イタリア旅行記

           

      2001.8.16 〜 8.25

イタリア旅行 日程

8月16日() 東京 → ロンドン → ミラノ

8月17日() ミラノ&ベローナ観光

8月18日() ヴェネチア観光

8月19日() ピサ&フィレンツェ観光

8月20日() シエナ&アッシジ観光

8月21日() ポンペイ&ナポリ観光

8月22日() カプリ島&ローマ観光

8月23日() ローマ市内観光

8月24日・25日 ローマ → ミラノ → 東京

 

 

 

 

 

 

 

 8月16日  日本脱出(東京−ロンドン−ミラノ)

  いよいよ待望のイタリア旅行の出発です。暑い日本から脱出できるかな?      どんな楽しみが待っているのかワクワクですね。

 

  新宿から「成田エクスプレス9号」8時3分でいざ出発。ところがこれが「成田エクスプレス9号・9号車・9番」という座席。何かいきなり悪い予感、大丈夫かななんてやや不安を感じつついざ新宿を出発しました。

    

   東京駅をすぎていよいよ次の停車駅は成田空港・・・と思っていたら急に途中駅・船橋で停車。「こんなとこ止まらんのになあ」と思っていたらいきなり駅員が入ってきて「人身事故のためこれから先の運転を中止」あわてて京成電鉄に乗り換えです。これが重い荷物を持って、いや引きずって10分も歩いて乗り換えるハメに。      悪い予感1つ的中

     

   こんなスタートから、ようやく12時発のJAL401便でまずロンドンへ。機中での話。座席がちょうど非常口のところで前があいていてゆったり座れて最高でした。

  ところが横が乗務員の待機場所。ロシアの上空で北極海のすごい景色を見ている途中(北極海にはまだ氷の固まりがありました。)、何か横のスチュワーデス(今はキャビンアテンダントだそうですが)がカーテンを閉めてバタバタ。

 

何かイヤな予感がしていたら機内放送です。「この機内にお医者様か、看護婦さんはいませんか」、初めてこんな場面に遭遇しました。 そういえば外国の女性が横になっていたなあ。でもこの人は無事だったそうです。よかったね。

  やや悪い予感2つ目的中

     

  ロンドンに12時間かかって到着。ミラノ行きの便は待ち時間4時間。

 ところがイギリスのポンドを持っておらず、どうしよう。お腹もすくし・・・

よっしゃカードで何とかしよ。やりましたよ。わずか600円のサンドウィッチをカードで購入。いままでの使用額(カードでの)の最低額でした。きっとかかる経費の方が高いのでは・・・

 

    ロンドンからミラノへ向けて出発。そしていよいよイタリア・ミラノ

  到着が現地時間の夜11時(日本時間・朝6時)早くホテルで睡眠だ。でもダメでした。グループの中で荷物が到着しない人が3人も。途中経由地のある便ではよくあるとは聞いていましたが今回にぶつかるとはね・・・その手続きでホテル到着が12時30分。もう1日目でくたくた。

 悪い予感3つ目的中(もうないでしょうね。)

 

   日本をでてちょうど24時間・この間軽食も含め食事すること7回きっと太って帰るでしょう。

   

 

 8月17日 ミラノ及びベローナ観光

   いよいよ観光初日・どんな感動に出会うか、おいしいものを食べられるか楽しみですね。8時30分ホテル出発・いざバスへ。

 

ところがこれが雨・・まだ昨日の悪い運勢を引きずっているのか、少しがっかりしていました。でもこれがバスで出発したら天気になりました。悪い運勢は昨日でサヨナラ(傘はこの後日傘になりました)。

さあ見るぞ!イタリアはすべて街中に観光バスは入れず、徒歩での移動です。がんばるぞ!

 

   最初の観光地がいきなり今回のハイライトの一つ、サンタマリア・デレ・グラッツェ教会、そう「レオナルド・ダ・ビンチの最後の晩餐」の壁画がある教会です。

 

教科書でしか見たことのないこの絵を見て感動の第1歩でした。「すばらしい」の言葉がありふれていますがそう表現するしかありません。ここの食堂の壁に直接描かれたこのダ・ヴィンチの最高傑作といわれるこの絵画は、キリストが12人の弟子達に「汝等の中に一人、我を売らん」といった瞬間の弟子達の驚愕と動揺が生き生きと捉えられています。

 

 ガイドさんの説明ではレオナルドは誰が「ユダ」かわかるように描いてあるそうですが誰かわかりますか?よくわかりませんでしたが、説明を聞いて納得。ひとりだけ顔に光が当たってないそうです。捜してみましょう。 

 ここの鑑賞は事前の申し込みにより、20人ぐらいのグループごとおこなっており、15分すると追い出されます。もっと見ていたかったな!

    

 

ここでイタリア小知識・・・・レオナルド・ダ・ヴィンチとはヴィンチ村のレオナルドという意味だそうです。おもしろいですね。

 

  ガイドさんについて歩いて、スカラ座広場まで。
18世紀のスカラ座は思ってたより古くくすんでいる感じでしたが、すかさずガイドの一言「もちろん中は豪華絢爛です」。

広場のミケランジェロの像の前でパチリ! 

 

 それからエマニュエーレ2世通り・19世紀完成の十字型アーケード。

 天井はガラスと鉄のドーム、床にはモザイクと大理石が敷き詰められています。アーケードの下には3階建ての石造りの建物が連なっています。古い作りの中に2階・3階は住居として使われていますが、1階は優雅なカフェやブティックばかり。ただ今イタリアはバカンスの真っ最中でお店はほとんどクローズでした。1ヶ月しっかりお休みとのこと。日本とはえらい違いやね。

 


 ここでイタリア小知識・・・バカンス用の経費は税金から控除されるそうです。うらやましいね。・・

 

 

  次は「ドゥオモ」・イタリア・ゴシック建築の最高傑作の大聖堂・1300年の着工から完成まで500年かかったそうです。

 

外装は2245体の聖者と135本の小尖塔で飾れており一番高いところは5階建てです。小尖塔が天に向かってぎっしりのびており、これはいったいどうやって作ったのか考えると、感動の一瞬でした。

 

中のステンドグラスの素晴らしさにも眼を見張るばかりです。一つ一つのグラスが聖書の教えを表しており、字を読めない人にもわかるようにしてありました。その後、屋根の上がり(エレベーターと階段で上がれるようになっていました)ミラノの街を一望。ただ一番高いところに4メートルのマリア像がありましたが、これだけが金ぴか。やや残念でしたね。でもこんなものがこれからも行く先々で見られるのかと思えばワクワクですね。

 

 

 

 ここで昼食タイム。今回の旅行にはすべて食事がセットされているので自分で選ぶ苦労はないのですが、おいしいものを食べられるのでしょうか?

   

レストランまで歩いて移動。ついたら添乗員さんからの説明で今日のメニューは「1皿目がミラノ風リゾット、2皿目がポークカツレツ、そしてデザートです」ちょっとまてよ。事前の案内ではここでは「ミラノ風カツレツ」そう牛肉のはずでは・・・

 

 しかし今回の旅行ではいっさい牛肉なし。例の狂牛病騒ぎで牛が食べられないとのことです。残念・・・・飲み物は各自の注文で、自己精算とのこと。(今は大丈夫だそうですね)

 

水が4000リラ程度、ビール・コーラ類は8000リラ程度、ワインはハーフボトルで10000リラ程度でした。リラは1000リラが日本円で70円程度(円からリラへ換金する場合のレート)なんで幾らぐらいか換算しきり。最後までこの換算には手こずりました。今回はとにかくワインとビールでいこうと決心していたので、すかさず「ビーネ・ビアンコ」。(白ワインをイタリア語で)(現在はリラからユーロに変わっています)

   

 午後からはヴェネチアへの移動。途中でヴェローナの見学です。ミラノから1時間半で到着。

ヴェローナは古代の野外劇場アレーナが現存しておりここで行われる野外オペラが有名だそうです。

日本人にはあまりなじみがないところですが、14世紀頃の城塞があったり、古代ローマの石畳がそのまま残っていたりで外国の観光客がとても多く、人でいっぱいでした。

      

   

 ここでのハイライトは「ジュリエッタの家」そうロミオとジュリエットの舞台です。ここまで歩いてくる途中、ロミオの家の前(そうらしいといわれているそうです。確証はなしとのこと)を通って、ジュリエッタの家です。そう広くありませんが、あの有名な場面のバルコニーもしっかりありました。前庭にはジュリエッタの像があり、観光客のカメラ位置の取り合いでした。

 

