踊る人形

グラナダテレビ製作ドラマシリーズ / 各エピソード別感想

Sherlock Holmes

 謎の暗号解読と、殺人事件。事情聴取と現場検証での新たな事実の発見推理、そして鮮やかな逮捕劇。ホームズの推理を裏付ける供述実と、洒落た落ち。ミステリーに欠かせない要素が上手く詰まった作品。依頼人を救うことが出来なかったという残念な点もあるが、その分後半の展開の上手さが救いとなっている。

 例によって依頼人がベーカー街にやってくる

 ドラマは広大なキュービット邸における夫婦のの庭仕事から始まる。綺麗なイングリッシュ・ローズ・ガーデン。そしてこの作品のテーマ曲となる、イングリッシュ・ホルンの「エルシー・キュービット」が流れる。この印象的な音に関しては、後ほど。
 さて、ハドスン夫人が掃除をしたばかりなのか、綺麗に片付いているベーカー街221bの居間へと、舞台は移る。ホームズはガウンを羽織り、ノートに何事か書き付けている。そして顕微鏡を覗き込み、さも関係ないことをしていそうに見せかけて、いきなり「ワトスン、君南アフリカの金鉱株を買わないね?」と推理結果を言ってワトスンを驚かせる。推理の過程も見事なのだが、気になるのはタイミング。言い出すタイミングをいつにしようかと盛んに見計らっていたらしい。ホームズ自身が「これをいきなり言ったらは驚くだろうな」と確信しているのだ。実際そうなる。依頼も持ち込まれたことだし、要するに上機嫌らしい。前作「ボヘミアの醜聞」とは随分違う。ちなみに、それまでホームズが実験対象にしていたのは…葉巻だろうか?
 さて、依頼人ヒルトン・キュービット氏が来訪。ホームズは自室に飛び込んでガウンを脱ぎ、迎えに出ようとするワトスンに一声掛ける。
「記録をとるために、君も一緒に居てくれよ。」これに対するワトスンの応えは、
" My dear fellow. "
面白い表現だと思う。「まかしとけって!」とでも訳せば良いのだろうか?
 キュービット氏が早速自己紹介と、依頼内容および経緯を説明する。この時、いつもの様にワトスンはメモを取るのだが、使われているのはメモにするには随分立派な装丁の本。しかもおろしたてらしく、ワトスンはギシギシと表紙を鳴らしてから書き始める。どうやら、シリーズ前半(デヴィッド・バーク)のワトスンがそういう指向らしい。それにしても使いにくそうだ。
 キュービット氏は依頼内容を説明し終わり、家へと戻る。ベーカー街では暗号解読を開始。ホームズが「僕の暗号の論文を読んだかい?」と尋ねる。どうやら彼は、暇さえあれば論文を書いているようだ(ドラマの中では、その後「煙草の灰」と「ラッソ(中世の作曲家)」についての論文を書いているらしい)。ホームズが無造作に実験器具の上に論文を置くのだが、それを手に取るかどうしようか、少し思案するワトスンの様子が良い演技。

 更なる暗号と悲劇
 自宅に戻ったキュービット氏。ビクトリア時代の地方の地主の暮らしがよく分かる映りになっている。キュービット氏は、何度も「エルシー」と呼びかける。この名前と、踊る人形に重要な関係がある事を暗示していて、上手い仕掛け。
 夕食後、様子のおかしいエルシーが窓の外に気を取られ、キュービット氏が「外に誰かが居る!」と分かったところで、エルシーは事情を説明するべきだった。私はどうしてもそう思ってしまう。でも、それが出来ないということも、確かにあるのだろう。その場合、大体結果は悪い方に傾く。
 キュービット氏がベイカー街を再訪して、ホームズは氏の発した妻の名前にピンと来る。「エルシー!」こういうシーンは、推理物の重要な箇所。そうして暗号解読に漕ぎ着け、電報を打つホームズ。まだ説明してもらっていないワトスンに、「もしこれがEなら、旗は単語の語尾を意味するんだよ、わかるぅ?」と言い残し、少しニヤリとしてからドアを閉めるホームズ。このシーンの露口氏の吹替えがとても好き。
 エイブ・スレイニーと交渉する為に、庭のベンチに暗号文を隠すエルシー。ちょっとマクベス夫人を髣髴とさせる。この女優ベッツィー・ブラントレーは、シェイクスピアを学ぶためにアメリカからイギリスに来た人だそうだ。
 捜査の最中はいつもそうらしいのだが、ろくに食事もしないホームズ。食べないのなら、食事中のワトスンの目の前にドッシリ(しかも仏頂面&腕組みして)座らなくても良いだろう。食事が不味くなるので、どいてほしい。アメリカからの電報を待って、結局(コカインの誘惑を退けつつ)居間で夜明かしをしたホームズ。しかし来たのはキュービット氏からの新たな暗号。既に解読は出来るので、黒板にメッセージを写し取るや、無言で部屋を飛び出すホームズとワトスン。この手のシーンも、推理物の映画,ドラマには多い。

