愛知近辺の国宝建築を巡る 2006年3月20日-21日

3月20日(月)

新横浜から朝一番のこだま号で豊橋へ。こだまに乗るのなんていったい何年ぶりだろう。
新幹線を豊橋で降り、東海道線で蒲郡へ。蒲郡でJRを途中下車して名鉄に乗り換える。2両編成の赤い電車は20人にも満たない乗客を乗せて、ときどき海を見ながらとことこと走っていく。

金蓮寺こんれんじ

金蓮寺
金連寺弥陀堂(国宝)
金蓮寺
金連寺弥陀堂(国宝)
三河荻原駅へは30分弱で到着。ここから最初の目的地である金蓮寺は歩いて約10分ほどだ。この日は風がとても強く、正面を向いて歩けないほどの向かい風の中を川沿いに歩いた。
金蓮寺弥陀堂は鎌倉時代の典型的な建物ということで、実に簡素。装飾的な要素がまったく見られない。愛知県内はもとより、東海地方で一番古い建物ということだ。軒下の勾配が緩やかなのが印象的だった。
堂前の説明板によると内部の格天井ごうてんじょうも鎌倉期の特徴的なものだとあり、ぜひ見せてもらいたいと思ったが、寺の人はあいにく一人もいなかった(拝観などはなく、境内は自由)。しかたなくお堂の周りをうろうろしていると、折からの強風で正面の板戸が1枚だけぱたぱたと動いていることに気付いた。鍵がかかっていないのだろう。そういえば出発前夜にネットでリサーチしたときに、戸が開いている写真があったことを思い出した。普段は開いているが今日は強風で閉めているだけなのだ。そう思い、縁にあがって戸を上げて中を拝見。薄暗い堂内に白く浮かぶ格天井は見事で、小さな三尊仏があるだけのがらんとした内部と相まって荘厳な雰囲気をかもし出していた。

犬山へ

余坂木戸跡
歴史ヲタクの心をくすぐる余坂木戸跡の鉤型道路
再び蒲郡へ戻り、東海道線に乗って名古屋へ。昼食にボンベイでカレーを食べてから、名鉄で犬山を目指す。
犬山に着いてまず、改札近くにある観光案内所に行って市内散策用の絵地図をもらった。城までの間に古い街並みでも残っていないかと絵地図をよく見ると、余坂という交差点の辺りが鉤型に曲がっている。城下町や宿場町にはよくある枡形の遺構だ。絵地図にも小さく「余坂木戸跡」とあるので、そこを通ることにした。
行ってみると、木戸の説明の看板がでていた。ここはかつての城下町の東端で、6つあった入口のうちのひとつということだった。現代の地元の人たちには迷惑な鉤型の道ではあるが(車は通りにくいだろうし見通しは悪いし)、自分のような城好き・歴史好きにはこういう道が残っているのは嬉しいことだ。

犬山城

犬山城
犬山城天守(国宝)
城下町をぶらぶらと歩いてかつての大手通であろう本町通りに入ると犬山城天守が見えてきた。突き当たりが神社で、「近道」の看板に従って石段を登っていくと、ようやく本丸の入口に着いた。ここで入場料を支払って中に入った。犬山城は20年ぶりだ。平日だからか人が少ない。
犬山城は国宝4城のひとつ。江戸時代からの城主であった成瀬氏が所有する個人所有の国宝建築として有名だったが、数年前に寄付され財団の持ち物になった。入母屋に望楼が乗った極めて古い形式の天守で(かつては現存する一番古い天守と考えられていた)、それが評価されての国宝指定なのだろう。
こじんまりとした建物だが、最上階からの眺望は素晴らしい。最上階は高欄に出ることができるが、金網などが張っていないので、高いところが苦手な自分は下半身がチトむずむずする。20年前は高欄をビビりながら一周した記憶があるが、この日は強風のためか、南面以外は立ち入り禁止となっていた。

犬山市文化史料館

犬山城の入場券で、犬山市文化史料館と、からくり館にも入れる。どちらも城のすぐ近くにある。
時間があまったので文化史料館に行ってみた。内部には犬山祭の車山が展示してあり(車山の出し入れのために背面の壁は巨大なシャッターになっていた)、犬山祭関連の史料が中心だった。山車の出る祭りというと高山や京都が有名だが、他にも日本全国にかなりの数の山車祭りがあることを知った。
からくり館には車山に乗っているからくり人形が展示してあるらしいが、さほど興味がなかったのでパスした。

有楽苑・如庵

如庵
如庵(国宝)正面、屋根に明り取りが見える
如庵
如庵(国宝)内部、暦貼りの茶室
城の東にある有楽苑へ。この苑内に国宝の茶室・如庵がある。やはり城とセットで20年前に訪れたことがある。そのときは、内部に貼ってある暦などに感動したりしたが、この日はなんだか薄暗くてぱっとしなかった。同じく織田有楽斎ゆかりの、隣り合って建っている旧正伝院書院と合わせて内部特別公開が4月にあるらしいが、そんなときにでも来ないと良さは味わえないと思った。

