西瀬戸内の旅 2009年3月14日-17日

3月14日(土)

関東地方の朝は大雨の予報だったが幸いにも大した降りではなく、駅まで歩く間にジーンズの裾がちょっと濡れた程度だった。新横浜でサンドウィッチを買ってのぞみに乗り込む。昼に尾道でラーメンをガッツリ食べるつもりで朝は少なめにしたのだが、チト物足りない。
福山には9:30に到着。新横浜からたったの3時間。福山では雨はあがっていたが、まだあがったばかりでそこかしこに水溜りが残っていた。

明王院

明王院五重塔
明王院五重塔(国宝)(10:29)
明王院本堂
明王院本堂(国宝)(10:14)
最初の目的地である明王院は、最寄りのバス停から徒歩10分ほどらしいが、このバスが1時間に1本ほどで、次の便はあと40分待たねばならない。歩いても30分強で行けそうなので、ここは歩くことにする。道はかなりわかりにくく、道標なんかないので地図は必携だ。
最終的には川べりに出て、法音寺橋を渡る。この橋は「東洋のポンペイ」と言われる草戸千軒の遺跡の上を通過している(橋には説明板もあった)。草戸千軒のあった場所は川の中洲で、今では野鳥の住みかとなっているようだった。まあこんなところじゃ埋まってもしかたないかなと思う。
明王院五重塔は、純和様の塔だ。ずいぶん前に見たNHKの番組『国宝への旅』では、彩色のきれいな内陣を紹介していた。
かたや本堂は折衷様の代表例とされる。外陣の天井がアーチ型になっていて珍しいらしいが、内部非公開なのが残念。外観では木鼻の上の台輪がいっぷう変わっていておもしろい。このような装飾は、江戸時代のものに似たようなものが少数残っているだけで、中世のお堂では例がないんだとか。
これら国宝2棟が並んでいるさまはさすがに風格があった。30分ほど堪能し、またまた30分かけて福山駅に戻った。腹が減ったが尾道ラーメンが待っているのでここはガマンだ。すると頭の中に矢野顕子の『ラーメンたべたい』が延々とリピートされるのだった。

尾道へ

しかし、尾道ではガイドブックで目をつけていたラーメン屋はどこも長蛇の列だった。そこまでして食う気もしないので、諦めて手近な寿司屋で定食をとった。
満腹になったところで浄土寺へ。

浄土寺

浄土寺
浄土寺多宝塔(右・国宝)と阿弥陀堂(重文)とハトの群れ(13:53)
浄土寺金堂
浄土寺金堂(国宝)(13:54)
浄土寺はJRの線路をくぐったすぐのところに山門を構える。踏み込むと、境内はハトだらけ。ハトは人に慣れすぎていて、そばに寄っても逃げないし動こうともしない。おかげで歩きにくかった。
まず多宝塔を眺める。美しい塔だ。石山寺多宝塔金剛三昧院多宝塔と並ぶ3名塔とされている。華麗な蟇股は鎌倉後期の典型例とされている。
続いて金堂。この堂は、『宮大工と歩く千年の古寺』によると、昭和の頃に解体修理をしたところ、ほとんどの部材は交換する必要がなかったのだという。1327年に建立されて以来そのままなのだ。明王院本堂とよく似ている。
しげしげとを外観を眺めてから(向拝の手挟は現存最古のものらしい)、堂内の拝観を申し込む。外陣までは出入り自由だが、内陣から先は堂守のおじいさんが案内してくれた。まずは内陣。建立間もないこの堂に足利尊氏が参籠したという部屋などをひとしきり解説。しかし暗くてあまりよく見えないのだった。
そのまま隣の阿弥陀堂へと案内される。堂内拝観は金堂だけだと思ってたので、ちょっと嬉しい。ここは内部の長押の上の卍崩しの装飾が見ものだ。この装飾は地の板が白・浮き出た卍の彫刻は表面が赤・側面が緑で、見る角度と明るさで見え方がまるで違うのがおもしろい。おじいさんの説明もエキサイトして絶好調だ。「今日は天気がいいから凄いでしょ」晴れて明るい日の方が濃淡がはっきりわかって美しいのだそうだ。
案内はまだまだ続く。方丈は解体修理中で、庭園ともども見学はできなかったが、解体中のお堂が見られるというのもなかなか変わった体験だ。また庫裏では、平田玉蘊が描いたという襖絵などが見られた。襖絵のあるお堂でも座敷へ上がりこんでまで見せてくれるところは少ない。しかも写真を撮ってもいいということで、サービス満点だった。おじいさん曰く「ここは人が来なくていいでしょう。みんな千光寺公園行ってラーメン食べて帰っちゃうから」ということで、相棒とふたりで吹き出してしまったのだった。