 右の乳房を触ると女性には幸福が授かるとか、でここだけピカピカに光っていました。

でも添乗員から、ここは一番スリの多いところなんで、写真とる間もしっかりバッグを抑えておくように注意されていたので大変です。左手でバッグ抱えながら、右手で写真を撮ってすぐ退散です。     

    

 ここでイタリア小知識・・・今イタリアは不景気な上に東欧からの難民と昔からのジプシーとでスリ・かっぱらいが多く治安が悪くて大変です。

 

 その後1時間半でヴェネチア(ヴェニス)到着。ホテルはヴェネチアの島側ではなく、本土・メストレ側にありました。

 

8時半からのホテルでの夕食は「スパゲッティ・トマトソース」「サーモン」「デザート」です。でもサーモンのグリルの味が薄く、量が少ないためみんなから不評でした。でもいいや、しっかりイタリアビールとワインを飲んだから。あとは明日に備えてしっかり寝ましょう。おやすみなさい・・・・今回はすべてのホテルにバスタブが着いているのでやや安心です。

  

   ここでイタリア小知識・・・ヨーロッパのホテルは4つ星でもシャワーだけの所もあるそうです。3っ星以下ではまずシャワーだけです。旅行される場合は注意してね。

 

 

 

 

8月18日  ヴェネチア(英語表記ではヴェニス)観光

  大小100以上の人工島や自然の島からなるヴェネチア、交通手段は島には車・バスが入れず、運河を使った水上バス、ゴンドラ。タクシーもここではモーターボートを使った水上タクシー、こんな都市を16世紀に作り上げていたヴェネチア共和国はすごく繁栄した都市だったんでしょうね。

 

   朝7時40分ホテル出発。今日の朝食はハムがついた食事でした。イタリアの朝食はパンとコーヒーだけの場合が多いようですが今日はハムがついていたよ。ラッキー・・・ これ以降ホテルでの朝食はハム付き・ハムとチーズ付き、卵付きとバラエティに富んでいました。

 

 本島には波止場から船で上陸。船上から見るヴェネチアの様子はまさにテレビや写真で見ていた通りの中世の街、教会や高い塔が林立していて、いよいよこれから中世に乗り込む心境ですね。

 

今度オープンしたディズニーシーに、ここをまねて作ったアトラクション地域があります。イタリア気分を味わってみてはいかが・・・港の例のゴンドラを見ながらサンマルコ広場に到着。ここでガイドさんと合流。

 

 

ここでイタリア小知識・・・イタリアでは観光地では必ず現地ガイドがつくことが必要で、これに違反すると添乗員が逮捕されるとか・・・今回もすべての観光地に現地ガイド(イタリア人や日本人)がおり対応してくれました。ただ1ヶ所(ポンペイ)だけ日本語の出来るガイドがおらず、小さな声で添乗員がガイドの英語を通訳する場面も・・・・

 

 ここヴェネチアのガイドは典型的なイタリア男性。若い女性には異様にやさしく、声をかけるときも肩を持って耳元でささやくように。ナンパしているんとちゃうぞ。 でも日本語とその知識は大したものでした。若い日本人が知らないような古い日本の言葉や風習を知っておりこいついったい何者かと思いました。

 

                    

 最初はドゥカール宮殿「共和国時代の総督の宮殿・役所・裁判所・そして運河を挟んで、隣は監獄」すべての部屋に16世紀のヴェネチア派の絵画が飾られており、それぞれの天井画や壁画は今でも色鮮やかに輝いています。

 

  

  橋を渡って隣が監獄。橋と言っても壁と屋根で被われた橋で、囚人にとって裁判所で判決を言い渡され、この橋を渡って隣の監獄に連れて行かれる途中に、この橋の窓から見える光が囚人ひとって最後の明かりだそうです。

従ってこの橋の名が、「ため息の橋」。うまいというか、悲しいネーミングですよね。確かにこの監獄も見学しましたがいっさい光は入らず、たいまつの明かりだけだそうです。もちろん我々が見学する今は、電球が完備されていますが。・・・

 

 



そしてサンマルコ寺院。聖マルコの遺骸を祭るために建立されたもので、11世紀の完成。内部は床にも壁にも大理石のモザイクで輝いています。壁には金箔のモザイクが施してあり、今でも美しい色がそのままです。

 

  

ここでお店の見学です。あの有名なヴェネチアングラスの工房。20歳ぐらいの若い職人さんがきて、ガラス製作の実演です。説明ではうちの工房の先生です。おい嘘つくなよ、そんな若いやつが・・・でも後で聞くと、今27歳で4歳のころから父親に教わっていてもう23年やっているそうです。そういう制度もあり職人は大事にされているとのこと。日本でも見習う必要がありそうですね。

 

 その後おきまりの買い物です。ヴェネチアングラスの本物はこうですよとか、本物にはこんなシールがありますとか、ここでは本物のグラスが買えますとか・・・・でもさすがにいいものがありましたが、ここでこんなものを買っちゃうとどうやって日本までもって帰れちゅうねん。

 

やめて時計とネックレスで手をうちました。本当は有名なヴェネチアの仮面も欲しかったんですが(有名な仮面舞踏会に出てくるような仮面)これも持ち運びの点から購入せず。ここを最後の日にしてもらってればね。

   

 

外にでて自由時間、一番先に町のシンボルでもある96メートルの大鐘楼に昇りました。ここからヴェネチアの町が一望でき14・15世紀はこんな感じの町だったのかを実感しました。

 





そしてここから10分ほど歩いてリアルト橋まで散策です。でもほんとはびくびく。地図もなく案内板があるよの一言で捜しながら行きましたが結構何とかなるもんですね。この橋は13世紀の橋で橋の上に屋根がかかっており、ふつうに建物が建っていて、みんなお店になっています。ヨーロッパにはこんな感じの橋が多いですね。

 

 
島のレストランで昼食。「イカスミのスパゲッティー」「舌平目のムニエル」
    「デザート」結構いけました。イカスミではみんなおきまりのお歯黒状態。

 ただついてくるサラダが野菜をボール一杯入れて勝手にどうぞ状態。もう少し繊細さはないのか!

 

 食後はお目当てのゴンドラクルーズ。写真なんかでは優雅に2人で乗って歌でも聴きながらのようですが、今回は団体・6人ずつ乗って運河巡りです。

 でもさすが船頭、狭い水路を器用にぶつけずに操船します。歌はなしでしたが雰囲気だけは十分味わえましたよ。

 

この運河に面して、直接各家の玄関があり、船からすぐ家には入れます。でも運河の臭いがやや鼻についてちょっと興ざめ。聞けば生活用水もここにそのまま流してるとのこと、みんなで落ちたら大変だよねなんて話に・・・最後降りるときにおきまりのチップの要求。何でもチップの世界なんでなれないと大変です。

   

 最近は地球温暖化の影響もあり、すぐ水がこの広場に上がるそうです。そういえばテレビニュースで、ここの水位が上がりサン・マルコ広場が水浸しになって、板を渡して歩いている様子が放送されたことがありましたね。冬になるとよく水位が上がるとか。このシーズンに行く人は長靴持参ですね。

 

 
今日の観光はこれまで。これから次の都市フィレンツェまで移動です。約4時間、300キロの行程。途中サービスエリアでトイレ休憩。イタリアのトイレ事情を話せば、この国ではどこでもトイレが使えるとは限らず、旅行者にとってはどこでトイレを見つけておくかが大変です。

 

ちょっと借りるという訳にはいかず、食事したレストランとか美術館とかの公共場所でしっかり済ませておかないと見つけるのに大変です。こういうサービスエリアなんかではまずトイレ、ついで休憩です。

 

 ここでイタリア小知識・・・ちなみにこういう場合のチップは500リラから1000リラ、入り口におばさんがいて渡さないと入れません。

 

   フィレンツェの近くでお店によってトイレ兼買い物。ついワインとチーズに手がいって・・・・後から反省。こんな重いものを今頃から買い込んだら後が大変でした。

 

 食事はホテル到着前に済ませるとのことでどんなレストランかと思えば、他のホテルの食堂、それも他にも日本人のグループがいて日本みたいな雰囲気でした。これも今はバカンスの時期なんで開いているレストランが限定されているとか。

 

 メニューは「ターキー」「スープ(ミネストローネ)」「デザート」。

初めての「ターキー」七面鳥です。どんな料理かと興味津々・・・でも常に期待は裏切られるものです。でてきたものはまるで「ハムそのもの」みんなでなんじゃこれ・・・・デザートはプリンがでました。

 

