愛媛と香川の国宝と城めぐり 2012年2月29日-3月4日

3月1日(木)

工場
工場萌えな瀬戸大橋からの眺め(07:33)
29日夜の22時半に横浜からサンライズ瀬戸に乗り込み、目が覚めたのは岡山の手前。車内放送によると、列車は東海地方での人身事故の影響でなんと30分も遅れているという。そんなことがあったなんて、爆睡してて気づかなかった。それにしても、いきなり前途多難である。
最初の目的地である神谷神社へは、坂出からバスで行く。バス待ちの間に早朝営業のうどんでも食べられたら、と思っていたが、列車が30分も遅れては無理というもの。坂出に着いて10分ほどでバスが出てしまうので、駅高架下のパン屋でサンドイッチを買ってバス車内で食べた。

神谷神社

神谷神社
神谷神社本殿(国宝)(08:45)
神谷神社
神谷神社本殿(国宝)の細部:800年前の部材にはくさびで木材を割った跡がそのまま残っている(08:50)
15分ほど乗って、バス停高屋で下車。実はバスは「高屋南」で降りるのが正解なのだが、ネット情報に「高屋」下車とあったので、それを鵜呑みにしていて、高屋南を過ぎて高屋まで行ってしまった。まあ、「高屋南」を通らない便もあるようなので、間違いではないのだろうが・・・停留所1つ分を歩いて戻る。地図を印刷しておいてよかった。まあ、ケイタイとかのGPS機能を使えばいいのだろうが・・・
さて、神谷神社は、事前に申し込めば回廊の内側に入れてもらえて、本殿を間近に見ることができる。神社としては非常に珍しい。前日に、ちょっと早いが朝8時半に拝観したい旨を電話したところ、早朝でもよいと快諾いただいた。ところが約束の時間になっても社務所はもぬけの殻。やきもきしながら待ったが10分ほどしたところで我慢できなくなり、すぐ近くの宮司さんの家の玄関チャイムを押したら出てきてくれた。
宮司さんに導かれるままに、本殿の周りをガン見しながら1周した。この本殿は、棟木の墨書から1219年の建立であることがわかっている。神社社殿としては最古の部類に入る。京都の宇治上神社の方がもう少し古いらしいが、明確な建立年は不明であるため、神谷神社は「建立年の判明している神社建築としては」現存最古ということになる。宇治上神社もそうだったが、屋根の反りが官能的なほどに美しい。
宮司さんが、楔で木材を割った跡が建物裏の目立たないところにあるのを教えてくれたり、高欄の上と下とで柱の化粧が違うだとか、伝統建築好きなツボを突く説明をしてくれる。部材は建立当時のものが800年間そのまま使われているそうな。内部は宮司さんといえども年に1回くらいしか入ることはないが、風雨に晒された外とは違ってとても美しいままだということだ。
こういう厳かな社には鬱蒼とした林が似合うような気がするが、境内は明るい。最近の防火装置設置の際に、防火の観点から周りの樹木を伐採することになり、泣く泣くばっさりやったのだとか。

坂出のまち

民家
坂出によく見られる豪壮な民家(09:14)
足跡
坂出によく見られるナゾの足形(09:39)
帰りのバスの時間が合わないので、予讃線の鴨川駅まで歩くことにした。Googleマップによると37分かかることになっているが、我々の足ならもっと早く着くだろう。多度津行きの電車が来るのが40分後なので、ちょうどいいだろう。
道沿いには入母屋屋根の下に庇を巡らした立派な家が多く並んでいた。それらの家屋では、庇の上はあざやかな青い模様で彩られ、四隅には松や亀などの瑞祥模様の飾りが彫り込まれたりしていた。香川地方には四方蓋造という独特の民家形式があるのだが、よくよく調べてみるとそれとはちょっと違うようだ。
一方、足元に目を移すと、歩行者に一旦停止を促す足形がプリントされているのだが、これがまたユニークだった。左右の足の間にある三つ指のは何なんだろう? こういう面白発見があるので、歩く旅は楽しい。
鴨川から各駅停車で丸亀へと向かう。単線なので待ち合わせが多い。