西郷寺

道標
道標にしたがって古寺巡りコースを行く(14:13)
西郷寺
西郷寺本堂(重文)(14:15)
30分以上も熱弁をふるってくれたおじいさんに礼を言ってから外に出て、ふたたびお堂をしげしげと眺めた後、古寺巡りコースをたどって西郷寺へ。ここの本堂は舟肘木の簡素な建物。鳴き龍の天井が見ものというが、あたりはひっそりと静まり返っていてまったく人気がない。勝手に入り込むわけにもいかないので、ここは諦めて退散した。

西國寺

西國寺
巨大な草鞋が吊るされた西國寺山門(重文)(14:27)
西國寺
西國寺三重塔(重文)は坂の途中から見上げるのが美しい(14:38)
次は西國寺。でっかい草鞋を吊るした山門を入っていく。ここは金堂三重塔がよい。金堂は1386年の再建ということで、浄土寺金堂よりやや時代が下るが似たような建物だ。このお堂にも手挟が使われているが、デザインは渦巻模様になって、浄土寺のものよりも進化した印象だ。
三重塔は美しい。しかし近寄って見るとなんか妙な感じを受ける。高床でなく、いきなり石の土台にどすんと乗っているせいだろうか。上重の高欄のせいで頭でっかちに見えるのも違和感の元なのかもしれない。

御袖天満宮

尾道
尾道大橋が見える高台の道を行く(15:02)
御袖天満宮
御袖天満宮の石段は美しい(15:08)
ここで古寺巡りコースをいったん離れてガイドブックのいいかげんな地図を頼りに御袖天満宮へ向かう。このあたりは少し高台になっていて、尾道水道をよく見渡せる気分のよい散歩道だった。
天満宮には大林映画「転校生」で有名な石段があるわけで、土曜日だし、転がって記念写真を撮ってる人たちが絶対いると思ったら誰もいなかった。この石段は一枚岩で造られたとかで継ぎ目がなく、見下ろすと非常に美しい。この美しい石段をああいうシーンで使うというのは、やはり地元出身の監督はよく知っているのだと感心した。

天寧寺

天寧寺
天寧寺三重塔(重文)と尾道の眺め(15:32)
ここから古寺巡りコースにもどる。狭い小路や線路脇を縫うように歩いて天寧寺へ。ここは三重塔のちょっと上から、塔と尾道水道を一緒に眺められるのがいい気持ちだ。
この三重塔は元々は室町時代に建てられた五重塔が、江戸時代に上の2つの層の傷みが激しくて、とっぱらって三重塔に改造してしまったものだという。たしかにそうらしく、三重塔にしてはあまりにもずん胴で、まだまだ上に伸びていきそうな印象。

散策がてら宿へと向かう

小路
宅配泣かせの尾道的な小路(15:43)
跨線橋
映画にも出てくるトラス萌えな跨線橋(15:54)
今宵の宿はグリーンヒルホテル尾道。港の真上にあるホテルだ。翌朝は一番の船で生口島に渡るので、この宿を選んだ。
午後はずっと歩き通しだったので、部屋で少し休憩してから夕食に出かけた。

尾道の夜

青柳
青柳をあとに(19:42)
夜景
小舟が絵になる尾道の夜景(20:10)
中央商店街でパン(翌朝の朝食用)と、セーターや手袋(翌日は寒くなるという予報だったので)などの買い物をしてから、青柳という料理屋へ。予約なしでも入れたが、どうやらそれは時間が17:30と早かったためらしい。人気があるのだ。
コース料理を注文したのであるが、お目当てはおこぜの唐揚げだ。これが自分には大ヒットで、身はあっさりとしていて衣がちょっと濃いめでとても美味であった。衣にちょっと天かすが混じっているのだろうか、これにサクサク感とコクがあっていい。〆の雲丹めしもとろけるようだった。酒は「潮の響」と「天宝一」というものを飲んだ。どちらも広島の酒だ。潮の響は淡麗だがうまみがあって濃醇派の自分にも美味しく飲めた。天宝一は辛口で、米の味がかなりした。
19:40ごろ店を出て、海岸通りをぶらぶらと宿へ帰った。まったく知らなかったのだが、対岸の向島ドックのクレーン群がライトアップされていて(土日限定のようだ)、なかなか見応えがあった。

