鳥取・島根の旅 2004年11月20日-22日

11月20日(土)

朝一番の飛行機で羽田から鳥取空港へ。鳥取は雲が多くすっきりしない天気だったが、雨が降らないだけましというべきか。空港からは直行バスに乗って1時間ほどで三朝みささ温泉に到着。

三朝から三仏寺へ

三徳山(三仏寺)行きのバスまで1時間半ほど時間があるのでとりあえず温泉街を散歩。
三朝はよく名が知られている割に、ストリップ劇場や射的場などがあって田舎の寂れた小さな温泉の雰囲気が漂っていた。散歩しても見るべきものはとくになかったが、温泉神社は手水場が水ではなく温泉だったのが面白かった。テレビのバラエティー番組らしきロケをやっていた。おさる改めモンキッキーと、平田靖なんかがなにやらクイズをやっていた。土曜の朝の静まり返った温泉街に彼らの声が響き渡る。周りがとても静かな中で、超ハイテンションを保っていけるというのは凄いことだと思った。プロなのだ。
手持ち無沙汰なので、本屋に行って「るるぶ」を買った。ガイドブックを持っていなかったのだ。それに、まだ2日目の宿を予約していなかった。当日観光案内所にでも行けばなんとかなるだろうと思っていたが、せっかく買ったるるぶなので、ここで電話で予約することにした。松江しんじ湖温泉で写真付きで紹介されている宿はすべて満室だったが、市の中心部の宿がとれた。
そうこうしていると、バスが来た。バスの席は半分くらい埋まっていたが、その半分以上は地元の人たちで、途中のバス停でどんどん降りていった。

精進料理「天狗堂」

精進料理
天狗堂の精進料理
三仏寺門前に到着したのは11:30。投入堂までは往復1時間以上かかると聞いていたので、ちょっと早いが昼食をとることにした。しかし門前町のようなものはなく、わずかに天狗堂という食事処で精進料理が食べられるくらいだ(寺の精進料理は予約制)。ここはメニューは2000円のコースだけで、軽食の類はない。座敷にあがって料理を待つ間、三仏寺のビデオを見せてもらった。もう20年くらい前のTV番組で、川谷拓三が修験者の格好で案内するものだった。この店も紹介されていたので、それで録ってあるのだろう。
料理は山菜と豆腐がメインで、なかなか美味しかった。豆腐はちょっぴり水っぽかったが、薬味の生わさびが絶妙だった。後をひく味だ。ごはんにはむかごが入っていて、ほこほこした不思議な食感が楽しい。名物のとち餅もついていた。具の入っていない、素朴な味わいだ。また、とち餅は天ぷらにもなっていた。天ぷら種にひとつ変り種があった。それは梅干だった。餅だと思って油断したままひょいと口に入れたら酸っぺー! 食材はすべて周辺の山で採ったものだということだった。
山菜だけだったが結構腹いっぱいになって店を出た。

三仏寺

参道
参道脇の落ち葉
いよいよ三仏寺へ。拝観受付には「スカート禁止」などのものものしい言葉が並んでいた。さっき見たビデオでは腰の曲がったお婆さんがスカートのままでひょいひょいと登っていたので、その後に禁止になったのだろう。拝観料を払い参道を進む。石段を登り、最奥にある登山受付所へ。ここで入山料を払い、登山者名簿に記名し、輪袈裟を受ける。輪袈裟とは、文字通り輪になった袈裟。ぱっと見は白いタスキで、「六根清浄」の文字が書いてある。これを首からペンダントのように下げて歩くのだが、ほとんどの人は駅伝選手がするように、肩から脇にかけていた。
いよいよ山道に入る。我々は山登りを趣味としているので、軽々と登れるだろう。クサリ場があるようだが、山では20kg以上の荷物を担いでそういうところを登り降りすることもあるし、標高差もたったの200mだ。まあちょろいもんだ。
・・・と、思っていたのだが。

難路を行く

山道
登り始めのあたりは土のうの上が道になっている
野際稲荷
野際稲荷を過ぎるとカズラ坂の始まり
ひどい難路だ。まあ修験の道なので仕方ない。
風化によるものか、それとも踏みつけによるものか、道は粘土化して踏み固められ、つるっつるに滑る。登山と全然勝手が違う。登山道も滑りやすい場合があるが、砂でざらざらして滑る場合が多く、つるつる粘土とは滑りの性質が違う。「ざらざら」より「つるつる」の方が怖い。しかも今回はしっかりした登山靴ではなく、使い古して靴底の減ったトレッキング・シューズなのだ。ビデオのお婆さんの身軽さに驚愕しつつ、ビビりながら進む。