イタリアのプリンはどんな味でしょうか?まるでグリコのカップに入ったプッチンプリン(商品名はわかりませんが、うちではこう呼んでいます。)と、同じような味でしたよ。もちろん全部がこうではないんでしょうが・・・それでもなんとか8時半にホテル到着。今日からはここで連泊です。おやすみなさい。

 

  ミラノに到着せず行方不明のバッグ・所在は確認できましたが、いまだ所有者の元に届かず。

 

 

 

 8月19日 ピサ及びフィレンツェ観光

  ホテルで「ハム・チーズ・クロワッサン」の豪華な(?)朝食を済ませ8時出発。今日はこのホテルに連泊なのでバック出し(荷物だし)はなし。手軽な格好で出発です。ピサの斜塔は本当にどんなに傾いているんだろうか楽しみですね。

 

 でもその前にフィレンツェの景色が一望できるミケランジェロ広場に上ってその街並みを見ました。「わあーすてき」みんな一度に歓声です。



おもちゃの町のようです。本当に絵はがきのようにそろった町・茶色一色の屋根と外壁が目の前に広がって写真・写真の連続です。聞けば、法律で家を建てたり改修したりするときは色が決められているとか。日本も京都あたりはそうしないとあの京都タワーみたいなのがいっぱい出来そうですね。

 


ここから約2時間かけて、ピサに到着です。

 例によってバスは郊外のポイントで下車。ここから街のシャトルバスで斜塔地区に移動です。

 

トイレを済ませいざ出発。でもその前にまた注意・・・

特にここはジプシーが多くくれぐれも貴重品には注意してくださいとのこと。  「鞄は前でかかえ、背中に回さないように。ガイドが前、添乗員が後ろ、ジプシーが接近したら警報を出しますから。・・」まるで戦闘訓練のようでした。

 

  城塞に囲まれた地区にはいると、まず目に飛び込んできたのが写真でよく見るあのピサの斜塔。おいおい、ほんとに傾いて建ってるよ。このまま倒れてしまわないのかな。みんな撮っています。そう、斜塔を支えるアングルの写真。俺も撮ろう!!(でも帰ってから写真を見ると失敗でした。難しいね)

 

  

 この日は日曜日だったんで「ドゥオモ」(教会)では実際にミサが行われており、ガリレオがその揺れを見て「振り子の原理」を発見したというランプが見れませんでした。

この斜塔は今年まで、日本の企業も参加して転倒防止の工事がされていて、やや傾きが戻ったそうです。なんとか町では中に入って見学できるようにしたいそうですが、ユネスコが反対しているそうです。  どうやってあの傾いている斜塔に昇るのか興味ありですね。

 

 

ここも日本の観光地同様、物売りの店がいっぱいです。とくにアフリカの黒人達がいっぱいでやや異様です。帰り際には警報発令です。「皆さん、ジプシーの親子が近づいてきますから注意して。離れないようにね」

そこまでする必要があるんでしょうかね・・・・なんて思っていたら、後日、一緒になったJTBのグループでおじいさんがここで被害にあったそうです。5人ぐらいのグループできて周りを取り囲んで、鞄を強引に開けてお金を盗っていったとのことでした。  恐いですね。

 

 
見学後再びフィレンツェの街へバック。昼食は「中華料理」。一品一品はどうということのない麻婆豆腐や春巻きなどでしたが、品数いっぱい・なんと言ってもウーロン茶が無料でお代わり自由。みんな久しぶりにお腹いっぱいいただき、満足しました。やはり日本人やね・・いやアジア人やね。

 

  食後いよいよフィレンツェの観光・お目当てはウフィッツィ美術館です。

 

  その前にまずはこの地区の「ドゥオモ」(正式名称はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂という長い名前です)見学。

15世紀に完成されたこの大聖堂は高さ107メートルという高いクーポラ(教会の祭壇のある一番高いところ・ドーム状になっています)をもち、ステンドグラスやフレスコ画(壁画の技法で、壁のしっくいに直接描いてある絵)で飾られています。ここは駆け足で終えて、いよいよウフィッツィ美術館です。

 

  

ここウフィッツィ美術館は、ルネッサンス絵画の集大成といえる美術館です。こよなく芸術を愛したこの地の当主「メディチ家」の膨大な美術品を収蔵しています。

 このメディチ家の歴代当主はそれまで「職人」としてしか扱われなかった建築家・画家・彫刻家達を「芸術家」として処遇し、15世紀のフィレンツェを舞台にしたルネッサンス運動に多大の貢献をしたそうです。当時まだ少年だったミケランジェロの才能に気づきいち早く保護したのもこのメディチ家だそうです。

 

   いっぱい美術品がありすぎてとてもすべてを見ることは出来ませんので、ガイドの案内に従って有名な、そして日本人にもなじみのあるものだけの見学でした。



ボッティチェッリ
の「ヴィーナスの誕生」「春」、

レオナルド・ダ  ・ビンチの「東方3賢王の礼拝」、

ラファエロの「ひわの聖母」、

ミケランジェロの「聖家族」などとてもすばらしく、心洗われるひとときでした。

 

本物を直接、目前でゆっくり見られるなんて、本当にぜいたくですね。そのほかティントレットティツィアーノなどの絵画や彫刻が飾ってありとても全部見るには1日でも無理のようです。

 

 
すばらしい美術品を見て、この後バスまで歩いて移動。

これが例によって市街地まで入れないため約20分以上歩くハメに・・・でも今日はいっぱい歩きましたが見どころが多く楽しい一日でした。

 

ホテルへの途中またまた買い物ですね。ここフィレンツェは革工芸の有名なところ、そうハンドバックですね。しっかりお買い物をして、支払いは日本円でもいいとか。というよりカードやイタリアリラよりその方が割引率がいいそうなので、さっそくお腹に巻いた隠しもの入れからあわてて円を出しての支払いでした。恥ずかしい限りですが、回りの日本人もみんな一緒でしたよ。

 

  7時40分ホテル到着。食事は「マッシュルームソースのスパゲッティ・鶏肉のグリル・デザート」です。イタリアで感じるのはどうも鶏肉の料理がまずいことです。 胸肉を使っているせいかパサパサして大味なうえに、何のソースもかかっておらず、塩味だけでダメですね。ワイン・ビールをしっかり飲んで・・・・最後のデザートでどうしよう(?)です。

 

すいかがでてきました。「おーすいかだ!」イタリアで初めてスイカに遭遇です。でもテーブルにあるのはナイフとホーク、これで食べるんかいな・・・しっかりみんないただきましたが、やはりすいかは手でもって直接食べる方がおいしいですね。

 

 今回のグループは総勢26名、家族連れが2組・独身女性のグループが2組・おばさん組が1組・それ以外は夫婦連れです。これだけいれば酒好きがいるのは当然ですね。やっと気心が知れてきたところでワインと生ハムで小宴会になりました。まあいいでしょうね。すこしぐらいなら・・・

 

   今日は歴史的な建築物と教科書で見たことのあった絵画を見て感激・最高の一日でした。ガイドブックもしっかり買いこんだし、日本に帰ったらしっかり勉強しましょう。おやすみなさい・・・そうそうやっとバックが手元についたそうです。今日までどうしていたんでしょうかね?よかった・よかった。

 

 

 

 

 

 8月20日 シエナ及びアッシジ観光

 今日はフィレンツェから途中観光しながら一気にローマの南・ポメツィアまで南下します。出発は7時45分。早く荷物を出して朝食をとらなきゃね。  でもこのとき、ひと騒動でした。

 

 朝早くの食事なんでホテル側も準備がバタバタしているところに、中国の観光団・中央電視台旅行会社とバスにあったのでおそらくは中国本土からの観光客だったんでしょうが、我々8名が円卓で食事していると、いきなり横から中国人のおばさんが、ホーク片手にあらわれ、我々のテーブルにあるクロワッサンをそのフォークでブスリ。

 

そのまま持っていこうとするではありませんか。一同あ然。なにすんねん・このおばちゃん。横からうちのグループの若い女性が「これはちがうよ。うち達のやつ。」ダメ!ダメ!もちろんこっちは日本語。でも何とかなるもんですね。おばちゃん回りを見渡してから平然とおいていきましたよ。人のものでも平気で手を出してくるんですから、やっぱり彼らにはかなわんね、というのがみんなの感想。華僑は強いはずですね・・・

 

 フィレンツェ出発から2時間で独自の中世文化を誇ったシエナの街に到着です。

ここは11世紀頃から繁栄を極め、隣接するフィレンツェに対抗して独自の文化を培ってきたそうです。

 

 町は中世の面影がそのまま残っており、裏道に一歩はいると自分までが中世にいるような感じがします。

石造りの町並み・華麗なドゥオモ貝殻の形をしたカンポ広場など中世の町の素晴らしさが満喫できます。

ここのドゥオモは、下の部分がロマネスク様式で、後から作られた上の部分が後期ゴシック様式という二つの様式が見事に調和していて最高です。また内部は差し込む光と、白と黒の大理石で作られた柱で神秘的な雰囲気を漂わせています。

    大理石をふんだんに使った繊細なハメ絵の床装飾は一見の価値ありです。

 

   カンポ広場は緩やかに傾斜してちょうど真珠貝のような形の広場です。行ったときは4日前に行われたパリオ(裸馬でこの広場を走り回って競争するお祭り)のためまかれた砂を水で洗い流しているところでした。

 

その雰囲気もちょっとだけ経験です。残念だったのはここの名物・マンジャの塔に登れなかったことです。階段500段で88メートルの塔ですが、昨日から絶対がんばってのぼるぞ!と思っていたのですが、狭いため時間制で上げているとか。集合時間に遅れるためやむなく中止!

