KTWのM1873ウインチェスターをベースに
ウインチェスターM1866を作りました。





まずはウインチェスターレバーアクションのおさらいから。


1860年
M1860ヘンリーライフルをニューヘイブンアームズが発売。




真鍮フレームでチューブマガジン、
装填はバネを引いて銃身側から装填。
装弾数は16発。

弾は雷管のない44口径のリムファイアー
チューブマガジンの前の弾薬を叩けないように
平らな弾頭。



1866年
社名をウインチェスターに改名し
M1866イエローボーイを発売。




真鍮フレームの横から弾を込められるようになり
木製のフォアグリップが付く。

長さによりマスケット、ライフル、カービンと3種類あり、
弾薬はヘンリーライフルと共通の44リムファイアー
装弾数がマスケットとライフルが17発
カービンが13発。



1873年
M1873を発売。
下2ケタの数字でM73ともいいます。


鉄フレームになり
エジェクションポートにカバーが付く。
リムファイアーよりも強力な雷管付きの
拳銃弾44−40が使えるようになる。
(強力と言っても普通の拳銃弾)
装弾数はライフルが14発でカービンが10発。




ちなみにコルトも
44−40弾を使えるピースメーカーを発売する。


コルトSAAの44-40弾仕様のモデル名は
コルトフロンティアシックスシューター。



1886年
M1886(M86)を発売。



フレームのサイドプレートが無くなり
ワンピースフレームとなり強度が上がり
西部ではライフルカートとしてスタンダードだった
45−70弾が撃てるようになる。


1892年
M1892(M92)を発売。


せっかく前のM1886で
ライフルカートが撃てるようになったのに
なぜかM92ではフレームをひと回り小さくして
拳銃弾専用モデルとなる。
(画像手前がM92で奥がM1886)

これ、理由が分からないのですが
ピースメーカーとの弾薬が共通の方が都合が良いのか?
それともM1886が重たくなりすぎて不評だったのか?


1894年
M1894(M94)を発売。


拳銃弾仕様だったM92のフレームよりも大きくし
30−30という専用弾薬を使います。
(画像上がM92で下がM94)




30−30という弾薬から
黒色火薬から煙が少なく高威力な無煙火薬になり
45−70よりもカートが細くなり弾頭も小さくなり
小口径高速弾みたいになる。
ジュール値は黒煙火薬の45−70とほぼ同等。
(2500ジュール前後。)

45−70はデカ過ぎて扱いづらく拳銃弾だと威力不足。
こうなったら専用弾作ろうと思ったんだと思います。

画像の弾頭の赤い部分はプラスチックで
前の弾薬の雷管を叩いても問題ないようになっている
現代の弾薬で西部劇時代の弾頭は平らです。
平らな弾頭は空気抵抗が悪いので精度も悪く飛びも悪い。

こうしてウインチェスターライフルはM94を持って
西部開拓時代の完成形ライフルとなる。

その後ウインチェスターはロシアからの依頼で
空気抵抗が良い弾頭がとがった弾薬が使えるように
ボックスマガジンのM1895が作られるが
そのモデルが最後となり
ボルトアクションライフルに移行する。



ウインチェスターレバーアクションは
1860年からほんの30数年の間に
目まぐるしく進化していきます。
西部開拓時代(1860〜1890)はウインチェスターの歴史と言ってもいいと思います。

これだけ早く進化していく背景には
それだけ色々な戦いがあったんだと想像できます。

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