とにかく難路を行く

山道
文殊堂 - 薬師堂間のつるつるの道
山道
薬師堂脇から山道を見下ろす
やや平らになると文珠堂の下に出る。10mほどの急斜面を木の根っ子につかまって登る。文珠堂直下の「クサリ坂」は、直接登らず左側に迂回できる。しかし迂回路もツルツルの急坂で、木の根っ子が頼りの登り。登りきると文珠堂の脇に出るが、帰りにじっくり見ることにしてここは先を急ぐ。
すぐ上の薬師堂は残念ながら工事中だった。ここには頼りがいのある木が少なく、トラロープが垂れていた。

ひたすら難路を行く

鐘楼
三仏寺鐘楼
納経堂
三仏寺納経堂(重文)
登りきるとすぐ鐘楼。ここまでくるとあともうほんのちょっとだ。
左に踏み跡が付いているが、そのまま行くと行き詰まる。ここは鐘楼の中をくぐるとラクチンだ。それにしてもこの鐘、重さが2トンあるという。こんな悪路を運び上げるのはたいへんなことだったろう。
馬の背・牛の背のやせた尾根を通過するとすぐに小さな納経堂。神社形式の建築としては、投入堂とともに最も古い部類に属する。目の前の観音堂を通って、張り出した崖の先をまわると不意に投入堂が現れる。

三仏寺奥院(投入堂)

投入堂
三仏寺奥院(投入堂)(国宝)
結局投入堂の前まで40分かかった。率直に言って、感動した。正式には奥院という。平安期の建物というが、軒の反りの優美な感じがそれっぽい。今まで写真で見ていたイメージとは違い、左右の風景の広がりが見て取れるので、崖の中にぽーんと投げ込まれたという感じがよく出ている。周囲の人々も「よくもまあこんなところに」というようなことを口々に言っていた。もちろん部材を運び込んで大工が建てたのだろうが、奇跡だと言われればそう信じてしまいそうな神々しさを感じた。
あまり近づきすぎると見上げるようになってしまうので、「投げ込まれ感」が減少してしまう。それに、近づいたところで細部が見えるわけでもない。オペラグラスを持って来なかったことをちょっぴり後悔した。少し離れたところから見ると美しい。さまざまな長さの柱が独特のリズム感を生んでいる。まるでここから眺められることを計算しつくして建てられたかのようだ。

投入堂を横から見る

投入堂
三仏寺奥院(投入堂)(国宝)を見上げる
投入堂
三仏寺奥院(投入堂)(国宝)を横から見る
だいたいの人は安全なところで眺めたあと帰っていったが、よく見ると右手の崖は小石が適度に露出して凸凹状なので登れそうだ。斜度もだいたい45度くらいなので問題ないだろう。ということで登っていくと、投入堂を真横から眺められた。紅葉とのコントラストがきれいだった。

三仏寺文殊堂

文殊堂
三仏寺文殊堂(重文)からの眺め
文殊堂
三仏寺文殊堂(重文)の舞台下
30分ほども眺めてから下山開始。ヤセ尾根は下りが怖い。こんなところで滑落したらシャレにならない。鐘楼・薬師堂と通過して、往きには寄らなかった文殊堂へ。扉は閉ざされているので、懸造の廻り縁を一周する。ここの縁には柵も何もなく、人ひとり分くらいの幅しかない。下は崖で、高いところが苦手な自分は下半身がむずむずしてきた。周囲の山の眺めは美しかった。紅葉はもうほとんど終わりに近かった。

宝物殿

投入堂
遥拝所から投入堂を望む
なんとか無事に登山受付所に帰りついた。今まで見た寺社の中では間違いなく一番キツかった。輪袈裟を返し、宝物殿へ。
宝物殿には、投入堂の本尊として祀られていた7体の蔵王権現が揃って安置されている。一際目立つ中央の像は康慶の作であるといい、右足を高々と力強く上げている。どうして片足でバランスがとれているのか不思議なくらいだ。他の像は中途半端な上げ方で(蔵王権現にしては珍しく両足を揃えて地面についている像もあった)、そういったあたりにも康慶の腕の良さを感じた。ガラスに照明が反射して見えにくいのが非常に残念だった。他には、投入堂つけたり指定の古材棟札も見ることができた。
バスの折り返し点である三徳山駐車場バス停から、遥拝所が意外と近いので行ってみた。望遠鏡も設置されているものの、これじゃあ見た気がしない。すぐそばまで行けてほんとうに良かったと思ったのだった。