 

  ここで問題発生。それまで水には注意して常にミネラルウオーターを飲んでいたのですが、基本的にはここの水道は飲めると言うことだったんで、昨夜ホテルでちょっと飲んでみました。その成果がきました。

 

お腹グルグル・例によってトイレなし。とにかく自由時間が終わってバスに戻るまでの辛抱です。駐車場にトイレは確認済みだったんで、戻るやいなやトイレ直行・でも前に行ったようにここもチップ1000リラ必要です。それはいいのですが、紙幣を持っていったら、コインだけ使える機械式の入り口。あわてて両替機で交換・・・しようとしても私の前で故障して使えず。どうでもええからはよ入れてくれ・・・

 

何とか間に合いました。これ以降再びミネラルウオーターに変更して最後まで快調でした。不幸中の幸いというかイタリアに来てから便秘だったんでちょうど良かったな。変な話はこれまでにしておきましょう。

 

   再びバスに乗ってまた2時間の移動。ようやくアッシジの町について昼食です。「ローストポーク(ビーフではなく)・ラビオリ・そしてデザート」デザートのアップルパイが最高でした。今まで食後のコーヒーを飲んでなかったんでここでカプチーノを注文・とってもおいしかった。そういえば今回の旅行でエスプレッソを飲まずに終わってしまいました。

 

 食後、アッシジの町を観光、いつもの通り徒歩で観光ですが、ここアッシジは山の中腹に細長く作られており、坂道ばかりでややお疲れ気味・・・

 

ここはキリスト教の聖者・聖フランチェスコ生誕の地で、サン・フランチェスコ大聖堂が中心です。そのため多くの信者さんが訪れていました。14世紀頃のイタリア芸術の宝庫だそうで、フレスコ画や絵画がすてきでした。ここのガイドさんの説明が早口の日本語で良く聞き取れず。添乗員の解説付きでした。もうちょっとゆっくりしゃべるガイド捜してくれ!

 

 ここから更に4時間かけて今日の宿泊地・ポメツィアへ移動。途中お店(トイレ休憩)に寄る度に買い物ですね。チョコ・パスタソース・香辛料など・・・そしてホテル8時到着。

 

さあ今日もしっかり食べるぞ・・・「ペンネ・鶏肉のグリル・デザート」。また鶏肉。デザートは今日はフルーツです。まあいいか果物しっかり食べよ・・・でてきたのはリンゴ・黄桃・オレンジ・キウイ・ブドウ。それも丸まま。おいこれどうするのよ。自分でむけ!それもフルーツナイフがなく、ふつうの食事用のナイフ。これにはみんな苦労しました。

 

 そして今日もお仲間と宴会です。みんな終わって部屋に帰った後も、居残り飲み会。ホテルのボーイの冷たい視線を感じつつ・・・・ ごめんなさいね。日本人も飲むとゆっくりだから・・それに今日は8時間もバスに乗っていたんだからちょっとぐらい勘弁してね。

 

 ここでイタリア小知識・・・イタリア人の夕食は我々と違ってずいぶん遅いようです。レストランも昼の営業の後、3時頃から休憩になり、夜の再開が6時頃から準備が始まります。従ってお客さんは7時頃からぼちぼち集まってきて、我々が帰る9時半頃はまだお店いっぱいの人だかりです。聞けば12時頃までは平気だとか。スタミナありますね。日本人でもこんなぐらいは大丈夫という人もいるんでしょうが・・・・おやすみなさい。・・・

 

 

 

 

 

 

 8月21日 ポンペイ及びナポリ観光

  朝6時に起きて、荷物(バッグ)を6時50分に出して、7時から朝食、そして7時45分出発。この間に例のトイレも済ませて・・・毎朝大体こんな感じです。従って朝は結構忙しく忘れ物をしないようにするのが一番の課題でしたね。

 

 今日の朝食はヨーグルトが付いていました。でもこれがコーヒー味。ラベルにはエスプレッソーとあったので間違いないでしょうが、何となく変な味でした。

 

イタリアのパンは、外はフランスパンのように堅くて、中はしっとりしています。また塩を使ってないため味が薄く、慣れればおいしいんですが、最初のころはあごの鍛錬のようで、結構堅くしっかり噛まなければ食べられませんでした。

 

日本のイタリアレストランでは、これをオリーブオイルとバルサミコ酢をつけて食べますが、これもなしでした。これとクロワッサン。上に砂糖ペーストがかかったもので、甘かったです。

 

 今日はこれから一気に南下して、ポンペイの町へ前進です。ヴェスヴィオ火山によって、1夜にして埋まってしまったとか。発掘された市街地を見るのが楽しみですね。これから約3時間の行程です。

 

 途中の景色はイタリアが山岳国のためか、日本の田舎の風景とよく似ています。畑が一面に広がり、いろんな作物が植えられています。当然ブドウ・オリーブはいっぱいありましたが、今一番多いのがひまわりでした。日本と違って背丈は低く、目一杯枯らしてありました。なんでこんな事をするのかといえば、油を採るためだそうです。一年に3回収穫できるとのことで今が最後の収穫直前だそうです。それに煙草の栽培が結構盛んでちょうど白い花を咲かせています。 

 

 高速道路が「アッピア街道」を渡りました。紀元前に作られたアッピア街道はローマとイタリア南部をまさしく一直線で結んでおり、当時から排水溝も整備された2車線の舗装道路(もちろん石の舗装ですが)です。

今でも所々に現存しており、独特の松(松の上の部分だけに傘のように葉を広げています・そこで日本名では笠松というそうです)が両側に街路樹としてびっしり植わっており、遠くからでもすぐわかり、美しい姿を今でも留めています。 

これを見ると、「すべての道はローマに通ず」といわれたことが理解できますね。当時は何もない地にこの道路が真っ直ぐローマに向かっていたんでしょうね。

 

 

このロマン溢れる道を越えていくと、ペルージャの町です。城壁で囲まれたこのすてきな町は、日本人にとってはあのサッカーの中田選手が最初に所属したチームの名前として有名になりましたね。
 

 いよいよポンペイ到着。続々と観光バスが続いてきます。さすが有名な遺跡ですね。ガイドがついて(前に言ったようにここだけ日本語の出来るガイドがいませんでした)、観光の始まりです。最初に注意事項。迷子になったらこの入り口に1時半集合してください・・・そんなややこしい所かいな、とおもっていたら、中は本当に迷路のように入り組んでおり、古代の街がそのまま残っていました。もちろん土台部分がほとんどですが。 

 紀元前の古代都市・ポンペイは商業地・別荘地として栄え、直前の人口は1万とも2万とも言われていましたが、紀元79年ヴェスヴィオ火山の大噴火でその火山礫と火山灰に埋まってしまったそうです。

人は有毒ガスで瞬く間に死んでしまい、街は3日間で埋まってしまったそうです。そのためここの遺跡からは、その当時の生活がそのまま発掘されています。

 

当時から今と同じように上下水道が設置され、車道と歩道が区別された石畳の舗装道路により近代的な(古代の街に対する形容としては変ですが)生活が営まれている様子をしっかり見る事が出来ます。あちこちには水飲み場が残っており、道路には馬車の轍によって跡がえぐられるようにくっきりと残ってあります。ガイドがこうやって古代の人も水を飲んでたんでしょうね、と実演つきです。

 

 1時間半かけて見て回りましたが、今日は地中海の燦々たる太陽が照りつけて、気温は40度。でも日陰にはいると本当に涼しい風が吹き抜けて、札幌の気候を思い出しました。

 