3月15日(日)

船
瀬戸田行きの船がやってきた(07:18)
部屋で前夜に買っておいたパンで朝食をとり、7時過ぎにチェックアウトを済ませてホテルの1階にある港の待合に降りた。外はかなり寒く、前夜に服を買い足しておいたのは正解だったようだ。
生口島行きの船は7:20発。やってきた船は水上バスタイプの小船だった。乗客は中に押し込まれ、甲板には出られないやつだ。7:19になってようやく接岸。

生口島へ

船
建造中の船(07:54)
瀬戸田
終点瀬戸田港(08:00)
60人くらい乗れる船だったが、乗客は我々ふたりの他には地元の人がひとりだけ。
船はエンジンに合わせてがたぴし揺れ、水面に近いせいかスピード感はあった。特にすることもないので、なんとなく景色を見ていた。因島はドックが多く、造りかけの船があちこちで見られた。佐木島からは客がふたり乗ってきた。佐木島は、海岸沿いに護岸が続いていてその後ろに民家があり、とても瀬戸内海的だった。袴をまくりあげ下駄をつっかけた石坂浩二(または古谷一行)が、帽子を抑えながら走っていそうな雰囲気だった。岬を廻って高根島にかかる橋をくぐったあたりから、左手上に本日最初の目的地・向上寺三重塔が見えた。これなら迷うことはなさそうだ。
生口島瀬戸田港には8時に着いた。降り立った船客は最終的には5人だった。瀬戸田港はほどよくうらぶれていたが、今は使われていない(と思われる)改札口や立派な待合室から、おそらくかつては相当賑わっていただろうことが想像できた。

向上寺へ

看板
向上寺への入口の看板(08:06)
向上寺へは、瀬戸田港を出て北へ海岸沿いに歩き、民家の脇のともすれば見逃しそうな看板にしたがって小路に入っていく。小路はすぐに石段になり、数分で登りきると小さな門があって、そこから先が向上寺の境内のようだ。門前には平山郁夫の「しまなみ海道五十三次スケッチポイント」の標識があった。スケッチと同じアングルで写真を撮ろうとしたが、ちょうど本堂が工事中で、プレハブの工事事務所がもろに入ってしまうのはちと残念だった。

向上寺三重塔

向上寺
向上寺三重塔(国宝)(09:05)
小さな看板にしたがって工事現場を縫うように進むと、お目当ての三重塔は華麗に立っていた。この塔の見どころは、なんといってもその装飾だろう。他の建物には見られない、ここだけの独自の意匠が目白押しなのだ。尾垂木の下の葉っぱの彫刻のような細工も興味深いが、一番インパクトがあるのは花頭窓だろう。初重だけでなく各重に配されているのだが、そんな塔はほかにないらしい。軒下の垂木の並びもとてもきれいで、いくら眺めていても飽きない。
塔の裏山にも道がついていて(潮音山公園)、上からは塔と海を一度に見渡すことができる。尾道の天寧寺と同じような景観だが、こちらは塔の丹塗りで鮮やかで、穏やかできらびやかな瀬戸内海とよくマッチしていた。

瀬戸田観光案内所

サイクリングロード
ヤシの木の並ぶサイクリングロード(09:56)
オブジェ
『島ごと美術館』を謳う島内にはあちこちにオブジェが(10:03)
たっぷり1時間も堪能してから耕三寺方面へ向かう。耕三寺近くの観光案内所にレンタサイクルの拠点があるためだ。大三島に渡るにはバスを乗り継いでいく方法もあるが、不便そうなので、自転車で行くことにしたのだ。
耕三寺は元々興味がなかったが、近づいてみたら外から見てもびっくりするくらいのゲテモノだった。まるでガラスをひっかいたときのあのキーキー音を聞いたときのように背筋がぞぞっとした。こんな酷いものはかつて見たことがない。向上寺で感じた眼福が吹っ飛んでしまいそうで、慌てて目を逸らしたのだった。
耕三寺向かいの平山郁夫美術館(彼がこの瀬戸田の出身だということを今回初めて知った)の裏に瀬戸田観光案内所があり、ここで自転車を借りる。マウンテンバイクもあったが、尻が痛くなりそうなので、ママチャリにした。それでもちゃんと3段変速になっている。
しまなみ海道は各所にサイクリング道が整備されている。瀬戸田から多々羅大橋まではヤシの木が並ぶ「サンセットビーチ」なる海岸沿いを行く。途中から自転車専用の上り道に入り、汗をかきながら登りきると多々羅大橋の入り口に到着。休憩所になっていてベンチがあったのでここでしばし足を休める。水道水はあるがジュースなどの自販機はない。腹が減ったが、前夜の宿でもらったビスケットがひとつあるだけだった。瀬戸田からここまでは40分ほどだった。