三朝温泉・岩湯

三朝温泉着は15:30。今宵の宿は岩湯。チェックイン一番乗りだった。女性客は色浴衣を選べるので相棒は喜んでいたが、思いのほか地味な柄を選んでしまった。それでも、白地に紺で宿の名前が書いてあるだけの色気のいの字もないありきたりの温泉浴衣よりは100倍くらい良い。
風呂も一番風呂だった。あまり広くなかったが、湯の良さは素晴らしかった。ちょっと入っただけで肌がツルツルになった。洗い場も5つしかなかったが、他に誰も入っていないので問題ない。入浴時間は夜12時までと、朝5時からということだった。
部屋は8畳で、小さな中庭を眺められた。

夕食

夕食
夕食はヒラメの活造り
食事は部屋食だった。予約の時点でいくつかあるコースを選べるようになっていて、我々はヒラメのコースにした。いきなりすき焼きで、続いてヒラメが登場。2人で1匹くらいだろうと思っていたら、なんと活造りが一人ずつに。身も厚くて食いでがあった。エンガワがぷりぷりで美味しかった。ヒラメを1匹丸ごと食べたのなんて初めてだ。解禁になったばかりの松葉がには、足が2本でてきた。白ワインを注文したら、すっきりした中甘口といった感じのドイツワインだった。エンガワに合わせると香りが膨らんで美味しかった。ワインクーラーに入って出てきたのは、こういったところにも力を入れているということだろうか。
食後すぐに布団を敷いてもらって爆睡。目が覚めると夜中の1時で、すでに風呂は終了していた(泣)。

11月21日(日)

朝から厚い雲が空を覆っていた。食事は朝も部屋食だった。カレイの干物が美味しかった。
8:30のバスに乗り倉吉駅へ。大山寺に行くつもりだったが、雨が降ってきたので中止。では松江観光でもしようか。今日のうちに松江を見物すれば翌日は出雲大社に行ける。しかし出雲大社は二人とも行ったことがあるのでなんとなく気乗りしない。そこで、美味い魚でも食いに境港に行こうということになった。また、境港はゲゲゲの鬼太郎の作者である水木しげる氏の出身地で、街には鬼太郎など妖怪のオブジェがあふれているという。食事以外にも楽しめそうなところだ。

米子へ

倉吉から特急「スーパーおき」に乗って米子へ。この特急、本日は車両を増結して3両編成で運行する、とのこと。「特急」、しかも「スーパー」なのに、普段は2両で走っているらしい。時刻表を見たとき「全席禁煙」とあったので、ほぅ画期的だなあと思っていたら、指定席・自由席それぞれ1両しかないので喫煙車の付けようがないだけだった。そのかわりにデッキに喫煙コーナーがあったが、これはもっと密閉してもらわないと煙くて困る。
さて、本日増結されたのは指定席で、自由席は1両だけ。座れるかなあと心配したがガラ空きだった。倉吉からの乗客でようやくほぼ満席になった感じだ。列車は日本海沿いを淡々と進む。海の上にはどんよりと低い雲が垂れ込め、時折晴れ間が差したりして、なんだかへんな天気だった。楽しみにしていた車窓からの大山は見るべくもない。米子に到着すると我々を含め大部分の人が降り、それと同じくらいの人が乗った。

米子

鬼太郎列車
鬼太郎列車
鬼太郎列車
鬼太郎列車側面
境港行きの発車時刻まで40分くらいあったが、ホームで待つことにして0番線に行った。するとそこには妖怪オブジェがあり、早くも水木ワールドが展開されていた。しばらくすると列車が来た。それはなんと、たった1両の鬼太郎列車だった。JRローカル線のディーゼル車に特有の濃いオレンジ色の車体いっぱいに妖怪の絵が描かれている。ライトは目玉おやじで、先頭は鬼太郎車掌だ。車内にも、天井に鬼太郎やらねずみ男やらが。妖怪気分が俄然盛り上がってきた。