コリント式円柱の残るアポロ神殿・大商人の壮大な屋敷・パン焼き窯がそのまま残るパン屋・温浴室やプール跡が残る大浴場(今で言うアスレチックジムで、トイレも水洗で、残っています。)・カウンターがある喫茶店、そして犠牲者達の遺体。発掘された遺体はそのまま掘り出すとバラバラになってしまうので、回りを石膏で固めて掘り出し、保存してあります。

 

当時の人は以外に小さく、いまの日本人と比べてもずっと小柄です。助けを求めるように手を伸ばしたままの遺体や、苦しそうにのどを押さえている遺体など、生々しいものでした。

 

 外の売店には日本語の解説書まで売られており、早速買いました。これがアイデア商品。自衛隊のオーバーレイよろしく、遺跡の現在の写真の上に、当時の想像図がかけられています。それをめくって、今の状態を見るも良し、それをかけて当時を見るも良し。2倍楽しめますね。

 

 みんな迷子にならず見学を終え、1時頃からの遅い昼食です。メニューは「スパゲティ・アラビアータ」「イカとエビのフライ」「デザート・アイスクリーム」でした。 

イカと小エビのフライはまさしく日本の居酒屋メニューでした。おかげで昼からワインが進みました。ところが食後いつまでたっても出発合図がかからず。どうしたことかと思えば添乗員が来て「バスが故障しました。今修理しています。ダメな場合はソレント(帰れ!ソレントへ・の歌で有名な景勝地・ここから1時間ぐらい)から車を呼びますとのこと」。  これからナポリまで行くのに大丈夫かいな。  

 

 待つこと1時間半。ソレントからのバスが着いたと思ったら、このバスも直りました。こんなもんだよね。1時間以上遅れてすぐ出発。

 

ナポリに着く前に有名なカメオの工房に途中下車。日本でもカメオは高いですが、ここでも高いものでした。なにしろイタリアリラは値段表示の桁が多いので大変です。0がいくつあるの?6個だから百万単位か。そうするとこれは5000000リラ(換算レートは前に書きましたよね)・日本円で・・・頭がパニクッてきます。家内は欲しそうにしていましたがここでは買い物なし。出発の遅れで立ち寄り時間も短かったのが幸いかな・・ 

 

 あとはとにかくナポリへ・・・南イタリアを代表する港町ナポリは情熱溢れる街だそうです。でも今回は残念ながらバスを降りて観光することが出来ません。

ここはいま極端に治安が悪く、日本の観光客は乗車したまま観光するとの事でした(ちなみに日本からのツアーは全部目下こうだそうです)。  

 



 確かにガイドブックでも、歩くときはアクセサリーをはずし、貴重品は持たず、交通信号は信用しない、とありましたが残念でした。車の中からサンタ・ルチア港や、王宮博物館、海の上に浮かぶ卵城などを見て、最後に海岸で夕陽をバックに写真を撮るため5分間だけの下車です。

 



 そのままホテルへ。今日は到着が早かったです。6時前・その上今日のホテルは「ホリディ・イン」。そうアメリカ式のホテルでした。不思議なもので英語を見るとホッとしますね。もちろん理解するかどうかは別として。

 

 きょうの夕食はナポリ市内のレストラン。先ほどの通りいらないものは極力置いてバスで店のそばまで前進です。もちろん置くと言ってもホテルの部屋にそのままは厳禁。必ずセーフティボックスに入れておくか、そうでないときは体につけることが原則ですよ。

 

 8時についても客はほとんどおらず。今日は「ラビオリ・ピザ・ティラミス」の組み合わせです。初めてこちらでピザを食べますが、もちろんトマトをたっぷり使ったピザ・マルガリータ。大きくて一人で食べるのに苦労するぐらいでした。

それにナイフとホークでピザを食べるのも初体験でしたが、とってもおいしかったですよ。それにイタリアンビールとワインも・・・帰るころ(10時頃)になって外にでると、テラス席は地元の人でいっぱいでした。遅くまでご苦労さん(?)。現地の子供が我々を見て「ナカター」。さすが有名人ですね。

 

                 

 ここでミラノから一緒に行動していたバスの運転手さんとお別れです。

 彼は16日我々と合流する前に、ローマからパリまで観光客を案内し、1000キロを一人で回送して、そのまま我々と合流するため、ミラノに来たそうです。日本では長距離運転は2人で交替するようですが、ここでは1人で何日も走るそうです。彼らは特殊技能者のようでその技術はたいしたものでした。この陽気なイタリア人(ソレントの人)とお別れしました。アルベデルチ!チャオ!

 

 いったい何日、彼は家を離れていたのでしょうかね。今でも彼の携帯電話の着メロの曲が耳から離れません。よく耳にしたことのあるイタリア民謡でしたが、最後まで曲名不明。よくかかっていましたが、あれは家族からだったんでしょうか?添乗員さんの話ではイタリア人はいつも奥さんには「ミ・アモーレ」(愛しているよ)を言わないと離婚されるそうです。日本人でよかったね。・・・・今日は満足・お休みなさい    

 

   

   

 8月22日 カプリ島(青の洞窟)観光

 今日は朝がゆっくりです。8時出発。昨日の説明では朝食はT階、集合はロビー・L階・・・なんで外国のホテルは階数表示がややこしいんでしょうかね。今回もロビーのある階の表示が、各ホテルバラバラで数字の0階、L階、T階・・・

 

  サンタ・ルチア港までバスで行って、ここからは船でカプリ島に前進です。

 今日行くカプリ島はナポリの南に位置する東西6Km程度の小さい島ですが、 古代ローマの皇帝達が別荘地としていた島で、今でもきれいな別荘がいっぱいあります。ここでの見どころはなんと言っても「青の洞窟(門)」。日本ではパスタの宣伝でテレビでも放送されて有名になりました。

 

 自然に出来た洞窟でローマ時代からあったとか。入り口から入ってくる光の屈折で海水が深い青色に光り輝くと言われています。楽しみですね。今回のグループの中にこれだけを目的に来ている人がいるぐらいで、なかなか中に入れず見られない事も多いそうです。

 

   ここでイタリア小知識・・・・交差点で止まるたびに、子供やおじさんが寄ってきます。何事かと思えば手に窓拭き用のワイパーを持って、赤信号で車が止まるたびに寄ってはフロントガラスを拭いて、お金を要求しています。確かにイタリアの車は汚い車が多いのは事実ですが、いろんな商売(商売と言うより押し売りですが)があるもんですね。

 

 ここナポリでもう一つ珍商売を見ました。添乗員が言うところの「泥棒市場」。

路上に商品を並べて露天商売をしている人をよく見かけました。机・椅子の類から、タイヤホイール・雑貨・絵までバラエティに富んでいましたが、これはすべて盗んできた商品とか・・・・・すごいですね。盗難にあっても警察は書類を書かせるぐらいで終わりとか。いったいどういう考えなんでしょうか?これをイタリア的というのかな。

 

 
ナポリから大型の水中翼船に乗って40分でカプリに到着です。ここでも添乗員の指示でトイレはこの船で済ませてくるように言われていたせいでしょうか、着くまでトイレが満員でした。日本人観光客が半分ぐらいを占めています。

 

カプリに着いたら、すぐこんどは小型(30人乗りぐらい)のボートに乗り換え、いざ洞門まで前進です。これがやはり30分ぐらい。更に洞門の前に着いたら、こんどは6人乗りぐらいの手こぎボートに乗り移りです。

 

 

この洞門は入り口が1メートルぐらいしかなく、中は奥行き50メートル、

高さ15メートル、入り口からしか光は差し込みません。だから入れるのは一度にボート10隻ぐらいなので、この洞門の前でみんな順番が来るまで待機です。

船もまだ動いているときはいいのですが、止まったまま、揺れにまかせているときはきついようですね。ここで船酔い者がけっこう発生しました。

  ここは波が高いときや風向きの関係で、入れるときが少ないらしく、今日はラッキーでしたね。冬はほとんど入れず、夏も1週間前は入れなかったそうです。警察官が監視しており危なくなるとストップをかけるそうです。 ここまで来て入れない人も多いらしくそうなっていたら、本当にがっかりですよね。今日はラッキー。悪い運勢は出発の時に全部使い切ったみたいですね。

 30分ぐらい待っていよいよ我々の番です。波に揺られながら何とかボートに乗り移りました。我々は5人(外人は3〜4人でした。これは我々が軽い?)乗って、船底にべったり座っていざ入り口へ・・・船頭が波の様子を見ながら、タイミング良く、入り口にかけてあるロープを一気にたぐって船を素早く洞窟内につっこみます

