京都・金閣寺&竜安寺

金 閣 寺

京都市の西北端、京都市北区金閣寺町に、この寺はあります。正式名は北山鹿苑寺(ろくおんじ)。
1994年(平成6年)に古都京都の文化財として世界遺産に登録された。
中心となる建築物である舎利殿を「金閣」、寺院全体を「金閣寺」と通称されます。
銀閣(慈照寺観音殿)、飛雲閣(西本願寺)と併せて『京の三閣』と呼ばれています。

  境 内 入 口 の 紅 葉
夕佳亭(せっかてい)

金森宗和好みと伝えられる茶室。
寄棟造り茅葺、三畳敷の席に勝手と土間からなる主屋に、切妻造り柿葺で二畳敷の鳳棲楼と呼ばれる上段の間が連なっている。

明治初年に焼失したため、現在の建物は
1874年(明治7年)に再建されたもの。
1997年(平成9年)にも解体修理を行っている。

なお三畳敷の床柱は茶席としては珍しく南天の木が用いられており、殊によく知られている。(左下の写真)


竜 安 寺

石庭で有名な竜安寺。1450年時の管領職細川勝元が創建したものですが、応仁の乱で焼失。
その後1499年に再建され、石庭もその時に作られたといわれています。

わずか75坪の白砂の空間に大小15個の石を配置しただけの、極端に抽象化されたこの庭から何を感ずるかは、
ただただ鑑賞するものの自由な解釈と連想にゆだねられています。

中央から左右を眺めた写真
  こんな苔の庭もあります。

 




立山黒部アルペンルート

日本の屋根北アルプスを貫き富山市と長野大町市を8つの交通機関によって結ぶ90kmに及ぶ山岳観光ルートです。
黒部ダムの迫力や室堂平・弥陀ヶ原・美女平での散策などで感じられる大自然の中に息づく動植物、北アルプスの眺望など見ごたえがあります。
春の残雪、初夏の新緑と花、夏の雷鳥の姿、秋の紅葉など季節ごとに様々な顔も楽しめる。今回は紅葉時期の観光となりました。


1日目は、自動車で扇沢まで行き、ここからアルペンルートで立山を越え、弥陀ヶ原まで直行し、弥陀ヶ原ホテルに宿泊。

2日目は、室堂、大観峰、黒部平、黒部ダム等を観光しながら戻ってきました。

弥 陀 ヶ 原

立山の西麓に広がる溶岩台地の高層湿原。1周約2時間の遊歩道沿いには、大小3000もの池塘が点在、ワタスゲなどの群落がみられます。
バス停から
500mの地点に、旧火口とカルデラを一望する、立山カルデラ展望台があります。

         早朝の展望台からの雲海
             宿泊したホテル


室堂・室堂平

室堂(むろどう)および室堂平(むろどうだいら)は、約5万年前の立山の噴火によって形成された溶岩台地です。

全国名水百選に選ばれたこの立山玉殿の湧水は、トロリーバスが通る立山トンネル内の破砕帯から導水しているそうです。

室堂駅付近にあるミクリガ池やミドリガ池は立山の火口湖であり、地獄谷では、現在でも火山性ガスが吹き出している様子を見ることができる。


大 観 峰

室堂からトロリーバスで10分、立山ロープウェイの上側の駅である大観峰は標高2316mのところにあります。
駅から降りてすぐの展望台からの眺めはすばらしいので、素通りは絶対ソンです!


黒 部 平

大観峰と黒部ダムの途中に位置する黒部平は標高1,828m
西に立山連峰とロープウェイ、東に後立山連峰と黒部ダムが広がる眺望が楽しめます。

ケーブルカーの駅としては(鉄のレールで走る鉄道の駅としても)日本一標高が高い場所にある駅で、
立山トンネルバスのトロリーバス化により室堂駅が鉄道駅となるまでは日本一高い場所にある鉄道駅でした。

立山黒部アルペンルートの途中に位置し、黒部平庭園と呼ばれる優れた景観を持った庭園の中に駅が置かれている。

ロープウェイの上側の駅、大観峰の駅が見えます。
四角い箱のようなものがそうです。

右の写真は黒部ダムの様子ですが、ずいぶん下に下りてきたのがわかりますね。


黒 部 ダ ム

立山黒部アルペンルート観光の終着点(長野側からスタートすると出発点)にあたる黒部ダム。
1956年建設が開始され、1963年に完成。黒部ダムは水の圧力を両岸の山で受けるアーチ式のダムで、高さは日本一の186m
毎秒
1015トンもの放水は、期間限定でみることができます。

黒部トンネルと
ダムでの紅葉
ダムからの放水
下流側、黒部渓谷の様子

 



丹後・伊根&天橋立

伊根町(いねちょう)

