時 代 祭 り


1022日、京都三大祭りの一つ「時代祭」が行われます。

祭りでは、明治維新から平安時代まで、時代を彩った人物たちに扮した一行が都大路を練り歩き、
行列は
20列で、約2000人、70頭を超える牛馬などで構成され、全長は約2キロにも及ぶ大行列です。

衣装や調度品、祭具は、京都の工匠や染色の識者が考証や研究を重ね、現代によみがえらせたもので、
行列に参加する参加者は、数カ月も前から各学区の小学校などで隊列や着付けの練習に入るそうです。

時代祭は今も平安神宮の信者の組織として、京都市民によって構成される「平安講社」によって運営されています。
各時代の行列は市内各地区に振り当てられているので、他の葵祭りや祇園祭と違って、市民による祭りともいえるでしょう。


行列の主役たち

明治維新から始まり、時代を逆戻りして平安遷都までの歴史絵巻を再現しています。
歴史の教科書に出てくるさまざまな人物が、次々に登場します。


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先導及び先達

行列を案内するのが先導及び先達です。この中には一般市民から選ばれた未婚の着物姿の女性も歩きます。

明治維新時代

維新勤王隊列

維新の際、現在の京都市右京区京北の有志が山国隊を組織して、官軍に参加した当時の行装を模しています。

鼓笛隊 錦旗 隊長

江 戸 時 代

徳川城使上洛列

徳川幕府は大礼や年始などの際には必ず城使を上洛させ、皇室に対し礼を厚くしました。

城使には親藩または譜代の諸候が選ばれ、行列の先頭を行く槍(やり)持、傘持、鋏箱(はさみばこ)の「ヒーサー」の掛け声や動作は、当時の行列の面影をしのばせます。



江戸時代婦人列
和宮

仁孝天皇の第八皇女。14代将軍・徳川家茂の正室になる。
江戸無血開城に隠れた功績があった。
吉野太夫

京の遊里・六条三筋町(島原の前身)の太夫。
書画や和歌などに優れていて、後に灰屋紹益の妻となった。
信仰心があつく、常照寺に山門を寄進した。

東山・八坂神社南門近くにあった水茶屋「松屋」のおかみ。
池大雅の妻・玉瀾の祖母にあたる。歌集「梶の葉」を編んだ。

出雲阿国

阿国歌舞伎の創始者。
京都で念仏踊を披露して人気を集めた。

安土桃山時代

豊公参朝列

豊臣家の朝廷参上のうち、1596(慶長元)年5月の秀頼の初参内と、翌年9月の元服時の参内などは最も盛んであったと伝えられている。列はそれを表したものです。

 

織田公上洛列

1568(永禄11)年9月、天下統一のため織田信長が兵を率いて上洛した時の様子を表した。
信長のほか、重臣の羽柴秀吉や柴田勝家なども登場する。
羽柴秀吉 旗と馬印 織田信長 滝川一益 柴田勝家

吉 野 時 代

楠公上洛列

1331(元弘元)年、後醍醐天皇の上洛を導いた楠木正成一族の行列を表す。
正成は後醍醐天皇に応じて兵を挙げ、大阪・千早城にこもって幕府の大軍と戦い、建武政権下で河内の国司と守護を兼ね、和泉の守護ともなった。
正成(
12941336)はその後、九州から東上した足利尊氏の軍と戦い、湊川(神戸市)で敗死した。

中 世 婦 人 列
淀君
豊臣秀吉の側室。母は信長の妹・お市の方。
秀吉の子・秀頼を生み、秀吉の没後は秀頼を擁して大坂城で実権を握ったが、大坂夏の陣で落城の際、自刃した。
静御前
源義経の側女。義経と吉野で別れた後、捕えられて鎌倉に送られ、源頼朝夫妻の前で義経恋慕の舞を演じた。
後に、能の「吉野静」「二人静」などの題材となった。
大原女(おはらめ)
洛北・大原の女性は、大原女として、薪や炭などを頭に乗せて京の町へ行商に出ていた。
桂女(かつらめ)
京都・桂の里に住むアユ売りの商人を指す。白い布を頭に巻いてアユやあめなどを売り歩いた。
巫女(みこ)の一種でもあり、婚礼や出産など、家の祝い事に訪れた。

藤 原 時 代

平 安 時 代 婦 人 列
巴御前(ともえごぜん) 
源義仲の側女。平安末期、武将として奮戦し、義仲に最後まで連れ添った。

紫式部(むらさきしきぶ) 
平安中期、「源氏物語」を著した。一条天皇の中宮彰子に仕え、「紫式部日記」「紫式部集」も残した。

清少納言(せいしょうなごん) 
平安中期の随筆家・歌人。和漢の学問に通じ、「枕草子」を著した。

和気広虫 
和気清麻呂公の姉で、法均尼といい、慈悲深く多くの孤児を養育しました。
これが孤児院の起源といわれています。
百済王明信 
女官では最高位の従三位。百済王敬福の孫。李白の子供です。

延 暦 時 代

延暦武官行進列
この列の大将に当たるのは坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ 758811

平安初期の武将で征夷大将軍となり、蝦夷(えぞ)征討に大功があった。
また、京都の清水寺を建立した。

前  列

御神幸列の前を行くので前列といわれ、雅楽の奏者、迦陵頻伽、胡蝶など優美な行列で多数の狩装束のお供が従う。

 

神 幸 列

御賢木(おんさかき)を先頭に、御鳳輦(ごほうれん)を中心とする神幸の本列。
先の御鳳輦が孝明天皇、後の御鳳輦が桓武天皇で、宮司以下神職が前後につき従う。

 

白川女献花列

白川女(しらかわめ)は北白川(現在の京都市左京区)の女性で、
比叡山のすそ野、白川に広がる花畑の花を京で売り歩く。

平安時代からいたそうです。
昭和43年から献花奉仕列として行進を認められた。

 

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