多々羅大橋

多々羅大橋
多々羅大橋の橋脚を見上げる(10:47)
多々羅大橋
これより愛媛県入り(10:57)
通行料100円を箱に入れて橋を渡る。多々羅大橋は斜張橋としては世界最大。左側が海で最初ちょっとビビったが、しだいに慣れてきた。多々羅鳴き龍などで遊びつつ、楽しんで渡りきった。
渡った先の大三島は愛媛県だ。

多々羅しまなみ公園

ヒラメ
ヒラメ唐揚げ定食(11:45)
多々羅大橋
井口港の平山郁夫スケッチポイントからの多々羅大橋(12:24)
多々羅しまなみ公園のレストラン「夢岬」でようやくメシにありついた。大三島はヒラメが名産ということで、自分はヒラメ唐揚げ定食、相棒はヒラメにぎり定食を注文。こ、これは旨い。ドライブ客向けのちょろい観光レストランと勝手に思い込んでいたので、ギャップが激しい分余計に点数が高いのかもしれない。店内も禁煙だし、正直言って、前日昼に入った尾道の寿司屋よりよっぽど旨かった。
この公園は多々羅大橋の定番撮影スポットだ。ひとしきり写真を撮ったりしてからまた自転車をこぎ出す。井口港の先にも「しまなみ海道五十三次スケッチポイント」の標識があった。海沿いの道が終わると左に曲がる。平坦だった道は気がつくと上り坂になっており、大山祇神社への山越えにかかったことを認識する。すでに尻が痛くなっていて結構辛い。しかも風は強い向かい風。こいでもこいでもちっとも進まない。自転車を押して歩いた方が速いんじゃないかというくらいだ。
井口港から25分かかってようやく峠を登りきった。あとは下って大山祇神社へ行くだけだ。この下りでも、強い向かい風のために斜度が緩いところではペダルをこがなければ進まないような場面もあった。神社裏の道の駅「しまなみの駅 御島」で自転車を返却し、大三島産みかんのジュースを飲んで喉を潤した。返却のとき、係員氏に「今日は風が強くてたいへんだったでしょう」と言われた。