 鮮やかな推理と解決
 ホームズのキュービット邸来訪は一歩遅く、氏は殺害されていた。担当のマーティン警部は、見た目がドイルっぽい(いや、髪形と髭だけの問題か)。
 とっとと現場を支配下に置くホームズは、警部を引き連れて台所で使用人たちの聴取を始める。この台所、綺麗なのだが、寒そうでなんだか死体置き場みたいだ。聴取でのやりとりは推理小説のお手本。ソンダースがしっかりした女の子である事も、ここでよく分かる。続いて現場での検証。使用人の証言と併せて、火薬の臭い,風,窓,二つの銃声,三つ目の弾丸。これらが綺麗につながる推理と説明の流れは、シリーズ中でもトップクラスの素晴らしい出来だ。厳密かつ科学的にはどうなのかは分からないが、凄く良い。そうして警部やワトスンが感心するにつれて、段々機嫌が良くなるホームズ。余程気分が良かったのか、それとも気が済んだのか、暗号解読の解説はワトスンに任せた。ドラマではざっくり省いたが、原作におけるこの暗号解読の下りは結構面白い。いわゆる「本格派」に登場するような、別に説明してもらっても嬉しくもなんとも無いような暗号ではなく、説明してもらうと「ああ、なるほど!理論的だ!」と思える。日本語訳でも十分面白いが、英語で読むと更に良い。
 「犯人をおびき寄せる」という手は、推理物のクライマックスにおいて、安易に利用されがちだが、このエピソードに関しては安全確実,迅速な展開で、納得がいく。それにしても、ホームズの拳銃はやたらにでかい。リヴォルァーではなさそう。とんでもなく重そうで、携帯するにはちと不都合ではないだろうか?

 イングリッシュ・ホルン

 このエピソードのテーマ曲である「エルシー・キュービット」は、イングリッシュ・ホルンの音色がとても印象的だ。メロディやオーケストレーションは、おそらくドヴォルザークの「新世界から」を意識しているのだろう。エルシーが新世界(=アメリカ)から来た女性であるところに由来しているのではないだろうか。ちなみに、ドヴォルザークの没年は1904年。ホームズの少し先輩と言うことになる。この音楽の場合、アイルランド地方の音楽がアメリカに持ち込まれ、それが逆輸入されたととらえられる。

 さて、美しい音色のイングリッシュ・ホルン。この楽器は簡単に説明すれば「大きなオーボエ」。音域はチェロ及びヴィオラの辺り。しかし名前が奇怪である。どうやらドイツおよびフランスで発達したらしく、イギリス発祥という訳ではない(そもそも、イギリスが音楽先進国であった期間は非常に限られている)。ホルンは金管楽器であり、音を出す原理は唇の振動。一方イングリッシュ・ホルンは二枚リードの正真正銘木管楽器である。なぜこれを「ホルン」と称するのであろうか?
 調べてみると、大抵「名称についてはよく分からない」と書いてある。何せドイツ語ではEnglisches Horn, イタリア語ではComo Ingleseなのだから、本気で「イギリスのホルン」とよばれている。だだ、フランス語の Cor Angla(やはりイギリスのホルンという意味)のAnglaが何かの誤訳ではないかという話も、一つの説として存在する。ホルンに関しては、音域,音の深みがホルンに似ているから,もしくはバロック時代までは少し丸く曲がっていたため、その形状をホルンと表現したのだろうか?

 今回、グラナダ・ホームズのサントラCDのライナーをじろじろ見ていて気づいたのだが、このサントラはなんとロンドンのアビイ・ロード・スタジオで録音されていた。アビイ・ロード・スタジオ!ビートルズが占拠し、アルバム名にもなったため今ではロックの聖地だが、それ以前は(EMIスタジオと称した)クラシックや、映画音楽を主に録音していたらしいので、別に不思議ではないと言った所か。