丸亀城

丸亀城
大手付近より丸亀城遠望(10:40)
丸亀城
丸亀城天守(重文)(10:58)
自分の中で好きな城ナンバーワンの丸亀城にやってきた。大手からの眺めは、幾重にも重なる石垣と、その上にちょこんと乗っている天守とのバランスが絶品だ。
見返り坂を登り、とにかく本丸に向かう。天守を眼前にすると、あまりの小ささに「えっ、これが天守閣なの」と思う人が多いのではないだろうか。下から見たときは、標高の高さと石垣の迫力とで要塞っぽい印象だが、目の前のこれはかわいらしすぎる。実際に、現存12天守の中では一番小さいのだ。入り口も白漆喰の壁面を四角く穿っているだけで玄関もなく、至ってシンプル。ちょっと変わっているのは、正面である大手側にてっぺんの入母屋の妻側を見せているところか。
駅でゲットした半額割引券によって100円で入城。内部もとても狭い。とにかく狭く、おかげで天守閣内部にはどういうわけか日本中の城の天守閣の写真が絶対に飾ってある法則の発動が中途半端で、写真は現存12天守くらいしかないのだった。またもうひとつ、甲冑や絵図が展示されている法則もあるのだが、ここではそれもささやかだった。

うどん

うどん
白川うどんのうどん(12:21)
天守を出たときは11時半頃。搦手側の石垣を見上げながら坂を下りた。
昼はうどんにしようと思い、駅でゲットした観光案内に載っている店をあたり始めたら、最初の1軒はどうやら店をたたんでおり、次の店はタバコもくもくでまるで阿片窟。3軒めの白川うどんは公会堂の中で禁煙の店だった。30分近くうろうろして、ようやく昼飯にありつけたのだった。
店に入ったはいいが、一見には勝手が分からぬ。ジモティの皆さんの行動を観察して見よう見まねで列に並んだ。かつりんは月見うどんにかき揚げを付けた。うどんは悪くなかったが、やはり自分は蕎麦の方が好きだ。

ふたたび丸亀城

丸亀城
角度によっては立派な丸亀城天守(重文)(13:26)
大手門
丸亀城大手一の門(重文)の内部(13:43)
店を出たのは12時半過ぎ。松山行きの特急は14時なので、まだまだ時間はたっぷりある。まだ城の搦手側をちゃんと見ていないので、再び丸亀城へと向かった。石垣の積み方には大別して3種類あるのだが、丸亀城はその全てが見られるという点でも貴重だ。搦手には野面積みの石垣があるので見に行くと、この日はちょうどそこが補修工事中で見られなかった。
大手まで戻ってくると、大手一の門の内部が公開されていることに気付いたので入って見てみた。ぶっとい梁は天守にも引けを取らないものだった。中に入って気づいたのだが、門の扉の上の庇は実は石落しになっていた。巧妙に隠されていて、内部を見学しなければ気づかなかった(実は門前の説明看板にちゃんと書いてあるのだけど)。

道後温泉・大和屋本店

能
宿で能を鑑賞する(18:36)
松山駅から路面電車で道後温泉へ。なにげに30分もかかった。宿に着いたのは17時ちょい過ぎ。この宿には能舞台があり、17時半から能の体験教室があるというので参加した。能面を触らせてもらったり、鼓を打たせてもらったり。その後18時半からは実演を鑑賞した。演目は『八島』という面を着けない舞囃子で、義経の霊の話だった。テキストも見ながらの鑑賞だったが、演奏テープの音質が今ひとつだったことも相まって、ぶっちゃけ、なんだかわけが分からなかった。
その後、夕食をとった。量も味も満足のいくものだった。愛媛の酒は旨い。

道後温泉

お菓子
道後温泉休憩コースはお菓子付き(21:13)
道後温泉
道後温泉本館(重文)2階(21:28)
今回の旅行はJTBのフリープランを利用したのだが、そのおまけで道後温泉本館の入浴+休憩セットがついた。そこで道後温泉に出かけた。宿からはほど近い。手ぬぐいの入った湯かごを宿に借り、浴衣でぶらぶらと行く。道にはそんな人たちがたくさんいた。
受付にチケットを提示すると、奥に進んだあと階段を上がるよう指示があった。後で分かったのだが、2階には上がれない入浴のみバージョンがあるようだ。2階が休憩所になっていて、畳の大広間に座布団が並べてあり、そこでさらに浴衣をもらって、1階の脱衣所に行って入浴、という運びとなる。浴場はテレビの旅番組などでよく見るあの浴場だ。「坊ちゃん泳ぐべからず」の札もちゃんとあったが、どうやら女湯にはないらしい(まあそりゃそっか)。
入浴後に2階に戻ると、お茶とお菓子付きでの休憩となる。

3月2日(金)