大山祇神社

大山祇神社
大山祇神社本殿(重文)(13:41)
大山祇神社
大賑わいの大山祇神社拝殿(重文)(13:43)
大山祇神社は大きな神社で、旅行ツアーが引っ切りなしにやってくる。よくよく見ると伊予一の宮の標識が。格式はかなり高いのだ。拝殿本殿はまあざっと見て、目的の宝物館へ。ここの宝物館は「国宝館」と「紫陽殿」の2棟があって、それに海事博物館がセットになっている。
最初の建物は紫陽殿。靴を脱いで上がり、まず右手の部屋へ。こっ、これはなんと!! 刀剣がずらりと並び、思わず興奮してしまう。刀の見方は難しいが、素人の自分には刃文が波うっていて派手なのが、わかりやすくて好みだ。刀でこんなに興奮したのはかつて東博で開催された「日本のかたな」展以来だ。続いて2階に上がるといよいよ国宝のおでましだ。
牡丹唐草文兵庫鎖太刀拵は華麗な拵で、細かい細工が美しい。解説板によれば同種の拵のうちでも最高のものという。国宝本の明るい写真の印象が強く、本物はずいぶん暗いなという感想。
さらに並んで、大太刀が2振。銘貞治五年丙午千手院長吉無銘伝豊後友行だ。同じ大太刀に分類されるが対照的な2振で、前者はとにかく美しく、後者はとにかくデカい。
さらに3階に上がると、そこはめくるめく国宝空間だった。ポスターに「義経の鎧」とある赤糸威鎧。義経が奉納したとかいうことになっているが、見どころは、「大鎧でありながら胴丸である」という点だ。それに見栄えがして美しく、朝日百科「日本の国宝」25号の表紙にもなっているほどだ。
沢瀉威鎧は「なぜにこれが国宝?」といぶかる人ばかりの、残骸といってもいいほどのものだが、実はこれが大鎧の現存最古のものなのだ。その点が評価されての国宝指定なのだろう。
紺糸威鎧は、源平合戦の頃の鎧の美品として知られ、拝観券にもあしらわれている。胴の下半分の装飾がかすれてしまっているのが残念だが、それでも美しいことにかわりはない。
紫綾威鎧も珍しいもの。ほとんどの鎧は組糸か革で威してあるが、これは綾威。「綾」ってのが本で読んでもよくわからなかったのだが、ここで実物を見て得心。スニーカーの靴紐のような、きしめん状の平べったい紐のことだ。綾威じたいの遺例が少ないうえに、さらにこれは最古のものということでことさら貴重なのだ。
隣の国宝館に移る。こちらの方が建物は古いらしい。鎧が所狭しとぎっちりと並べられている。そんな中に禽獣葡萄鏡があった。いわゆる海獣葡萄鏡で、よく磨かれていてシャープな印象。
海事博物館は昭和天皇の船と生物・鉱物の標本ばかりで我々には興味が持てなかったので、さっと素通りしてふたたび紫陽殿をひとまわりしてから出た。
ところでここの展示だが、ただ展示してあるだけで、解説は最小限のものしかない。特に3階の国宝群は名称が記してあるだけ。マニアなら解るのだろうが、素人が深く鑑賞したかったら予習が必須だ(または1階で解説書を買うとか)。あと、建物が古いためか、照明の場所が滅茶苦茶で鑑賞しにくかったのが残念と言えば残念。たとえば紫綾威鎧紺糸威鎧なんかは背後から照明があたって正面が真っ暗という始末。また、酔っ払って大声で騒いでるツアー客が多いのにも辟易した。そんなこんなで美術鑑賞としての環境は劣悪だが、しかしそれでもこの密度の濃いめくるめく空間は堪らなかった。

宮浦地区散策(というか偵察)

マンホール
彩色された大三島のマンホール(16:00)
アイス
伯方の塩と大三島みかんのアイスクリーム(16:09)
宿にチェックインする前に、翌日のために宮浦港まで行ってバス停をチェック。バス停の時刻表を見たら、あるはずの盛行きのバス便がない。はてと思いつつ港に行ってきょろきょろしていると、待合にたむろしていた地元のおぢさんたちがわらわらと出てきて、何を探してるんだと聞いてくる。事情を話すと、盛行きのバスなんかないという。どうやら廃止になったらしい。向かいの大崎上島から船を乗り継げないかと聞いてみると、あっちの島は船会社どうしの桟橋が離れてるからちょっと難しいんじゃないかという。とても困ったが、ここで冒険して島に足止めになったら目も当てられない。結局、車で盛港に行ってそこから船で忠海に渡るのが無難という結論に達した。大崎上島の木江地区とかの古い町も見てみたかったが諦めた。

旅館茶梅

途方に暮れたまま宿にチェックイン。翌日の予定を聞かれたので事情を話すと、宿の車で盛まで送ってくれるという話になった。これで一安心。日曜日で泊まり客も少ないためか、風呂は宮浦港近くのマーレ・グラッシアに車で連れて行ってくれた。
のんびり風呂に入ってから夕食となったが、これがまた凄い量だった。前菜お造りめばるの煮付け鯛の焼き物おこぜの唐揚げ鴨鍋ときて、〆は鯛めし(これが絶品だった)。基本は体育会系のわれわれだったが、全部食べるのが精一杯であった。しかしいずれも当たり前のように美味しかった。酒は伊予北条の「雪雀」をお願いした。元は大三島の地酒を出していたのだそうだが、そこが廃業してしまったとかで、似たような味のこの銘柄にしたとのことだった。

3月16日(月)

朝食
朝食のでべら(07:41)
朝食もなかなか豪勢である。「でべら」という魚(小さなカレイなんだそうな)が旨かった。朝から気分がよい。前夜の食事は魚主体だったせいか、あれだけ腹一杯食ったのに全然もたれていなかった。