 その時は我々全員船底に平らになって頭が当たらないようにします。なにしろ波が寄せてきたときには入り口はほとんど海水の中に埋まるぐらいですから。そんなスリルを味わって中にはいるとあたりは一変。全くの別世界です。

  中は神秘的そのものです。真っ暗な洞窟の中で、入り口からはいる光によって海水が青く蛍光色に光り輝いています。まるで海底に青いランプを置いて光らせているようです。

 

中にいる間は5分間でしたが、歓声・写真のフラッシュで一杯でした。もっと表現力優秀な人ならこの状況をうまく書けるんでしょうが・・・ぜひ一度機会があれば行ってみてください。運が良ければ中に入れますよ。

 

 
この後は島のミニバスで高台のウンベルト1世広場へ前進して、休憩。いろんなお店があり、やはり買い物です。ここの名物は「リモン・チェッロ

 レモンから作ったお酒です。度数は30度ありけっこう強いお酒ですが、爽やかな飲み口でおいしく、ワインを買わずにこのお酒にしました。それとソレント名物の「寄せ木細工」のオルゴール。最後になるほど大きなもの、重いものが増えてきましたね。

  

 昼食は島のレストランで「シーフードのリゾット・魚のフライ・アイスクリーム」です。ただリゾットは芯が残りすぎており、サフラン味も口に合わず。サラダも塩辛い・酸っぱすぎるであまり・・・・でした。   

 

 さて船に乗ってナポリに戻り、そしてバスに乗って一路今回の旅行最後の都市ローマへ出発です。さすがこのバスの中はみんなぐっすりお休みでしたね。来たとき通った道ですしね。3時間半かかってローマに入りました。

 

 途中ジプシーの集落を見ながら走りました。トレーラーハウスなんかを活用し、集団で住んでいますが、添乗員の話では、イタリアのジプシーは子供の時から泥棒の練習をやらされるとか。彼らは国籍がない(生まれても届けない。時には赤ん坊を盗んでくる)ので、罰しようがなく、子供の場合はほとんど説教だけで済むそうです

 

ローマ五輪の前、市長が彼らに定職と住むところを提供しようとしたそうですが、彼らは「我々は独自の文化と習慣で生活する」といって断ったそうです。不思議な民族ですね。

 

 いよいよローマです。さすがローマは今までの町と違って大都会です。建物・車の数が違いました。それでもやはりバカンス時期のため人が少なく、オープンしているお店も少ないようです。

 

 そのまま明日の観光する所を通って市内を進みましたが、城壁に囲まれた(一部古代の城壁がそのまま残っていて、部屋として使っているところもあるとか。)

 

旧市街・古代ローマの地域に入ると印象は全く変化します。本当に遺跡の中にある都市のイメージです。ここでは12・3世紀の建物は新しいほうで、紀元前や10世紀までのものがいっぱいです。

 

映画「ベンハー」にでてくる馬車の戦闘場面に使われた馬術競技場や、有名なカラカラ浴場跡など、バスの中から右を見たり左を見たり大変です。ここローマは古代の時期、今より5メートル以上深いところにあったとか。だからここを掘ると必ず遺跡にぶつかるそうです。今でもローマの地下鉄は2系統しか作られていないそうです。

 

 レストランに寄って夕食。今日は「ペンネアラビアータ・ローストポーク・ティラミス」でした。ここはピザを焼く窯が客席のそばにあり、焼くところを見せてくれます。さっそくピザを追加注文して職人さんと記念撮影。今日はピザ・カプリチョーザ(ミックス)とピザ・ローマ(アンチョビ)をいただきました。もちろんみんなで分けてですよ。ピザは本当においしいですね。

 

 食後ホテル着、21時50分。今日からは連泊でこのホテルです。明日は最後の観光です。本当に楽しい旅行でした。明日に備えて早く・・・ブォナノッテ・おやすみなさい。・・・・そういえばあの酒好きグループは今日もホテルで飲んでいるそうです。よくからだが持つね。

 

 

 

 

 8月23日 ローマ市内観光

 ボンジョルノ・おはよう!いよいよ最後の観光です。ローマはヨーロッパ人なら必ず行きたい都市にあげるそうです。今日の朝食はフリーでどうぞということでした。今までは全員集合して一斉に食事でしたが、ここではゆっくりできました。卵やシリアル類も揃っており、豪華朝食でしたね。   

 

   今日は午前中は、ヴァチカン博物館サンピエトロ寺院を、午後からは市内見物・コロッセオフォロ・ロマーノ(公共広場)、トレビの泉スペイン広場などです。

 

私は若いとき一度このローマに来たことがありますが、あまりその時の印象は残っていません。今回しっかり見ていこう!

 

 ここでイタリア小知識・・・ローマとは**有名なシーザーの後台頭した、オクタヴィアヌスが、エジプト等を併合して紀元前27年にローマ帝国を建国しました。その後200年に渡りローマの繁栄が続きます。

 

このローマ時代に完成した、城壁に囲まれたローマの町は思いの外コンパクトです。 南北に流れるテヴェレ河(古代ローマの時代からその歴史を見続けてきた悠久の河川)と7つの丘で構成されています。古くからこの丘の上に集落を作って発展してきたため、今でも遺跡はこの丘に集中しています。

 

 最初は世界で最小の独立国であり、カトリックの総本山のヴァチカン市国の見学です。もちろん国境線はありませんが。まずヴァチカン博物館へ入ります。

 

ここは一般のお客さんが大行列している横をスイスイ進んで横の入り口から。何でも団体専用の入り口で8時45分まで開いているそうです。どおりでいつになくせかしていた朝でした。ここヴァチカン博物館は21世紀を目指して世界中からのカンパで一部が新しく改修されていました。

 

 

ここは歴代教皇の美術収集品を保存するための施設で、27もの美術館と博物館で構成されており、じっくり鑑賞するには2〜3日はいるとのことですが、我々の目的はシスティーナ礼拝堂ミケランジェロによる「最後の審判」を見ることですから、そのほかは駆け足です。

 

ところがここのガイドがまた熱心で、中庭の案内写真のところで、延々とキリスト教・旧約聖書と新約聖書の違い・「最後の審判」の説明をしてくれました。確かに中に入ると、特にシスティーナ礼拝堂では、しゃべってはいけないとのことで、一生懸命なのはわかりますが、早くじっくり見たかった私たちにはイライラでした。

   

  お目当ての「最後の審判」は20分間鑑賞できました。本当はもっと時間が欲しかったんですが・・・正面の祭壇にあるのが、よく写真なんかで見た、キリストが人間達を天国へ行くか、地獄へ行くのか裁いている、あの「審判の場面」。本当に色鮮やかに輝いています。

 

説明では日本テレビがお金を出して修復をしたとか。

日本マネーもこんなところに使われるのであれば大歓迎ですね。300人からの人物を想像で描いてあるとか。その一人一人の表情が豊かで、地獄へ行く人の苦しみ、天国へ行く人の喜びがうまく表現されていて、いつまで見ていても飽きない名作でした。

 

 天井部分には旧約聖書の創世記が9つの場面で描かれています。水と地の分離・天地創造・アダムの創造・イヴの創造・人間の堕落・大洪水・人類の再生などがミケランジェロ独特の力強いタッチで描かれています。

   

彼はこの天井画を33歳の時、時の教皇ユリウス2世に命じられて4年間かかって完成。天井画は足場を組んで、天井部分に直接描くそうですが大変な作業だったでしょうね。

 

 そして正面の「最後の審判」は何と、58歳の時に取りかかり、5年間かかって完成させたそうです。この時代、人間の寿命が短いときに、これほど長く活躍できた源は何だったんでしょうか。これだけ長寿で活躍できたのは、やはり神様の思し召しだったんでしょうか?あまり芸術に普段縁のない私でも、この大作には感動の一言しかありません。

   

  この感動のまま、次はサン・ピエトロ大聖堂です。ここはキリストから後継者に指名された初代ローマ教皇・聖ペテロがあの悪名高いネロによって処刑されたこの地に、4世紀に建てられ、16世紀からの改修により、ミケランジェロ・ラファエロ・ベルニーニなどが手を入れ、120年の歳月をかけ現在の姿になったそうです。

 

 ミケランジェロが手がけた巨大なクーポラ。その下にあるブロンズの教皇の祭壇はベルニーニの作。どこまでも高く、華麗に装飾が施され、見る者を圧倒します。この祭壇だけで高さが29メートルあるそうですから、これを被うクーポラは40メートル近くあるのではないでしょうか。さすがに総本山だけのことはあり、高さ・大きさとも世界一で、世界中のカトリックの寺院はこの大聖堂より大きく造ってはいけないとのことでした。

