行ったで!! | |
以前からビリー・ジョエルの歌はよく聞いていました。 New York State Of Mind
という歌に次の様な一節があります えぇい、行ってまえ。マイアミへ 今回の航空券はJAL悟空で。ホテルは4☆で比較的安かったフォーポインつシェラトンをアップルホテルズで予約しました。 |
日 |
時 | 便名等 | 行 程 | とまり |
01.01.20 |
08時40分
12時35分 11時10分 |
JL152
JL046 JL5618 |
伊丹空港から成田空港へ 09時05分着
成田空港からダラス フォートワース空港へ 09時00分着 ダラス フォートワース空港からマイアミ空港へ 14時57分着 |
Four Points Sheraton(2泊)
Fontainebleau Hilton(3泊) |
01.01.25 |
07時00分 11時00分 |
JL5451 JL029 |
マイアミ空港からシカゴ オヘア空港へ 09時14分着 (3時間14分) シカゴ オヘア空港から関西空港へ 翌15時40分着 |
ダラスの熱い日 | |
アメリカのメインランド行きの飛行機はビジネス客が多く見られ、アメリカ人の割合も高かった。経由地はダラス。映画の題名にあったので、冬ではあるが暖かいイメージがありました。しかし、実際はマイナス2度。本当に乗り継ぎの地とだけになりました。 マイアミの空港に到着すると、アメリカの南端。ラテンの空気がただよっています。しかし、ダラス同様肌寒い。空はどんよりと曇っていて、常夏の避寒地としてやって来たのに、どうも異常気象のようだ。ホテルに向かうタクシーの黒人運転手は皮ジャンを着ていました。 |
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ホテル変更 | |
ホテルに到着したころは、あたりは暗くなっていた。ホテルは古めかしく、客の姿も見当たらない。アサインされた部屋は海側の反対、道路側の2階。眺望もリゾート感じさせない。事前の情報があまりなかったので、ホテルの選択を失敗したと直感した。相談の結果、隣にあるヒルトンに移ろうということになり、まずアップルホテルズのロサンジェルスの窓口にキャンセルの電話をした(日本語対応)。その結果、3泊分はキャンセル(返金)できないので、予定どうり宿泊することとした。次にニューヨークのヒルトンの窓口に電話をすることに。これはお母さんの担当。[Can you speak Japanese?」 どうも、その人は話せないが、しゃべれる人を探してくれているらしい。さすがヒルトン。しばらくして、お母さんと宿泊予約担当と日本語を話す人の三角キャッチボールが始まり、なんとか2泊分確保することができた。 翌日、明るくなってホテル内を観察してみると、歴史を感じるなかなか雰囲気のある落ち着いた感じで、小さいながらプールも海に面し、ちょっと早合点し過ぎたようだ。 |
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キーウエスト | |
アメリカの最南端を「Southern most」という。ここまで来たら行っときたい。ホテルの窓口で現地ツアー(英語)に申し込み参加しました。翌朝早く、ホテルにやって来たのは1台のワゴン車。参加者は我々4人のほかに5人。皆さんアメリカ人と思っていたのだが、一人で参加している若い女性が日本人でした。日本でツアーコンダクターをしていて、勉強のためメキシコからアメリカを2か月ほど回っている途中で、色々な話をさせてもらい、翌日にも夕食をご一緒した。 車はCMにもよく使われている海の上を走るセブンマイルブリッジを走り、アメリカ最南端キーウエストに到着し自由行動。ヘミングウエーの家、サザンモスト・ポイント、コーチのアウトレット等を回り、ホテルに帰着したのは夜遅くなってからでした。 |
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それでも泳ぐ | |
フォンテンブローヒルトンは1,200室もある大ホテル。プールもでかい。皮ジャンを着ている人がいるかと思えばプールで泳ぐ人もいる。ちょっと考えられない光景の中、我が家族もプールにゴー。
ヒルトンのプールは、屋外にもかかわらず数ヶ所加熱した水を吹き出すところがあった。冷たい水に耐えられなくなれば暖かい水のまわりでリセットし、また泳ぐの繰り返しでした。 |
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セリアル | |
帰りはシカゴ経由でシカゴまではアメリカン航空。機内でセリアルと言いながら朝食が配られた。セリアル?と聞くとシリアルです。と日本人アテンダントでした。機内の男性がすいませーんとアテンダントを呼ぶなど、米国内線だが日本人が普通におりました。 今回はホテルを変更するなど、今までにない経験をしたけれど、東南アジアにないアメリカの大人のリゾートを経験しました。 |
料 金 |
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航空券 |
\66,000×2 大人 \44,300 Aちゃん \6,600 Mちゃん |
ホテル |
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