なり多
フレンチ創作料理・なり多(旧奥村邸)
有楽苑の目の前にある今宵の宿、名鉄犬山ホテルにチェックイン。少し休んでから夕食にでかけた。
夕食は昼間に通った余坂交差点のすぐ近くの「フレンチ創作料理・なり多」。たっぷり3時間以上も食事を楽しんでから、夜道をホテルへと帰った。帰り道は郷瀬川沿いを歩いた。犬山城がライトアップされているのが見えた。
犬山は割と最近になって温泉が湧いたとかで、ホテルにも大浴場と露天風呂まであった。

3月21日(火)

明治村に行くか永保寺にしようか迷っていたが、結局国宝の永保寺を選択。

郷瀬川橋

犬山城
郷瀬川橋から犬山城天守(国宝)を望む(左の建物は名鉄犬山ホテル)
ホテルを7:40頃出発。川沿いに行くと犬山遊園の駅まで10分もかからないことは昨夜の食事の帰りに確認済みだ。予定している電車の時間より早いので、橋の上から城を眺める。ほんとうは対岸からが一番美しいようだが、ここからでも充分に絵になる。
橋の上からふと岐阜県側を見るとなにやら電車がたまっているところがあった。ひょっとして、と思い、通りがかりの人に聞くとやはり鵜沼駅だという。橋の中央からだと犬山遊園駅に行くのと鵜沼駅に行くのと大差ないようだ。8:19に鵜沼駅を出発する列車にはまだ20分ほど時間がある。これなら間に合うだろうということで、鵜沼駅まで歩いた。
しかし愛知県側から歩いていくと最初に到着するのは名鉄の新鵜沼駅。駅の職員に聞くと、名鉄側でJRのきっぷを発行してくれて、新鵜沼駅から連絡通路を通っていけた。

永保寺へ

美濃太田で太多線に乗り換え、終点の多治見で下車、バスに乗り込む。10数分で虎渓山バス停に到着。バス停はこの1コ前に虎渓山入口というのがあって間違えて降りそうになった。
バス停のすぐ近くに案内板が出ており、それにしたがって緩い坂を下っていく。線路を渡ると末寺らしき寺院が軒を連ねるようになり、なおも細い石畳の坂を下ると不意に雅な建物が目に入る。それが永保寺観音堂だった。

永保寺観音堂

永保寺
永保寺庭園
観音堂
永保寺観音堂(国宝)
永保寺境内は自由に散策できる(堂内拝観は通常はない)。
まずは池にそって庭をぐるりと回ってみる。名勝に指定されている庭園は、観音堂の強く反った軒と、後ろの岩山に滝が流れ落ちる感じでどことなく中国的な印象だ。夢窓疎石の作ということだが、言われてみれば、崖の使い方なんかは同じく彼の作庭という鎌倉の瑞泉寺の庭に似ていなくもないような気がした。
観音堂は簡素なつくり。戸の模様がおもしろい。

永保寺開山堂

開山堂
永保寺開山堂(国宝)
開山堂
永保寺開山堂(国宝)の組物
開山堂はひときわ奥まったところにあった。柵があり、残念ながら近寄れず。せめて真横から見られたらなあと思ったがしかたない。実は年に一度の特別拝観がこの前の週にあったばかりだったのだが。
軒の垂木がにょきにょき生えているのが印象的だった。

坐禅石

永保寺
坐禅石からの永保寺全景
テレビ番組「五木寛之の百寺巡礼」で、五木寛之が永保寺を訪れた際に、ひときわ高い岩の上から寺の全景を眺めていた記憶がある(録画しておけばよかった・・・)。また、多くの本などで同じアングルの写真が載っている。ぜひとも同じ場所から眺めてみたいと思い、見当をつけて境内の奥に進むと、丸太の階段が山の中へと続いていた。登ると小さなお堂があって、そこで道は終わっているように見えたが、お堂の裏の急斜面にけもの道のような踏み跡が続いていた。山ノボラーの勘によると、これは道に間違いない。登ること数分、見晴らしのよい岩の上に出た。おー、ここだここだ。
観音堂が実にいい角度で鎮座している。後方の庫裏の再建工事現場が痛々しいものの、なかなかの眺めだ。帰宅後調べてみたら、ここは坐禅石といって、夢窓疎石が坐禅を組んでいたという言い伝えのある場所ということだ。この寺が一番美しく見えるのは、やはりこの坐禅石からだと思った。

名古屋ボストン美術館

予定していた見学はすべて終わったが、時間があまったので、名古屋に行く前に金山で下車して名古屋ボストン美術館に寄っていくことにした。国宝見学にこだわるのなら徳川美術館に行くべきだったのかもしれないが、「花鳥画の煌き」という展覧会で徽宗皇帝の絵が来ているというので、ボストンを選択したのだった。

名古屋コーチン料理・つかさ

美術館を出て名古屋についたのは13時過ぎ。せっかく名古屋に来たのだから名古屋コーチンを味わおう、ということで、前日カレー屋を探していた際に気になっていた「つかさ」という店へ。満腹になってから新幹線に乗り、夕方前には帰宅した。
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