 

 ここでの話題2題・・・

   その1 大聖堂の袖廊下に聖ペテロの銅像があります(カンビオ作)。この像は敬虔な信者たちからの接吻のため、あしの部分が磨り減っています。見ていると信者の人がいっぱい行列を作って、この像にお祈りをして、足の部分に接吻をしていました。信仰の力ですね。

   その2 この大聖堂の地下は歴代教皇達のお墓になっており、ちょうど行ったとき、ある教皇の遺骸(ミイラ)が安置されていました。1週間前に地下からここに上げられたとか。顔と手には復元されたカバーが掛けてありましたが、信者さんにとってはこれほどありがたいものはないんでしょうね。

  長い行列を覚悟で参拝していました。さすがに今ではこのような土葬はあまりなく、やはり火葬が多いとのことです。私たちもキリスト教ではありませんがしっかり並んでお祈りしてきました。ごりやくのほどはどうでしょうかね。

 

 大聖堂をでた所がサン・ピエトロ広場です。直径200メートルの楕円形の広場です。ここに信者約30万人を収容でき、法王がでてミサが行われます。左右の回廊には、284本の柱が4列で取り囲んでいます。その回廊の上にはベルニーニの弟子達が制作した140もの聖人像が広場を見下ろしています。 

 

 

ここから歩いて昼食のレストランへ移動。今日のメニューは「スパゲッティカルボナーラ・魚のフライ・スイカ」です。どうもスイカは今がシーズンのようで、町中でも切ったスイカを売っていました。

 

ここのレストランの入り口では、バチカンの衛兵の格好をした門番がおり、入ってくるお客さん一人一人と写真を撮ってくれます(もちろんこれは偽物で、本物は敬虔なカトリックの信者で、スイスの傭兵だそうです。)。もちろん後で写真を売りつけるわけですが、だいぶ慣れてきたせいか、写真の写り具合を見てはっきり断る人もおり、日本人もこのへんはイタリア人にも負けていませんね。

 

 

 
昼食後はバスに乗ってコロッセオのあるフォロ・ロマーノ地区へ移動です。

 途中テヴェレ河中州にあるティベリーナ島を車から見学。この小島は、紀元前3世紀に医学の神エスクラピウスの神殿が建てられたところで、現在でも16世紀から続く病院があるそうです。この島にかかる橋が、紀元前1世紀に架けられた橋でローマ時代から続く唯一の橋だそうです。こんなものがよく残っているもんだと感心しますね。

 

 
 
日本でも有名なコロッセオに到着。昔、来たときは気持ち悪かったので見学しませんでした。だってここで人と人との殺し合いや、人と猛獣との戦いをした競技場ですよ。でも今回はしっかり見ていこう。紀元80年頃にこんな高さ50メートル、周囲527メートルの石造りの競技場を完成させた当時の技術は大変なものでしたね。中は地下を持った3階建てで、地下には猛獣の檻や、武器等をおいておく部屋が見えます。ここの見学は並ばなければ入れないので外からの見学だけでした。

  やさしい私(?)にはやはりあまり気持ちの良いものではありません。ガイドの説明では、専門に訓練を受けた剣闘士(奴隷達)が闘い、勝った方は観客に相手を殺すか、助けるか聞くそうです。多くの場合、観客は殺すことを要求したそうです。特に女性達が熱狂して見ていたそうですが・・・・

 

 コロッセオの横に広がるここの地区はフォロ・ロマーノと呼ばれる地域。

 フォロとは公共広場のことでいわばローマ広場とでも言うでしょうか。ここは古代ローマの時代から政治・経済・文化の中心で紀元前6世紀に下水道の整備が進むと、歴代の執政官や皇帝達が競って、神殿・元老院・裁判所などを置き、戦勝の凱旋パレードを行ったところだそうです。

 

その後4世紀末に西ゴート人が侵入し、ローマ帝国が滅亡すると、ただの牧草地に、そしてルネッサンス期には埋もれた大理石の巨大な石切場と化したそうです。現在も発掘作業が続けられていました。

 

 ここには315年に作られたコンスタンティヌスの凱旋門や、ローマ最古のティトゥスの凱旋門(紀元70年)が、壁一面にレリーフを施され、昔の姿のまま現存しています。この地域には今発掘されただけでも、たくさんの神殿・邸宅・バシリカ(教会)・元老院などがあります。

 

ここローマは第2次大戦の時、無防備都市宣言をしたため戦火に遭わず遺跡が残っているそうです。そういえば何気なく歩いていたここの石畳もローマ時代のままだそうです。昔どんな人が歩いていたんでしょうか?その上をまさか歩けるとは思いませんでしたね。

   

 再びバスに乗って、トレビの泉地区へ移動。途中、サンタ・マリア・マッジョーレ教会の前を通過。ここは聖母マリアのお告げどおり、356年の真夏に雪が降ったという奇跡の地に建っているそうです。

こんな逸話がどこにもあるようですね。信用します?疑えばバチがあたるかも・・・・

 



そしてローマ・テルミニ駅。外国からの列車も発着するローマの陸の玄関口です。今でもたくさんの旅人で賑わっていますが、スリ・置き引きなどのたまり場だそうです。

  そして再び訪れることが出来たトレビの泉。もう25年ほど前に来たとき、コインを投げ、また来られることをお願いしましたが、本当にかなうとは思いませんでしたね。その姿はテレビなどで皆さん知っているでしょうが、本当にすばらしいオベリスクやレリーフで飾られています。

またここの水源は紀元前のアグリッパ水道を15世紀によみがえらせたものだそうです。さっそくコインを投げ入れて見ました。また来ることができるでしょうか・・・

 

 ここでの体験。最初に換金したリラ(最初成田で3万円換金し、買い物はほとんどカード)が底をついたので、ここにある町の両替所で換金しようとしたときのことです。添乗員に街の両替所に案内してもらって、一人で中に入り係りの人にお金を渡しているとき、後ろで何か声がしました。

 

何だろうと思っていると、添乗員が「今スリが中に入ろうとしています。私が入れないようにしていますから、お金を完全に財布の中に入れてから出てきてください」との声です。私が両替所に入ったのを見てスリがすぐ後ろに立とうとしていたようです。添乗員が入り口に立ってそれを阻止していました。

 

あわてて、でもしっかり財布の中にお金を入れ、二人で出てきましたが、彼が言うには「まだ着いてきますから注意してくださいね。」とのことでした。危うく被害者になるところでしたね。こういうところには多いようです。旅行されるときは十分注意を!

 

 それでもしっかり大勢の観光客に混じって、アイスクリーム(イタリアではジェラート)も食べて、ここの雰囲気を満喫して、絵はがきも買って楽しみました。

 

 
ここから歩いてスペイン広場へ。若い人は知らないでしょうがここは映画「ローマの休日」のなかで、オードリー・ヘップバーンがここの階段に座ってアイスクリームを食べるシーンで有名です。みんなここの階段に座って雰囲気を楽しんでいましたが、今はこの階段では飲食が禁止されているそうです。

   

でも今の若い人たちには、ここはコンドッティ通り・通称ブランド通りとしての方が有名ですね。このコンドッティ通りには世界一流のブランドが勢揃いです。ここでは2時間の自由時間ですが、皆さん大急ぎで買い物に走っていました。

 

日本で言えば銀座のような所でしょうね。ブルガリフェンディマックス・マーラグッチフェラガモプラダジョルジオ・アルマーニヴェルサーチエトロミッソーニミラ・ショーンなどが狭い通り沿いに密集しています。まさかこんな所には縁がないと思っていた私たちも、ちょっとのぞいていこうか?と思ったのが運の尽き。しっかり買い込んでいました。

  

 お店の中は日本人で一杯。若い人は買いなれていますね。おかげで書類の書き方(免税のための)が分からなかったら、日本人のお客さんが教えてくれました。こんなところを見ていると、日本が不景気だとは、外国の人は思わないでしょうね。

  

 最後でもあり、しっかり買い物も済ませ、一安心でバスに乗り込みました。

 6時半ホテルへ帰って、最後の夕食は「カンツォーネディナーショー」です。  レストランでカンツォーネを楽しみながら食事ですが、イメージと違って狭いレストランでした。でもそのおかげですぐそばで歌ってもらえて、迫力満点すばらしいショーでした。お客さんも参加しての大合唱でみんなでローマ最後の夜を楽しみました。

 