本州に戻る

船
忠海行きの船がやってきた(08:56)
船
甲板に出て船旅を楽しむ(09:10)
8:30過ぎに宿を出て、盛港に着いたのは8:50ごろ。9時の船で忠海に渡る。この船はフェリー便で、甲板に出られる。客室は喫煙席と禁煙席とが設けられていたが、同じ室内なので意味がない。外に出て景色を堪能した。風は強かったが気持ちよい。
忠海到着が数分遅れてやきもきした。次の広島行きのJR線の接続時間は9分で、港から駅までは公称5分なのだ。これに乗り遅れると1時間待ちぼうけとなってしまう。同じ船を降りた何人かの人と競うように線路ぎわをダッシュ。列車には間に合った。

大和ミュージアム

大和
1/10の大和の模型(11:34)
呉から大和ミュージアムに向かう。駅からペデストリアンデッキが続き、地上に降りず信号にもひっかからずすんなりと行ける。ちゃんと考えられているのだ。
大和ミュージアムはツアー客が多くて、係員もスーツでキメた女性ばかりでなんかいかにも観光地然としたところが気に入らなかったが、26mもあるデカい模型と、写真撮影可なところはイイと思った。ただ、大和を正面から撮ろうとすると逆光になってしまうのがイマイチだ。

海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)

操縦室
計器がずらりと並ぶあきしおの操縦室(12:24)
潜望鏡
ニコン製(ちゃんとロゴがあった)の潜望鏡(12:28)
続いてすぐ隣の「てつのくじら館」へ。自分は模型の大和より、こちらの実物の潜水艦「あきしお」の見学の方が興味があった。もう頭の中は映画『Uボート』のまんまなのである。ペルシャ湾に派遣された掃海艇のプロパガンダ的展示コーナーを過ぎ(それにしても機雷の種類のなんと多いことか!)、建物の3階からいよいよ潜水艦内に入る。『Uボート』の影響で狭い狭いと思っていた艦内は、そのせいもあってか意外なほど広く感じて拍子抜け。また見学コースは船員の居住区からブリッジへのほんの一部だけだったのはちょっぴり残念(エンジン部が見たかった)。しかし、ブリッジの床が刳り抜かれていてアクリル板が張ってあり、その下に魚雷発射管を見たときにはかなり興奮した。また説明係の人が普通の照明と赤色照明に切り替えてくれたりして、特に赤色照明になったときには、アクティブソナーの「ピコーン・・・」という音を固唾を飲んで待っているような、映画のシーンの緊張感を思い出した。

不動院

金堂
巨大な不動院金堂(国宝)(15:01)
山門
立派な不動院山門(重文)(15:21)
広島に出て、駅ビルの中にあるお好み焼き屋で遅めの昼食をとってから(味が濃すぎてなんかイマイチだった)広電・アストラムラインを乗り継いで不動院へ。ここは不動院前駅のすぐ近くだった(名に偽りなし)。
楼門形式の山門をくぐると、巨大な金堂が。おお、素晴らしい。このお堂は原爆でも倒れなかったお堂として有名だ。中世仏殿建築の最大の遺構で、仏殿というと鎌倉の円覚寺舎利殿が有名だが、それをはるかに凌ぐ大建築だ。架構が超絶に凄いらしいが、内部拝観できなくて残念。しかし桟唐戸の隙間から、なんとか上部の大瓶束の形などは覗き見ることができた。

宮島へ

船
船で宮島へ渡る(16:24)
大鳥居
干上がった大鳥居(重文)(17:03)
帰りはアストラムラインを城北駅で降りて15分ほど歩いて横川駅へ、そこからJR線で宮島口へ。宮島行きの船はすぐに出発した。ちょうど潮が引いていて、大鳥居の下に人がたくさん集まっているのが船からも見えた。
宮島に着くと、宿にチェックインする前にまずは大鳥居へ。この日は18:40が干潮なので、宿に入っていたら間近で見ることができなくなってしまう。夕方の大鳥居は、赤い陽射しが丹塗りを一層際立たせていてとてもきれいだった。
有名な話だが、この大鳥居は地面に埋められているのではなくて置かれているだけ。自重で立っているのだ。近くに寄って見るとなるほどと思う。意外に思ったのは柱がかなりひん曲がっていたこと。まっすぐな柱で出来ているもんだとばかり勝手に思っていたのだ。写真を撮ったりなどしてから宿へと向かった。

