは非現実的であっても、筋は通っていたでしょう。しかし、彼は何もしませんでした。

(蛇足 : モーティマー家に正当な王位継承権があるとして、王位を要求するようになったのは、50年以上も後の事です。この頃になると、モーティマー家は男系が絶えて家名はヨーク公爵家になっていました。
 なぜそんな後になってモーティマー家の子孫が王位を要求できたかというと、時の国王ヘンリー六世がかつてのリチャード二世と同じように、父王が早く死んだため幼くして即位し、叔父の絡んだ政権争いで王権が弱体化していたからです。この幼い国王を残して早く死んだ人というのがヘンリー五世な訳ですが、とにかく「ハル&デイヴィッド」よりも大分先のお話です。)





 
ホットスパーとシェイクスピアの「ヘンリー四世第一部」

 「モンマスの祝宴 第二章」にも書きましたが、ヘンリー四世即位に手を貸したノーサンバランド伯爵家は、1403年に謀反を起こしました。簡単に言えばせっかく手を貸して即位させた国王と、上手く行かなくなったからです。さらに国王にとって痛かったのは、ノーサンバランド伯爵家は正当な王位継承権のあるモーティマーと縁が深かった事です。
 具体的には ― これまた込み入っているのですが ― ノーサンバランド伯爵の長男(ホットスパー)が、リチャード二世によって王位継承者に指名されたマーチ伯爵ロジャー・モーティマーの妹と結婚していたのです。
 謀反は、ホットスパーと叔父のウスター伯爵が中心になって起こりました。ヘンリー四世としては、この謀反はなんとしも徹底的に平定しなければなりません。さもなくば、「王位簒奪者」という現実とまともに対峙しなければならなくなるのです。
 ヘンリー四世にとっては幸運な事に、議会は彼を王として承認していました。ですから反乱軍にはあまり味方は集まりませんでした。結局、シュールズベリーの戦いで国王軍が勝利しました。ヘンリー四世の長男,皇太子ヘンリー(もちろんハルの事です)もこの戦いに16歳で出陣しています。
 勇猛果敢な騎士として名を馳せていたホットスパーは戦死しました。

 この戦いの約200年後、ウィリアム・シェイクスピアは「ヘンリー四世」という戯曲を書いています。その第一部は、このホットスパーの謀反とその顛末,それを取り巻く様々な出来事を描いています。この作品で、放埓の王子ハルと、名物男フォールスタッフが登場するわけですが、ここではホットスパーに焦点を当てましょう。
 ホットスパーは史実では謀反を起こした時既に39歳位でした。ですが、シェイクスピアだとどう見てもハルの世代に近い若造です。リチャード二世の後継者指名の経緯を初めて知らされて、ヘンリー四世への怒りが頂点に達するや「椋鳥に『モーティマー』と鳴くように仕込んで、国王に送りつけてやる!」など、とにかく言動が面白すぎます。
 国王は放埓の限りを尽くす息子(もちろんハル)と、ホットスパーを比較して「ホットスパーが息子ならよかった」のような事も言っていますが、どうしてどうして、ホットスパーもかなりのものです。ともあれ、ホットスパーはシェイクスピアの優れた筆致と抜きん出たキャラクター創造で、この「ヘンリー四世」という作品をより輝きのあるものにしたのです。
 戯曲ではホットスパーとハル王子の一騎打ちという美味しいシーンがありますが、これはサービスとでも言うべきもので、史実ではありません。

 私が「ハル&デイヴィッド」の始まりを主役二人が19歳の時から始めたため、既にホットスパーは故人となっておりました。ですから当然生きている人間としては登場しません。そのような訳で「モンマスの祝宴」では話題に上る人として登場しました。
 最近、、ホットスパーの魅力的なキャラクターを再認識し、彼の死後から物語を始めたのが惜しくなりました。


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 ジェーン・フェンダー登場という事で、ひっそりと…
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  「ハル&デイヴィッド」の史実 2  リチャード二世,ヘンリー四世,そしてホットスパー
                           
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