 ここまで食事のメニューを書いてきたので最後も書かなければね。

今回は「アンティパスタ(そう前菜から始まりました・感激)・ペンネミートソース・鶏肉のグリル(最後までこれでした)・ティラミス」それに最初に乾杯用シャンパンとワイン(飲み放題)。写真を撮って、歌を唄って、飲んで、食べて大満足でした。

 

今日はぐっすり寝れるでしょう。おやすみなさい!!  ・・・そうそうあの酒好きグループは今日もホテルで飲むそうです。つきあい切れませんので今日は失礼です。

 

   明日はいよいよ帰国です。ハプニングなしで行きたいですね。

 

 

 

 

 8月24日 日本へ(到着25日9時30分予定)

 さあ楽しかったイタリアともお別れです。「イタリア大周遊の旅」というコース名の通り北イタリアのミラノから南イタリアのカプリ島まで、東西南北にイタリア中を回りました

そう来れるところではないので、この際一気にという当初の思惑通り満喫できました。海外旅行は体力勝負・・・若いうちに遠いところに是非行っておいた方がいいでしょう。 

 

 さあ今朝の仕事で一番大事なのは荷物の作り方です。一杯買い込んだのでどう詰めるか。今回は大きなトランク1つで来たので、これと機内に持ち込む手荷物とのバランスが勝負です。

 

というのも航空機に預けることが出来る荷物の重量はヨーロッパの場合1人20Kgまで(夫婦2人でトランク一つなら40Kgとはいかないそうです)。重い瓶類を手荷物にするか、バックに詰め込むか。割れないようにどうすればいいか。頭が痛くなります。

 

 日本を出るときは、16Kgでした。でも過去の経験からまず少々のオーバーは大丈夫だろうという考えで、重い瓶類はバックの中、かさばる物は手荷物で持っていこうと決心して完成。持ってみてこりゃ重いわ!

 

 ロビーで添乗員に確認すると、重量オーバー1Kgにつき、ファーストクラス正規運賃の1%だそうです。こりゃやばいぞ・・・でも彼が言うにはアリタリア航空はいい加減なので25〜6Kgぐらいまでは大丈夫でしょうとのこと。

 

それ越えていたらどうしよう。空港について受付で計測しながら受付けています。心配で見ていたらそのまますんなり通りました。でも重さは28.6Kg。イタリアでよかったな! 添乗員曰く、フランスは大変厳しいのでこちらに行くときは注意してくださいとのこと。これから行こうと思っている人はしっかり、重量を守ってください。

 

 さてホテルからバスでローマの飛行場へ。バスの中に見知らぬイタリア人がいます。彼は空港で入国手続きをサポートする係りだとか。どうしてこんな人まで必要なんでしょうかね。これも現地ガイドと一緒で、仕事を作るためですかね。とにかく彼も乗って飛行場へ。・・・

  

 ここの飛行場は別名レオナルド・ダ・ヴィンチ空港、彼のモニュメントが入り口に堂々と立っていました。到着は10時前。今日のフライトはJAL4010便、アリタリア航空との共同運行便で今日は、アリタリアの機材と、乗員で運行されるそうです。

 

時間もまだいっぱいあるし、入国審査が終わったら最後の買い物をする予定でした。イタリアリラもそのためにまだ若干残してあるし・・・

  

 ここで3分の2ぐらいの人は、すぐチェックインが終わり、中に入っていきました。私を含め、6名がタックス・リファインドの手続きです。イタリアでは日本の消費税のように、商品に付加価値税(IVA)が9〜16.7%かかっています。EU(欧州連合)圏以外の我々は手数料を除いて、8〜14%程度の金額を払い戻してもらえます(1店・30万リラ以上の買い物をした場合)。

 

 そこでこの手続きをするため、入国審査の前に税関へ前進です。ここで書類にスタンプをもらわなくてはなりません。パスポートと書類と東京まで送るトランクを引っ張って税関へ行きました。トランクはここにその未使用の商品がある事の証明だそうです。

 

行ってびっくり。すごい行列です。この列がなかなか進みません。税関の係りはどうしているのか。時間ばかり進みます。1時間ぐらいかかってやっと私たちの番。入口から中にはいると机は4つもあるのに人間は2人しかいません。のんびり書類を見てパスポートを点検して、おもむろにスタンプ・ポン。もっと人間増やせよ。みんな行列してるのに・・・・

 

 とりあえずスタンプもらえたので荷物を預けて、入国審査です。ここは簡単にパスして、いよいよ搭乗口です。免税売店で買い物もして・・・ところがこの払い戻しが現金で戻してもらうにはローマの方が簡単ですよ、と添乗員に言われていたので、先ほどの税関で手続きをした書類を持って、その窓口に行きました。

 

またこの窓口が一杯。当然ですよね、さっきの人が大半ここで現金で受け取るんですから。そんなわけでお金が返ってきたときは11時40分、搭乗時間までもう余裕なし。お店をちょっと覗いていたらもう時間切れ。買い物できずです。残念・・・(ちなみに返ってきたお金は5千円ちょっとでした)

 

 仕方ないか。このお金は成田で換金しよう。そう決心して飛行機の中へ。

 

 これからミラノ経由東京・成田行きです。離陸してなんか雰囲気が変です、来るときの日航と比べて。そう乗務員がほとんどなんです。サービスしてもらうならやはり女性の方がやさしそうでいいですよね。でもミラノからはクリューが交替して、さすがに女性主体の編成でした。それも日本人のスチュワーデスもいて、安心でした。

 

 ミラノでお客さんが、それもほとんど日本人が乗ってきていよいよ日本へ出発です。ここミラノで待機時間は1時間30分・機内待機です。少しぐらいおろしてくれても良いと思いません?!座ったままお願いしますだって。  これから長いフライトを考えたら気が重くなります。

  

 外国の飛行機に乗ると、日本の航空会社のサービスの良さを見直しますね。

 来るときの日航機にはエコノミーも含めて各座席にテレビが付いています。新しいサービスだとか。おかげで退屈せずに済みました。映画を見たり、テレビゲームまで出来ます。

 

このアリタリアの飛行機は古いらしく、ビデオも機内のスクリーンに映す型でしたが、これがうまく写らず、よく見えませんでした。機内販売にしても日航機だったら座席まで来て売りますよね。ここは乗員のいるところで販売するので、販売時間中にそこまで行って買い物です。サービスの質が違います。ただそのために運賃などの値段が高いという結果なのかもしれませんが。

 

 そんなわけで最後のリラが残っていたので、換金するぐらいなら手数料も取られるし、ここで買い物しましょう、ということになりました。

 

手持ちの金額で目一杯買って、残りは小銭を含めてユネスコに寄付しました。少し良い気持ち。こんな場合はどこのおみやげというんでしょうか?イタリアでもないし買ったのは確か、時間的には北欧上空。しかもイタリアブランドでもないし。・・・まあこんな事で悩んでも仕方ないか。

 

 成田までのフライト間、機内食がミラノを離陸して直ぐと、成田到着前の2回。来るときの日航機は、食事の間に軽食があったよ。まあいいか、イタリア滞在間に太っちゃったから

 

 こんなにいろんな事を経験しながらイタリア旅行を終わりました。

すばらしい景観・歴史ある世界遺産・古代から延々と続くキラ星のような美術品の数々は期待通り、私たちの心を感動の世界へいざなってくれました。ぜひ皆さんも機会があれば外国に行ってみましょう。世界にはまだまだ我々の知らない世界があることを感じるとともに、感動を得られるはずです。また日本の良さを見直しますよ。もちろん安全には十二分の心構えをしてください。日本ほど安全なところはありません。 

 

 最後に家まで帰って驚いたこと。

 

 家を長期間空けていたので、泥棒に入られていないか心配でしたが、これはOK!。植木も水が一杯の受け皿(一部は風呂場)に入れてあったので、大丈夫。

 

落ち着いて、着替えて足を見てびっくり・・・象サンのようにむくんでいました。長い間飛行機に乗っていたのと、イタリアでずいぶん歩いたためでしょうね。これなら、例のエコノミー症候群(飛行機のエコノミークラスの狭い座席に座ったままでいると、血栓が出来て血管がつまり死亡することがあるという病気)も本当に起こる可能性があることを身をもって体験しました。こんな事にも気をつけて旅行しましょう。

 

  自分で体験したことを中心にして旅行記をまとめました。上手に文章が書ける人間でもないので、読みづらい・わかりにくい・感動が伝わらないという批判もあるでしょうがお許しを!最後まで読んでいただき感謝します。皆さんも 旅行したときはどんな感動があったか教えてください。さようなら

             終わり>

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