境港

境港駅
境港駅で妖怪たちに歓迎される
40分ほどで境港駅に到着。改札口の上部には妖怪たちの歓迎の言葉があった。魂の置き忘れに注意しなければならないらしい。空はどす黒い分厚い雲に覆われ、まがまがしい雰囲気が漂っていた。
まず観光案内所に行き、市内の観光地図をゲット。これで水木しげるロードのブロンズの位置がわかる。また100円で「妖怪マップ」なるものを販売しており、水木ロードの各所にあるスタンプを集めると特製ステッカーがもらえるというので、思わず買ってしまった。これには水木ロードの妖怪の解説もある。
以上のグッズを携えて出発。駅前からすぐ妖怪ブロンズが出現。街灯は目玉おやじになっている。街をあげて売り出しているんだなあと思う。駅を出ると大粒の雨がどばっと降ってきて、さっと止んだ。妖怪がいたずらでもしているのだろうか。

水木しげるロード

鬼太郎
駅前のポストの上ではがきを読む鬼太郎
おおかむろ
おおかむろ
800mほどの通りに86体あるという妖怪ブロンズは、数mおきに頻繁に出現する。すべて写真に撮るつもりなので、時間がかかってしかたない。自分は写真・相棒はスタンプという分業体制にして、まずは通りの南側を行く。
観光ツアーも来ていたりして、結構な盛況ぶりだ。精巧なブロンズばかりで、水木しげる氏の絵の感じがよく出ている。

境港水産物直売センター

市場
活気に満ちた水産物直売センター
水木しげる記念館のあるアーケード街が水木ロードの終点。ここで水木ロードをいったん離れ、水産物直売センターに向かう。土産と昼食が目当てだ。市場に美味しい食堂があるといいのだが。
近いと思っていた市場は案外遠く、記念館前からは歩いて20分ほどもかかった。大きくはないが活気のある市場だった。自宅と実家にそれぞれ松葉がにを送り、自宅にはほかにカレイとノドグロの一夜干しも付けた。不思議に思ったのは、こういう市場なのにカナダ産とかロシア産のカニを売っていたことだった。外国産のカニは境港産に比べてはるかに安かった。

味処「ことぶき」

海鮮丼
ことぶきの海鮮丼
昼。お目当ての海鮮料理を食べたい。市場には食堂はなかったので、るるぶに出ている「峰」という料理屋に行った。市場から10分くらい。しかしたいそうな混雑で、2時間くらい待たないと入れないらしい。そこで、観光案内所でもらった観光地図に載っていた「ことぶき」という店に行った。店はアーケードにほど近いところにあった。
ここで海鮮丼を食べた。ようやく海鮮料理にありつけた。すでに13時をまわり、さんざん歩いてかなり空腹だったのでバクついた。あまり好きでないのに貝が美味かった。ただ、コースかなんかでもっとたっぷり魚介を堪能したかったので若干不満は残った。

再び水木しげるロード

ねずみ男
ねずみ男
こなき爺
こなき爺
再び水木ロードに戻る。記念館はジオラマ中心ということなので割愛し、その分、妖怪パンを買ったり妖怪神社に寄ったりして、駅までのんびり歩いた。写真もスタンプも全部集めることができた。特製ステッカーにあった一言は「のんきに暮らしなさい」だった。行きと同じ鬼太郎列車に乗り、車内で妖怪パンのうちのぬり壁を食べた。歩きつかれたせいか、猛烈な睡魔に襲われた。他の妖怪パンは明日のおやつにとっておこう。

松江へ

米子では接続時間が短く、もたもたしている間に松江行きの電車に乗り遅れてしまうというハプニングがあった。そんなこんなで松江着は17時を過ぎ、夕暮れの街を歩いていると、再び雨が降ってきたりした。

松江・大橋館

三朝からるるぶを見て予約した宿は大橋館。松江大橋のすぐそばにあり、小泉八雲ゆかりの宿ということだ。
チェックインの手続をすると、まずロビーに案内され、菓子と抹茶のサービスを受ける。あまり広くないロビーには生演奏の琴の音が響き渡っていた。この宿も女性客は浴衣をチョイスできた。相棒は昨夜の経験を生かしてピンク色の派手目な浴衣を選んだが、見回してみると中高年の女性泊り客の多くは、昨日の宿で選んだような地味な薄紫の浴衣を着ていたので、ちょっと派手に思うくらいがちょうどいいのだと思った。
由緒ある宿ということで、そういった接客などは申し分なかったが、施設がちょっと古かった。たとえば部屋のトイレなんかはもともとは和式だったのを強引に洋式に換えた感じで狭かった。まあその分接客で勝負ということなのだろう。あと、意外にも風呂が温泉だったのが嬉しかった。るるぶにはそんなことは書いてなかった。湯は無色で、匂いはほんのかすかだった。ここも12時終了で、晩と朝で男湯と女湯を入れ替える。この日の晩の男湯は、広さは三朝の宿とそう変わらなかった。

