川越の近代化遺産

近代化遺産という文化財をご存知でしょうか。文化財というと、京都・奈良の国宝や重要文化財が思い描きますし、川越では、喜多院・仙波東照宮などがこれにあたります。これらはどちらかというと時代的に古すぎて私たちが「なつかしい」と感じる生活の実感からかけ離れたものです。また、美術的にみて学術的にみて価値があり、鑑賞するものという対象のようです。しかし、明治維新以来、「西洋に追いつけ追い越せ」をスローガンに西洋文化を積極的に取り入れてきた技術者や先人の努力と工夫の結晶である建造物が多数あります。明治・大正・昭和戦前の建築や土木構造などです。

旧第八十五銀行本店(大正7年)国の登録有形文化財、キンカメ時計店(昭和初から10年代)
 

 これらは、日本古来の伝統文化遺産ではないために、文化財として評価されることがなく、古くなればスクラップとして解体されてきました。身の廻りでも子供の頃に親しんだ洋館建築が解体されて、今から思うと残念に感じられる方もいらっしゃると思います。

 これら明治・大正・昭和戦前の建築・土木構造物を「近代化遺産」として捉え保護し活用していくために、文化庁が平成2年(1990年)より近代化遺産総合調査事業をはじめました。平成8年(1996年)には、文化財の登録制度をスタートさせました。埼玉県では平成8年(1996年)に、「埼玉県の近代化遺産 近代化遺産総合調査報告書」が埼玉県教育委員会から発行されました。

旧六軒町郵便局(昭和初期) 国の登録有形文化財
 

 総合調査のなかで、川越市は県下最高数の調査物件を数えています。67件の内訳は、産業34件、土木7件、交通21件、その他5件となっております。織物市場も調査対象物件として取り上げられています。そして数ある物件の中でも「川越でもっとも近代化遺産にふさわしい」とコメントされています。ここで織物市場に関する部分を転記してみます。

「明治43年、旧鉄砲町に建てられた旧織物市場は、織物取引のための市場建築としては関東地方でただ1つ残存するものである。明治末期にかけて、綿織物類の集散で新興の所沢におされつつあった川越の織物商人たちが、勢力挽回を期して共同で設立したという経緯を持つ。風雪に耐え、閉鎖後は集合住宅として再利用されることで解体をまぬがれている。この貴重な市場建築は川越の近代化遺産として最もふさわしいもので、何とかして歴史的町並みの一員にくわえ、織物資料館のような施設として再生できないものか。」

 笹原門樋(明治34年) 川越市古谷上

 川越には蔵造りの町並みをはじめ、多数の歴史的な建造物が残されています。それに加え、近代化遺産の視点でみると、川越は近代化遺産建築の宝庫であり、また川越の景観を形成している重要な要素であることが容易に認識できます。川越織物市場の友人たちともいれるこれらの近代化遺産をここに多数紹介し、それを改めて認識し、愛着を深めていこうと考えております。

川越市の近代化遺産調査対象物件リスト

参考文献
(1)日本の近代化遺産 −新しい文化財と地域の活性化− 岩波新書 695 伊東 孝 2000年
(2)近代化遺産を歩く 増田彰久 中公新書1604 2001年
(3)埼玉県の近代化遺産 近代化遺産調査報告書 埼玉県教育委員会 1996年
(4)川越景観百選 川越市都市計画部都市計画課 1994年
(5)都市景観重要建築物等指定 川越市都市計画部都市計画課 2002年現在