旅館岩惣

カキフライ
宮島名物カキフライ(18:58)
あなごめし
宮島名物あなごめし(19:34)
今宵の宿は老舗旅館の岩惣だ。徳川家達や伊藤博文などの著名人(というより「歴史上の人物」と言った方がいいか)もかつて泊まったことがあるという。
宿に着くとたいていは夕食前に風呂に入るが、食後に夜景を見にいくつもりなのでまだ入らない。ここも前日同様料理の基本は魚だったが、唯一の肉メニュー・幻霜ポークの味噌鍋はいいダシが出て旨かった。また、カキフライとあなごめしにありつけた。デザートに百合根のショコラが出たが、これは不思議な食感で感心した。酒は種類が少なく、しょうがないので有名な賀茂鶴にした。金箔が入っているのがちょっとなんだかなあという感じもしたが、ほんのり甘くて魚介にはよく合った。

夜の厳島神社

夜景
多宝塔(重文)から大鳥居(重文)を見下ろす(20:36)
厳島神社
静まりかえった厳島神社(国宝)(21:49)
食後に夜景見物に出かけた。島内の主な建物は22時過ぎまでライトアップされているとか。思ったよりは人は少なかった。まず多宝塔から大鳥居を見下ろしてみる。多宝塔へと向かう「あせび歩道」は真っ暗なので慎重に歩く。その後大鳥居へと向かう。21時ちょっと過ぎまではまだ柱の下あたりへはなんとか行けた。岸にあがって見ていると、見る見るうちに潮が上がってきて、21:30頃にはもう大鳥居へは近寄れなくなった。五重塔真下から眺めてから宿に戻った。

3月17日(火)

本日の満潮は12:42なので、それまで周囲を見てねばる。水に浮いた神社を見ずして帰ることはできないのだ。

朝の厳島神社

厳島神社
屋根のラインが美しすぎる摂社客神社(国宝)(08:43)
回廊
丹塗りの柱が立ち並ぶ回廊(国宝)(09:06)
7:01の干潮を過ぎたばかりでまだまだ干上がったままの厳島神社だが、昼に団体客が押し寄せる前に空いている神社を味わおうということで、とりあえず8:30ごろ昇殿。
建物は1571年の再建だが、優美な蟇股は平安時代的。再建の際も平安時代の手法を踏襲したということらしい。鮮やかな丹塗りの柱が立ち並ぶさまが美しく、眺めていると、陶酔感に似たような不思議な感覚を覚える。週刊朝日百科『日本の国宝』の解説には「快いリズム」とか「万華鏡」がキーワードとしてあげられているが、言いえて妙だ。
結構早い時間にもかかわらず、意外にも団体客が多かった。空いているとばかり思っていたのだが、ちょっと考えが甘かったようだ。

宝物館

宝物館
多宝塔(重文)と宝物館(09:09)
出口のすぐ前にある宝物館へ。国宝は展示されていない、という情報は得てはいたものの・・・これは酷かった。あまりの情けなさに衝撃を受けてよく見ていないが、重文クラスも一切なかったように思う。置いてあったのは江戸時代の刀とか鎧と、工芸品の複製ばかり。平家納経の複製もあったがこれも出し惜しみ感が漂う。どうせ複製を置くんなら全巻豪快に出してあったりすれば気も晴れるのだが・・・
唯一興味を持って見られたのは1876年に大鳥居を再建したときの小屋組の模型。あのでっかい鳥居を囲むように造られてたわけで、それはそれで見ものだったんじゃないかと思った。

多宝塔

厳島神社
あせび歩道からの五重塔(重文)と神社建築群(国宝)のながめ(09:31)
前夜に寄った多宝塔へもう一度。これまた優美な塔だ。蟇股に梵字があしらわれているのがおもしろい。
上の山に踏み跡がついており、登ってみると塔と大鳥居が一度に見渡せた。ガイドブックの写真と同じだ。尾道の天寧寺、瀬戸田の向上寺でも似たような塔+海の景色が見られたが、ここが一番華やかなように思えた。海が広く見えるのと、やはり大鳥居がアクセントになっているからだろう。