夕食

夕食
夕食のかに鍋
夕食
夕食の奉書焼きとかに
夕食は地のものが中心だった。最初はかに鍋だった。奉書焼きは脂が乗っていてとても美味しかった。魚の名前を聞くのを忘れたが、ムツとかその辺だろうと思った。汁物は宍道湖のしじみ汁だった。けっこう身が大きかった。白ワインは島根ワインのフルボトルだった。
今日も歩きつかれたせいか爆睡してしまい、目が覚めたら23:55で、入浴時間を逃してしまった(泣)。

11月22日(月)

宍道湖
朝の宍道湖
今日はいい天気。入れ替わった浴場は広かった。倍くらいあったかもしれない。朝食は座敷の広間でいただく。宍道湖に面しており、朝からしじみとりの船が行き交うさまが見られた。朝食にもしじみが出たが、こちらは味噌汁だった。
本日は午前中を市内観光、午後にお目当ての国宝・神魂かもす神社へ向かう。松江を歩くのは自分にとって高校生のとき以来、18年ぶりだ。最初に、オープン時間が一番早い松江城へと向かった。

松江城

松江城
松江城天守(重文)
松江城
松江城天守(重文)の寄木の柱
松江城天守へは、八雲記念館・武家屋敷との共通入場券を購入して入館。この天守は二層の入母屋に三層の望楼という古い形を残し、下見板張りと白壁のトーンがとても美しい。しかし内部にはあまり興味をそそられるものがない。柱が、姫路城のような巨大な柱ではなく寄木になっているところがちょっとおもしろいくらい。縄張りもかなり破壊されているようで、城郭ファンの自分にはちょっと物足りない。大山は相変わらず雲の中で、最上層からの景色もなんだかぱっとしなかった。

小泉八雲記念館

早々に立ち去り、次に小泉八雲記念館へ。ここではじっくり展示物を見た。前にも見学しているはずだがすっかり内容は忘れていた。が、八雲愛用の机には見覚えがあった。八雲は強烈な近眼で、机をもの凄く高く作らせ、顔を紙にくっつけるようにして執筆していたのだという。
身長は160cmほどと、小柄な人だったようだ。左眼を失明しているせいか、顔の写っている写真はどれも右側からのものばかりだった。ギリシャ生まれということや、日本・松江に来たきっかけなど、たいへん興味深く見学した。今度は忘れないようにしよう。

小泉八雲旧居

庭
小泉八雲旧居・八雲が愛した庭
続いてすぐ隣の八雲旧居へ。ここは共通券の範囲ではないが、共通券を持っていると割引料金で入れる。自分は18年前にも来たことがあり、庭から座敷を覗くだけだったような記憶があったが、部屋にも上がれた。
八雲が愛したという居間からの庭の眺めを楽しむ。小さくてよくまとまった庭だと思う。北側の庭が一番いい。と思っていたら八雲もそう感じていたという。開国したばかりで情報もほとんどなかったであろう当時の日本の、庭のよいところを感じ取れるセンスに感嘆したのだった。

武家屋敷

武家屋敷
武家屋敷前の通りは古い街並みが残る
次は八雲旧居から100mほどのところにある武家屋敷。完全な形で残っている武家屋敷は全国でも数少ないという。中に上がれたような記憶があったのだが、外をぐるりと一周して中を覗くだけだった。思い返すのは弘前の武家屋敷との違いで、ここではいざというときに刀を振り回せるように天井が高く作られているが、弘前の方は逆に振り回せないように天井が低くなっていた(ような記憶がある)。
この、武家屋敷から八雲旧居への通りは、板に白壁の古い街並みが残っている。が、車どおりが激しくて風情はまったくない。堀川めぐりをしようかとも思ったが、堀の中からじゃどうせ城も見えないだろうしつまらないだろうということで、県立博物館に行った。