四国2日めは松山市内の国宝3カ寺をまわる。まずは一番遠い太山寺に行くことにした。
松電松山市駅から寺の近くを通るバスが出ているが、その8時半の便に乗り遅れたため、そのまま市駅(松山市駅のことを地元では「市駅」というらしい)から電車で三津駅まで行き、循環バスを使う行程に変更。

太山寺

太山寺
太山寺本堂(国宝)(10:00)
門前町
太山寺の門前町を見下ろす(10:27)
バス停は二王門のすぐ前だった。市駅からのバスだと停留所が少し離れているため、結果オーライだった。そこから10分ほども歩いてようやく山門の下に。あたりはウグイスやヤマガラが飛び交っていた。階段を登って山門をくぐると、お目当ての太山寺本堂が姿を見せた。
一目見て、これはイイ、と思った。重厚なフォルムと華麗な蟇股。いいお堂の放つ独特のオーラがびしびしと感じられた。内部拝観はなかったが、それでも満足の国宝訪問であった。
帰りはまた同じバス停へと戻る。二王門から見下ろす門前町の眺めはほどよく風情があった。

大宝寺

大宝寺
大宝寺本堂(国宝)(11:48)
大宝寺
大宝寺本堂(国宝)の屋根(11:53)
元来たルートを戻って今度は松電電車を大手町で降り、JR松山駅まで歩いた。観光案内所で大宝寺まで歩いていく道を尋ねると、怪訝な顔をされた。駅から歩いていく人などいないのだろう。
大宝寺は誰もいなくて静かだった。本堂は小じんまりとしたお堂だった。組物も舟肘木だけでシンプル。蔀戸とも相まって平安時代の住宅建築を思わせるが、実は鎌倉時代の建物らしい。正面からは近すぎて後ろに下がれないため、全景写真を撮るのは超広角レンズでやっとだった。裏の墓地に登ると俯瞰することができ、屋根のラインが美しかった。
朝からずっとどん曇りだったが、この頃から雨が降ったり止んだりを繰り返すようになってきた。

道後温泉へ

鍋焼きうどん
一六本舗の「昔ながらの鍋焼きうどん」(13:26)
一六本舗
一六本舗2階の店内:正面に道後温泉本館(重文)がある(13:44)
同じ道をまた歩いてJR松山駅に戻り、松電に乗って道後温泉に向かった。次なる石手寺へは、いったん道後温泉で昼飯を食ってから、歩いていくつもりだ。
昼飯は、道後温泉本館の目の前の有名店・一六本舗2階の喫茶室で、松山風の鍋焼きうどんを食べた。甘じょっぱくてなかなかイケた。まさにB級の王道だ。食後のデザートがわりに、1階で一六タルトとゆず湯をいただいた。

伊佐爾波神社

伊佐爾波神社
温泉街に突如現れた伊佐爾波神社の長い石段(14:11)
伊佐爾波神社
伊佐爾波神社本殿(重文)の美しい屋根(14:23)
店を出ると雨は本降りになっていた。石手寺へと歩いていくと、途中でひときわ長い石段が目についた。ガイドを見ると、伊佐爾波神社というところだった。どうやら本殿なんかが重文に指定されているっぽいので、寄っていくことにした。
ここは神社には珍しく、廻廊内を一周させてもらえる。きらびやかな装飾と、美しい桧皮の屋根が近くで見られ、思わぬ儲けものだった。

石手寺

石手寺
石手寺二王門(国宝)(14:48)
間斗束
二王門(国宝)の組物:正面の蟇股に対し側面は間斗束となっている(15:04)
愛読書『寺社建築の鑑賞基礎知識』の巻頭特集に取り上げられており、前々から来たかった石手寺にやってきた。念願かなって大喜びで境内に足を踏み入れたが、その瞬間、ミョーな雰囲気が漂っていることを察した。
あたりには所構わず看板が立てかけられていた。それらには「平和のいのり」などの文字が踊っていた。まあ、平和祈願ってのは分かる。でも「除曝祈願」て、なんじゃそりゃ。他にも「カクサなくそう」「断原発」などなど・・・ 「フクシマ」とか「ミナマタ」とか、こういう地名をカタカナで書くとこ見ると、間違いない、あの手合だ・・・ 長居すべきでないことを確信してさっさと写真だけ撮って退散することにした。
なんつうか、もう、一言で言えばドン引きなのであったが、二王門蟇股の美しさに救われた気がしたのだった。

