えの素訪ねて三千里




 ここでは、「えの素」の持つ世界観など、この作品の素晴らしさを解説しています。




えの1:ビジュアル系漫画だ!!

 「えの素」は、はっきり言って「ビジュアル系漫画」だ。それは、読んでいて非常に判りやすいのである。例えば、ゲロを吐く。これが「えの素」だと「ロッパー」といいながら、ゲロを垂れ流す。喜ぶ時には「イエーイ!!」と叫びながら、腕を屈伸させて全身で気持ちを表す。そして顔の表情もとっても豊か。喜怒哀楽がはっきりわかる。他にも、スローモーションで「これでもか!」というくらいに読者に強烈な印象を与えたり、人が死んだら黒くなってしまったり・・・。とにかく、見て読んで判りやすい漫画である。これらは、網膜を通して脳みそを直撃して来る。ですから、各シーンやセリフが残る残る。人間の持つ五感の一つ、「視覚」をフルに使いきって我々に主張してくる漫画、それが「えの素」なのだ。



えの2:時代を先取り!!

 上で書いたような「脳みそに直接訴えかける」という、かつて無かったような手法を取り入れている。これらは、恐らく世界初ではないかと思うくらい。ネタ的にもウンコ・チンコ・ボイン・オナラ・・・と、下品ではある。しかし、それらをワイセツに描くのではなく、爽やかなタッチでサラッと描くんだから尋常ではない。例えば「射精」シーン一つ取っても、「わー」と言いながらかわいらしい「白い子供たち」が登場。チムポだって「ペニー」という、漫画史上初の、一つの人格を持ったチムポだったりする。ウンコもエステが出来たり、ケツから食い物が出て来たり(それもウンコだったという陳腐なオチではない)もする。ただたんに、チムポおっ勃てたり、ウンコぶっ放すだけが能の、そんじょそこらのマンガとは違うのだ。誰の真似もせず、誰も真似できない独自の世界を作り出しているのである。
 つまり、「えの素」は時代の最先端を常に先走る、ブッチギリのトップアスリート。確かにこの作品に、嫌悪感や拒否感を持つ人も多い。だがそれは、この作品についていけないのであろう。既存の価値観を引きずる人達には、難しいかもしれない。いつの時代も新しいものは、拒否されてきたという歴史がある。それゆえに正当に評価されていないところはあるが、間違い無く来るべき21世紀にふさわしい、新しいタイプの漫画であることを、後世の歴史家たちが証言してくれると思う。



えの3:温故知新

 画期的な漫画「えの素」だが、これほど「漫画」という言葉に忠実な作品もない。「漫画」とは、読んで字のごとく「面白い絵」である。つまり、笑えるか笑えないかが、「漫画」であるか否かの基準ともなろう。その点この作品は条件を満たしている。つまり笑ってしまうのだ。まあ、人によっては「笑うしかない」という向きもあるが・・・。そして、「絵」を描いて読者に伝えるのも「漫画」の定義とも言える。だが昨今は、ストーリーで読ませたり、セリフを長々と喋らせて状況を飲みこませようとしたり、「絵」以外のところを売りにする作品が多い。これは大変嘆かわしいことだ。また、挙句の果てには「解説」が無いとオチないという、情けない漫画まで続出する状況は見るに耐えない。恐らく「漫画」の元祖「鳥獣戯画」の作者、鳥羽僧正も草葉の陰で嘆いておられることであろう。だが「えの素」はそんなことはない。毎回手を変え品を変え、セリフ・解説一切無しでも楽しい一時を提供してくれる、良質の漫画である。セリフは短いから記憶に残るし、絶妙のコマ割で各シーンも記憶に残る。そして、作中に「時間」の概念を持ち込むことにより、コマ間の動きが、我々の空想の中でキッチリ繋がってくるのだ。
 古来の漫画にもあい通じ、それでいて新しい・・・。この一見矛盾するかのような、大きなテーマを併せ持つ「えの素」は、「THE MANGA」の称号を与えてもいいのではないか? と思うような素晴らしい作品なのである。



結論

読め、買え、そして噛み締めろ。
フロンティアがそこにある!!