伊根町は、京都府にある町です。
日本海を望む丹後半島の北東部に位置し、舟屋で知られています(重要伝統的建造物群保存地区選定)。
海辺ぎりぎりに建ち並ぶ舟屋は、1階が舟の格納庫の他に、漁具などの物置場として使われており、2階は住居となった機能的な建物。
平成17年には、漁村では全国初となる国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。

天橋立(あまのはしだて)

天橋立は、京都府宮津市の宮津湾にある景勝地です。
江戸時代から松島(現在の宮城県)、宮島(現在の広島県)とともに日本三景の一つに数えられています。

天橋立は、約7,000本の松林が続く長さ3.2km(大天橋、小天橋)、幅20から付根が170mほどの砂嘴(さし)である(地学上では砂州)。
宮津湾を区切り、阿蘇海を作っている。

阿蘇海からは、文珠切戸と文珠水路によって、宮津湾へつながっています。
大橋立と小橋立は可動橋で結ばれ、その下を遊覧船など小型船が通るようになっていました。

智恩寺・山門

日本三文殊のひとつで、智恵を授かる文殊さんとして有名です。
茶屋通りに面する山門は、黄金閣とも呼ばれる市の指定文化財で、丹後地方最大の山門です。


天橋立を見下ろす成相山にある西国28番札所の成相寺。
ここには、悲しい言伝えがある撞かずの鐘や、左甚五郎の真向きの龍、日本一のパノラマ展望台などがあります。


成相山の反対側、南から見た天橋立です。


「股のぞき台」の上に乗って、反対方向を向いて、股の間から天橋立をみるという方法で撮りました。
この風景は、「天に架かる橋」、「天に昇る龍」などと呼ばれています。




和歌山・熊野本宮大社&熊野古道&那智大社

熊野三山(くまのさんざん)は、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三つの神社の総称。
2004年に、「紀伊山地の霊場と参詣道」として、高野山などとともにユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

熊野本宮大社

古くは「熊野坐(くまのにます)神社」という名で呼ばれていました。
熊野三山の中心で、全国に
3000社以上ある熊野神社の総本宮です。社殿が国の重要文化財になっています。
家津美御子大神(素戔嗚大神)を主祭神とし、商売繁昌、開運招福、衆災消除、無病息災、交通安全、大漁満足、
特に心願成就にご利益があるそうです。また、「熊野古道」が続き、山里の暮らしにふれる情緒豊かな雰囲気を楽しめます。

158段の石段 鳥 居 神 門
本  殿

現在は社殿は山の上にありますが、1889年(明治22年)の大洪水で流されるまで、熊野川の中洲にありました。
創建以来その中州にあったと思われ、明治の洪水が起こるまでは社殿が流される事態などにはならなかったようですが、
明治以後、山林の伐採が急激に行なわれたため、山林の保水力が無くなり大規模な洪水を引き起こし、流されたそうです。

現在、旧社地の中州は「大斎原」(おおゆのはら)と呼ばれ、大鳥居が建っています。
なお、その時の大洪水で被災した上流の十津川村の一部の集落の人々が、村を捨てて移住した先が北海道の新十津川村だそうです。

熊野本宮大社がもともとあった場所。大斎原(おおゆのはら)

旧社地近くに日本一の大鳥居(高さ
33.9m、横42m)が建てられました。
この大鳥居の上部に「八咫烏(やたがらす)」がありました。(下・中央の写真)
八咫烏は熊野権現の使いだそうで、三本足の烏です。
日本サッカー協会のシンボルマークでお馴染みですね。

平安末期以降、熊野本宮は阿弥陀如来の西方浄土と見なされていました。「熊野御幸」の時代、そして「蟻の熊野詣」の時代、熊野の中心地はここ大斎原だったのです。


熊野古道

大門坂(だいもんざか)は、和歌山県の那智勝浦町にある坂道で、熊野那智大社への参道、そして熊野古道・中辺路の一部です。
かつて坂の入口に大門があり、通行税を徴収していたことが名称の由来だそうです。
坂道の両側にまるで門柱のようにそびえる夫婦杉をくぐり、九十九王子最後の一社・多富気王子を横目に、
樹齢数百年の深い杉木立の中に石畳の道をたどって行くと、坂を上りきったところに、
青岸渡寺と熊野那智大社があり、那智滝へも直ぐの位置にあります。



熊野那智大社

那智滝(なちのたき)は、和歌山県那智勝浦町の那智川にかかる滝で、華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられています。
那智の滝は「一の滝」で、その上流の滝と合わせて那智四十八滝があり、熊野修験の修行地となっています。
熊野三山の他の
2社(熊野本宮大社、熊野速玉大社)では、明治の神仏分離令により仏堂が廃されたが、
那智では観音堂が残され、やがて青岸渡寺として復興し、現在青岸渡寺は西国一番札所です。