道後温泉でカフェ

カフェオレ
レグレット・カフェのカフェオレ(16:09)
レグレット・カフェ
レグレット・カフェはこの建物の2階(16:25)
道後温泉に戻ってきたが、チェックインするにはちょっと早く、かと言って近くに見たいところも特にないので、お茶でもしようということになって、石手寺への往きにも前を通りかかったレグレット・カフェなる民家を改装した店に入った。靴を脱いで2階の座敷でいただくぬるめのカフェオレは、石手寺でげんなりした気分をほっこりさせてくれた。

オールドイングランド・道後山の手ホテル

前夜の和風旅館と違ってこの日は洋風ホテルに宿泊。目当ては松山随一の品揃えというワインだ。珍しいワインが飲めたらいいなあと思っていたが、この日はソムリエさんが不在だったようで、自分たちで考えなければならず、結局普通のチョイスになってしまった。料理がとてもよかっただけに、ちょっぴり残念な気がした。
食後は道後温泉本館夜景を見に行った。

3月3日(土)

本日のメインは宇和島だ。道後温泉が始発の宇和島行きバスがあるのを発見したので、利用することにした。帰りはJRに乗り、途中下車して内子か大洲か宇和か、そういった古い街並みを見ることにした。

宇和島城

道
宇和島城への道は険しい(11:11)
宇和島城
宇和島城天守(重文)(12:01)
宇和島バスセンターでバスを降りた。すぐ裏が宇和島城だ。宇和島城は堀もすべて埋められていて、残っている建造物も天守と上り立ち門だけだ。なにはさておき本丸へと向かう。道は険しいが、きちんと整備されていて問題なく歩けた。
宇和島城天守は、2日前に見た丸亀城天守よりは一回り大きくて、玄関が設けられているあたりはより天守らしい印象だ。小じんまりとした建物に簡素な装飾がよく似合っていた。豪壮華麗な建物もいいが、小さくても均整のとれたこの姿もまた一つの美だ。
内部に入ると、1階には万延元年(1860年)の大修理の際の棟札が展示されていた。「小屋組惣取替」などとあるところを見ると、かなりの大工事だったのだろう。最上階からの眺めはどこかしら南国というか、瀬戸内のような雰囲気を感じた。

鯛めし

鯛めし
一心の鯛めし(12:31)
城の上にはやたらとトンビが飛んでいた。下山を始めたときはちょうど12時だった。時報の音楽は『とんび』だった。
城のすぐ下にある一心という店に入り、ご当地グルメの鯛めしを食べた。普通鯛めしというと鯛のほぐし身がご飯に混ぜてあるものだが、この地ではまったく違う。鯛の生の切身が甘めのタレに漬けてあり、それを生卵・刻み海苔と一緒にぐちょぐちょに掻き混ぜて、ご飯と一緒に食すのだ。そこはかとなく漂うB級感がよかったが、よく考えてみたら、せっかくの新鮮な鯛なのだからやっぱ刺身で食えばよかったという感想になった。タバコを吸う客がいたが、席が遠くてさほど影響はなかった。

宇和島の街

弁当屋
弁当屋のコピーがおもろい(13:10)
弁当屋
弁当屋は看板もおもろい(13:10)
松山行きの特急がしばらくないので、その間に伊達の殿様の隠居所だった天赦園に寄った。梅がちらほらと咲いているほかは特に花もないので庭園はあまりぱっとしなかった。
その代わりにと言ってはなんだが、おもろいキャッチコピーの弁当屋があったりして、宇和島の街が面白かった。びっくりしたのは、天赦園のすぐ近くには学校が固まっていたことだった。小学校が2つと、中学校なんか3つもある。それらが隣り合っているのだ。

内子へ

宇和島駅まで歩いていく間に、午後はどこに寄ろうかと考えながら行った。城めぐりという観点からすれば、再建ながらもちゃんと木造天守がある大洲に寄るのがよかったかも知れないが、時間が遅くなってしまったときに松山に近い方がいいだろうと考えて、結局内子に行くことにした。

内子座

内子座
内子座(15:14)
内子座
内子座内部(15:20)
大正時代に、大正天皇の即位を記念して建てられた芝居小屋。内部が見学できる。客席はもちろん、奈落にまで入れる。2階への階段といい、迷路のようでなかなか面白い。
この内子座の周辺にはまだ古い街並みはない。

町並み保存地区

桝形
きれいに残っている内子の桝形(15:40)
街並
電柱のない内子の街並み(15:40)
大通りを左折して緩い坂道を登っていくと、伝統的町並み保存地区に入る。電柱はなく、桝形もよく保存されている。町並み保存となると、整備しすぎてへんにキレイになっちゃってたりするところもあるが、内子の場合はそこまで行き過ぎず、ほどよく生活感があるのが好印象だ。