五重塔

五重塔
厳島神社五重塔(重文)(09:44)
神社の背後をぐるっとまわって五重塔に向かう。離れたところから見ていて思ったが、惚れ惚れとする実に美しい塔だ。今まで見た中で一番美しいと思った塔は山口の瑠璃光寺五重塔だが、それに匹敵する。屋根の反り具合が絶妙すぎて堪らない。下から見上げてうっとりする。

千畳閣

千畳閣
造りかけ感の漂う千畳閣(重文)の入口部分(09:58)
千畳閣
巨大な千畳閣(重文)(10:06)
五重塔のすぐ近くに、秀吉が建てた千畳閣が建っている。いかにも秀吉的な豪壮な建物だ。秀吉の死によって天井と入り口部分が未完成のまま放置されたというが、もし完成していたら瓦や柱を金ぴかにする予定だったとか。そんな建物がこの平安調の美しい一帯に出現したらと思うとぞっとする。耕三寺もそうだが、「調和」ということを知らないのだ。
そんな経緯はともかく、中に入ると豪快な小屋組に圧倒される。ひん曲がっている不格好な木材を上手く組み合わせていることに気づくが、これは本来なら見えなくなるはずの部分だったからだろうか。あるいは桃山時代ともなるとすでに巨木の調達が難しくなっていたのかもしれない。
また、柱に色んな字があるのが目立つ。大工の署名かなんかかと思ったが、よくよく見るとどうやら落書きみたいだ。墨で書いてあるっぽいし、「江戸下谷」なんてとこみると、少なくとも明治期以前のものなんだろう。

散策

五重塔
町家通りからの五重塔(重文)(10:28)
ひととおりまわってみたものの、まだ満潮までには2時間半もある。表参道や町家通りを1時間ばかりうろうろ。11時近くなってから早めの昼食ということで、神社すぐそばの「芝居茶寮水羽」という店に入ってあなごめしを食す。最初は甘しょっぱいと思ったがすぐに慣れた 。さっくりと焼き上がって香ばしく、なかなか美味であった。
しかしそれでもまだ11時ちょっと過ぎ。しかたないので海沿いのベンチに座って海に浮かんだ大鳥居をのんびりと眺めていた。

満潮の厳島神社

神社
やはり水に浮かぶと一味違う美しさ(12:39)
厳島神社
摂社よりもひとまわり大きい本社の祓殿(国宝)(12:59)
12時を過ぎてようやく厳島神社の建物も水に浸かるようになってきた。12:20に再び昇殿。
しかし満潮時の眺めは期待していたほどではなかった。ポスターでよく見るのは、社殿の柱が完全に海没している姿だが、この日はそういうのは海に突き出た火焼前くらいで、主だった建物の土台は完全には海に浸っていなかった。特に能舞台あたりは周囲も完全に土の上。この3月17日の満潮時の潮位は271cmの中潮で、宮島観光協会の年間潮汐・潮見表の見かたによると、神社が海に浮かんで見える潮位の目安は250cmということだから、ぎりぎりのところなんだろう。完全に浮かんでる状態は大潮のときくらいなのだろう。
そうこうしていると、なんとテレビ局が出現。あ、阿藤快だ。旅番組の撮影をして帰っていった(2週間後の『旅サラダ』だった)。
この、昼過ぎの時間帯は嘘のように空いていて、さっきまで記念写真は順番待ちだった火焼前なんかは撮り放題な感じだった。

宮島をあとに

厳島神社
西海岸からの厳島神社全景(13:23)
西側の海岸のベンチに座ってもう一度神社の全景を眺め、それから宮島をあとにした。広島駅でお土産を買ってから、早めの夕食にかき料理が食べたいと思い、駅ビルの上の方にあった「かき名庵」という店に入った。
しかし店に入ったのが16時過ぎで、帰りの新幹線は17:01発。残念ながら、生牡蠣を2種類(沖の島ヌーボーと大黒神島産)とかき八寸、ジェノヴァ風オーブン焼きを食べただけで時間切れとなってしまった。ここで飲んだ「龍勢」という酒が牡蠣にとてもよく合った。後ろ髪を引かれる思いで店を出た。
これでは夕食としてはさすがに少なかったので、しゃもじかきめし夫婦あなごめしの2つの駅弁を買って新幹線の車内で食べた。お供はビールではなくて日本酒「幻」。すっきりしてほんのり甘く、とてもいい気分で旅行をしめくくれたのだった。
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