湖国三大祭り(山王祭、長浜曳山とともに湖国三大祭)の一つに数えられている大津祭りを見てきました。
華麗な13基の曳山(山車)が巡行する祭りです。
京都の祇園祭の小型版とも言う人もいますが、華麗に飾られた曳山が3輪形式であったり、
町内各所で巧妙なからくりがあったり、ちまき投げがあったりetc.と、親しみやすく、大津祭独特の味わいがいっぱいです。
大津祭の歴史
大津市の天孫(てんそん)神社の例祭です。江戸時代初頭から行われていた祭礼で、県の無形民俗文化財に指定されています。
江戸時代初め、鍛冶屋町の塩売治兵衛が狸の面をかぶって踊ったのが始まりとされ、
やがて年老いた治兵衛のかわりに、腹鼓を打つ狸のからくりをのせた屋台を引き回すこととなった。
寛永十五年(1638年)には、現在の曳山の原型となる三輪の曳山を作り、それが曳山として発展しました。
以降、大津の豊かな経済力を背景に、次々と曳山が創建され、
安永五年(一七七六年)の月宮殿山を最後に14基(現存は13基)の曳山が出そろうことになりました。
本祭当日には、ゴブラン織りや精巧な金具に飾られた、豪華絢爛な13基の曳山巡行がありますが、
大津祭りの特色の一つは,それぞれの曳山に載せられた「からくり人形」です。
からくりの題材は中国の故事や能・狂言からとったものとされ,
巡行中に所定の場所(=所望(しょもう)で沿道の見物人に披露されます。
コンコンチキチンの囃子とともに、所望場所で巧妙なからくりを演じながら巡行します。
また丸屋町の大津祭曳山展示館では、実物大模型の西王母山が常時展示され、祭り映像などが見れます。
曳 山 の 写 真
西 行 桜 狸 山 | ||
狸は屋上に乗せられて祭の先導とも守護とも見られるようになり、祭日の天気を守ることになった。 所望は、花の中から仙人が現れて西行法師と問答する。 |
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商店街を巡行する山車 | 所 望 | 屋根上の狸 |
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西 王 母 山 | ||
所望は桃が二つに割れその中から童子が生まれる。崑崙山にすむ西王母の長寿伝説に桃太郎の説話を加味したもの。 |
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月 宮 殿 山 | |
謡曲の鶴亀(喜多流では月宮殿)にちなんだもので、唐の皇帝が不老門に立って、美しく立派な前庭で春を祝う会を催され、 所望は、頭上に鶴と亀の冠りをつけた男女の舞人が皇帝の前で舞うところ。 |
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石 橋 山 |
能楽の石橋に因む。 所望は天台山の岩から唐獅子が現れ牡丹の花に舞い戯れる様を表す |
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湯 立 山 |
天孫神社の湯立ての神事はこの山から捧げるといい、山の建物は拝殿をかたどり、周りはその廻廊を真似たものである。 所望は禰宜がお払いをし、市殿が笹で湯を奉り、巫女が神楽を奏する。 この所作から「おちゃんぽ山」の愛称がある。 昔からこの湯をかけられたものは五穀成就、病気平穏、商売繁盛など縁起が良いという。 |
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猩 々 山 |
能楽の「猩々」から考案したもので、むかし唐の国の揚子の里に住む高風という親孝行なものがいた。 所望は高風の勺で猩々が、大盃で酒を飲むところを現している。 |
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西 宮 蛭 子 山 |
古くから西宮の蛭子(えびす)を出して飾り、祀っていたが、後に曳山に乗せるようになった。 |
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源 氏 山 | |
紫式部が石山寺において「源氏物語」を書いた故事に因んだもの。 所望は石山をかたどった岩の中から、潮汲み馬、御所車、かさ持ち、木履持ちなどが現れては消えていく。 俗に「紫式部山」とも呼ばれる。 |
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龍 門 滝 山 |
見送り幕「トロイアの陥落図」はゴブラン織りで重要文化財に指定されている。 支倉常長が貰ったタペストリーは5枚あった。 |
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見返り幕の一部が見えますが、この見かえり幕が山車の特徴です。 |