上芳我邸

上芳我邸
上芳我邸(重文)(15:44)
上芳我邸
上芳我邸母屋(重文)の小屋組(15:51)
公開時間が16:30までというので急いでやってきた上芳我邸。木蝋生産で財をなした富豪の邸宅だ。老朽化のため、3年ほどかけて修理をしていたのが、半年前にようやく完成した。門をくぐると、あまりの広さに度肝を抜かれた。敷地内から建物を眺める分には無料でO.K.だが、母屋内部の見学は有料だ。
とりあえず2階から屋根裏に上がると、梁が凄い。修理後の措置なのだろう、カーペット敷きになっているのがチト興醒めだが、それでもなかなかの迫力だ。こういった古民家の小屋組を見るといつも思うのだが、ひん曲がった巨木を上手く配して組み上げる空間設計の能力というか3D的な感覚が凄いと思う。

上芳我邸・続き

上芳我邸
上芳我邸母屋(重文)の台所(16:05)
上芳我邸
上芳我邸母屋(重文)の外観(16:10)
4つものトイレが隣接している仕舞部屋やら離座敷やら、松をあしらった釘隠しやらを鑑賞しつつ順路を巡ると、最後の最後はとにかく広い台所。え、桁行17m、梁間5.7mとな。つうことは、96.9平米で約30坪ですか。てことは、ささやかな庶民の住宅ぐらいはあるということで。これだけの広さの炊事部屋があるという。ふむ。
相当端折って見てきたけど、30分も経ってしまった。これまでにも様々な古民家を見てきたりしたけど、これほど凄い家はちょっと記憶にない。もっとじっくり見たかったが、そろそろ閉館時間が迫ってきた。

内子をあとに

街並み
古民家の並ぶ内子(16:23)
旭館
今見てもモダンな旭館(16:26)
わずか2時間ほどでこの街を去らねばならないのは残念だった。帰り道ではメイン通りから少しだけ外れた、旭館という元は映画館だった建物を見てみた。閉館後50年近い歳月放置されてきたようだが、曲線の建物は今見てもモダンと言えなくもない。横浜桜木町のコレット・マーレにも通じるものがある、とはちょっと言い過ぎか。まあとにかく、こんな建物が他にもあるかもしれないと思うと、一日かけて裏通りとかも丹念に歩いてみたい気がした。

四国最後の夜

愛媛の酒
蔵元屋で痛飲(21:20)
愛媛の酒
蔵元屋の純米大吟醸セット(21:39)
この日は道後温泉から離れて中心部の松山全日空ホテルに泊まった。えらい混雑だったが、なんでも200人もの客を集めた披露宴があったとか。夕食はホテルのダイニングにした。
食後は、愛媛地酒の立ち呑みアンテナショップの蔵元屋へ行った。ホテルからは近い。大吟醸飲み比べセットやら愛媛の酒米「しずく媛」飲み比べセットやら。一種の有料試飲ということだ。チェイサーは無料だった。つまみもあって、地のものばかり。味噌が旨かった。さんざん飲んでかなり酔っ払った。一番気に入ったのは、日本心(やまとごころ)の山廃純米吟醸だった。スッキリ淡麗よりはまったり濃醇派の自分の好みにぴったりで、ラベルもカッコいい。
酒はその場で購入できるので、四合瓶を3本ほどと、今宵の寝酒用に山丹正宗の『バリィさんの寝ざけ』を購入した。愛媛の酒はどういうわけか旨い。実にいい気分でホテルに帰ったが、結局すぐに爆睡してしまった。

3月4日(日)

旅の最後の日は、いよいよ松山城登城だ。残念ながら、朝から雨模様であった。

松山城へ

太鼓櫓
太鼓櫓が見えてきた(09:28)
隠門
松山城隠門(重文)(09:34)
ホテルのすぐ近くに県庁があり、その裏が二の丸からの登城口となっている。左手には、道に沿うように登り石垣が続いている。松山城のものは国内最大規模のものという話だ。
くねくね曲がると一際目立つ櫓が見えてきた。どうやら太鼓櫓のようだ。V字に曲がると扉のない戸無門。これをくぐると小さな広場に出て、目前に筒井門が立ちはだかる。ここの防御システムが秀逸だ。攻め手が筒井門に寄せていると、その右手の裏に配された埋門形式の隠門から、城内兵が打って出て攻め手の背後を襲うことができるのだ。
ここを突破し太鼓門をくぐると、本丸の広場に入る。