那智山一帯は、滝に対する自然信仰の聖地であり、一の滝は現在でも飛瀧神社の御神体であって、
飛瀧神社の境内に設けられた滝見台からその姿を見ることが出来る。(下の写真)

滝の落口の岩盤に切れ目があり三筋に分かれて流れ落ちるため三筋の滝ともいい、
また那智の滝の代表するということから那智の大滝とも呼ばれる。

 


和歌山・大社町鯨博物館

太地町は、くじらの町としてしられ、吉野熊野国立公園の中央に位置し、雄大な熊野灘を望む地にあります。
太地は古式捕鯨発祥の地として名高く、紀州藩の保護もあって、たいへん栄えました。
世界一のスケールを誇るくじらの博物館には、体長15mのセミクジラの模型が吊され、
鯨の生態や捕鯨に関する資料などおよそ
1,000点に及ぶ貴重なものが展示されています。
わが国捕鯨発祥の地として昔から現代までのおよそ
400年の歴史を目の当たりに興味深く勉強できます。

  展示品で遊ぶ
マリナリュウムは太地くじら浜公園の自然プール沿いにある海洋水族館です。
館内に水量630トンの大水槽があり、水中トンネルから熊野灘に生息する魚の生態を間近に観察できます。

千 畳 敷

太平洋に面したスロープ状の岩盤で、非常に柔らかいため打ち寄せる波の浸食を受け、複雑な地形を形成しています。
その広さはおおよそ4ヘクタールで、畳を千枚敷けるほどの広さであることが名前の由来でそうです。
三段壁・円月島と並んで、白浜町の景勝地として知られている。

普段は岩盤の上を歩くことは出来ますが、波浪注意報、警報発令時は立入が禁止されます。
この場所から望む夕日の美しさは非常に有名で、広大な太平洋へ沈むその姿には、感動します。
                                   潮 岬 灯 台

潮岬の観光タワー。
道路を挟んで向かい側には芝生が広がり、その奥に本州最南端の地点がある。
展望台の手前には、「本州最南端」の碑があり、展望台には売店があった。
写っている車はわが愛車。


奈良・秋の大台ケ原

年間降雨量5000ミリという世界有数の雨水量を誇る大台ケ原は、多量の雨が湿潤な気象条件を生み出し、
南の島屋久島と並ぶ我国を代表する原生林を形成しています。

モスフォーレストと呼ばれるコケの多い林や壮大で水量豊かな渓流と滝などがあり、
また、正木ヶ原や大蛇に代表される他では類の無い自然の造形を見ることができます。


正木ヶ原 : イトザサの平原と倒れたり立枯れしたトウヒが大台ヶ原を象徴する風景をつくり出しています。
牛石ヶ原

イトザサのじゅうたんを敷きつめたような大平原。霧が出ると、とても幻想的です。

古川嵩翁が尾鷲から運んだという神武天皇像と伝説の大石・牛石があります。


大蛇ー(だいじゃぐら)

東大台コースきっての絶景ポイント。眼前は山上ヶ岳、弥山、釈迦ヶ岳と続く大峰連山、眼下は垂直約800mの断崖絶壁。
パノラマビューと冷や汗タラリのスリルが味わえます。
大蛇の背に乗ったような感覚からこんな名前になっています。
ちなみとは大きな岩のこと。

シオカラ吊り橋

                               


千葉・銚子散策

地球の丸く見える丘展望館

地球の丸く見える丘展望館は、下総台地の高所(73.6m)である愛宕山の頂上にあります。
北は鹿島灘から筑波山を望み、東と南は一望千里に太平洋の大海原を、西は屏風ケ浦から九十九里浜まで見渡せます。
標高約
90メートルの展望スペースからは360度の大パノラマが広がり緩やかに弧を描いた水平線によって、地球の丸さを実感できます。
左の写真に写る灯台は犬吠崎灯台です。


屏風ケ浦

銚子の代表的な景勝地のひとつである『屏風ケ浦』は、飯岡町の刑部岬(ぎょうぶみさき)まで10Kmにも及ぶ絶壁の海岸線です。

その勇ましさ・雄大さは英仏海峡のドーバーの「白い壁」に匹敵するといわれ、「東洋のドーバー」とも呼ばれています。

太平洋に臨む断崖絶壁はドラマ・CM・映画・プロモーションビデオなどのロケ地としても好まれ、さまざまな場面に登場しています。『屏風ケ浦』の景観は、「海食(波による浸食)」により形成されてきました。
この「海食」により、過去
4050年の間に陸地が50mほど後退したそうです。
(鎌倉時代には
26Km先に陸地があったとも言われています。)


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