本丸建築群

天守
松山城天守(重文)(09:43)
野原櫓
野原櫓(重文)の天井(10:05)
天守に入る前に、搦手側の野原櫓の休日限定内部公開があるというので寄ってみた。内部はいたってシンプルだった。1階の梁が2階を支えるのはかなり古い形式だという。この梁がまたぶっとい。

本壇

天守
左から小天守・大天守(重文)・一ノ門南櫓(重文)(10:13)
天守への道は厳重に守られている。城の守りは基本的には塀のような囲いの中に籠るわけだが、万一それが破られた場合には、逆にその囲みを利用して攻城側を取り囲んでしまうような工夫がなされている。本壇配置図を見ると、そのような小さな囲いが幾重にも配されているのが分かる。「本壇」とは天守丸のことで、天守を連結してつくる郭のことだ。

天守

乾櫓
北隅櫓の狭間から乾門方面を見る(10:30)
本壇
小天守から東の眺め:中央下が一ノ門、櫓は左から三ノ門南櫓・二ノ門南櫓・一ノ門南櫓(4棟とも重文)(10:37)
天守群の内部見学は、北隅櫓→南隅櫓→小天守→大天守という順路だ。30分程度かかった。天守からは遠く瀬戸内海が見えるというが、この日の空模様ではさすがに無理だった。

搦手より城を出る

野原櫓
松山城野原櫓(重文)(11:22)
乾櫓
見上げると迫力たっぷりの松山城乾櫓(重文)(11:26)
紫竹門を通って本壇の南側にまわると、先ほど訪れた野原櫓がある。基壇に石垣がなく、1層入母屋の上にさらに入母屋の乗った2階建ての外観は、いっぷう変わった印象だ。振り返ると、北隅櫓・十間廊下・南隅櫓と連なる本壇が、要塞じみていて惚れ惚れするほどカッコいい。
搦手の最大の防御構造物は乾櫓だ。櫓の下は強烈な高低差があり、乾一の門まで下りてから見上げると凄い迫力だった。少し進むと道は土の道になった。雨は小止みになっていたが、それでもやはり下りということもあって歩きにくかった。
下りきったあと、いったん大手方面にまわった。二の丸の石垣を眺めたあと、美術館やらが建つ三の丸の広場から最後にまた天守を仰ぎ見た。朝から午前いっぱいかかって見たが、それだけの甲斐があった。

野菜たっぷり玄米定食

定食
SOH SOH の野菜たっぷり玄米定食(12:35)
JR松山駅まで歩き、駅前にある目立つ建物の「SOH SOH」という自然食の店で昼食をとることにした。満員の店内は女性客ばっかりだった。野菜たっぷり玄米定食を注文した。椎茸の肉詰め天が出色だった。

本山寺

本山寺
本山寺本堂(国宝)(15:42)
本山寺
本山寺本堂(国宝)の組物(15:43)
松山から電車を乗り継ぎ、香川県に入って本山駅で降りた。この小旅行の最後の目的地である本山寺には、駅からきっかり15分で着いた。歩いている間に雨が降り出してきた。
この寺も四国霊場札所のひとつである。本堂は方5間の寄棟で、いい雰囲気のお堂だ。組物もちょっと珍しい。向拝の蟇股の透かし模様も凝ったものだが、さすがに石手寺二王門蟇股の優美さにはかなわない。内部の厨子が珍しいらしいが、残念ながら内部拝観はしていない。
このお堂は、棟木から、奈良の薬師寺東院堂霊山寺本堂と同じ工匠の作であることがわかるという。建築の良さ以上に、そういった学術的な価値が認められての国宝指定なのかもしれない。

四国を後に

駅弁
旅行の最後は駅弁で〆(18:28)
本山駅に戻ってみると、「駅のうどんや」の看板が。待合だか事務室だかを改装した店らしい。ここを知ってりゃあ初日にうどん屋探してあんなにうろうろしなくて済んだのに。
坂出からは快速マリンライナーに乗り、岡山で新幹線に乗り換える間に夕食の駅弁を買った。かつりんは『岡山地ものこだわり トリとりどり いいとこ鶏』、相棒は『下津井旅情』。岡山のワインと、前夜に買ったはいいが爆睡してしまって飲めなかった『バリィさんの寝ざけ』を飲んだ。
岡山から新横浜まではのぞみで約3時間。さすがにちょっと飽きた。
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