島根県立博物館

荒神谷の模型
荒神谷遺跡出土状況の模型
博物館には島根県荒神谷こうじんだに遺跡出土品が展示されていた。荒神谷からおびただしい数の銅剣が発見されたことはニュースでも大々的に報じられたので、なんとなく覚えていた。それまで銅剣は日本全国で300本ほどしか知られていなかったところに、1か所から一気に360本も発見されたのだ。またその後の研究で近畿や北九州の青銅器との共通性も明らかになり、古墳時代の地域関係が見直されるきっかけになった。
と、考古学的にはたいそうなモノなのだが、ただのさび付いた剣(のような形をしたもの)で、美術品として見るとまったく面白くない。しかも展示は銅剣・銅鐸合わせてわずか10数点で、他地域のものと同じ工房で生産されたことがわかる「×」マークのついているものはなかった。展示解説にはそのことが書いてあるのに、現物どころか模造品すら置いてなかったのは不満に思った。

出雲そば「一色庵」

そば
一色庵のざるそば
城の大手門の前にある物産館でみやげ物などを見てから、近くのそば屋「一色庵」で昼食をとった(これもるるぶを見た)。出雲もそばが有名だ。
昼ちょっと前なので、店はまだすいていた。お茶ではなく、いきなりそば湯が出されたのでびっくりした。私はざるの大盛、相棒は三味さんみ割子というのをとった。これはおろしなど3種の味が楽しめるセット。セットなので吸い物がついていたのだが、これが卵の白身とそば湯を合わせたものだった。黄身はおろしに混ぜて麺につけて食べる。麺は細く、ツユはかなり辛かった。美味であった。

かんべの里へ

満足して店を出た。ここから散歩しながら松江駅まで行って、駅から神魂神社方面のバスに乗ろうと思っていた。すると「かんべの里」行きのバスが目の前を通った。おーこれだと思ってバス停までダッシュして乗り込んだ。バスは松江駅を経由して30分ほどで終点かんべの里に到着。帰りのバス時刻をチェックすると、なんとこの路線は1日4往復しかなく、次のバスは2時間も先。そば屋の前で見かけたのはずいぶん運が良かったのだ。歩いて10分ほどの県道まで出れば、30分に1本走っているはずなので、帰りはそちらに乗ることにしよう。
神魂神社はバス停のすぐ近くだ。

神魂神社

神魂神社本殿
意外に巨大な神魂神社本殿(国宝)
バス停から歩いて数分のところに鳥居があり、こんもりと木が茂った丘へと石段が続いていた。石段はわずか30段ほど。登りきると目の前が拝殿で、その後ろに目標の神魂神社本殿がそびえていた。思わず歓声をあげてしまった。「そびえていた」と表現したくなるほど、でかい。本やネットで写真を見た印象で村の小さな神社を勝手にイメージしていたが、床も強烈に高く、大人が立って歩けそうなくらいだ。
神魂神社本殿は1583年建立で、出雲にのみ見られる大社造の最古の遺例。案内板によると、宇豆うず柱が壁から著しく張り出しているのが古式なんだとか(拡大)。その柱もぶっとく、圧倒された。

末社

貴布禰神社
珍しい二間社流造の貴布禰神社本殿(重文)
本殿の向かって左にこじんまりと貴布禰・稲荷両神社の2つの末社が鎮座している。特に貴布禰神社本殿は二間社流造で珍しいので要チェック。右側にも末社がいくつかある。
神魂神社に対する地元の信仰は篤いようで、杖をついたお年寄りが参拝にやってきたりした。

八雲立つ風土記の丘

風土記の丘
のどかな八雲立つ風土記の丘を歩く
まだ13時。帰りの飛行機に接続する空港連絡バスは松江駅15:25発。時間はたっぷりあるので、八雲立つ風土記の丘資料館にでも行こうということになった。神魂神社からはのんびりと歩いても10分くらい。あたりはのどかな景色で、なんとなく奈良の山ノ辺の道の雰囲気に似ているように感じた。
資料館の敷地に広い庭があったので、自販機で缶コーヒーを買い、ベンチに座って昨日買った妖怪パンを食べた。鬼太郎パンは結構重く、腹いっぱいになった。

八雲立つ風土記の丘資料館

資料館屋上
資料館屋上から出雲国分寺跡方面の眺め
資料館を見学。ここでおもしろかったのは鹿埴輪。動物の埴輪というと正面を向いて突っ立っているものしか知らないが、これは後ろを振り返っていて、通称「見返りの鹿」。下半身が残っていないのが残念。
そしてまったく知らなかったのだが、なんとここにも荒神谷遺跡出土品が展示してあった。そんなにあちこちに分散させず、どこか1か所にばばんと盛大に展示したほうがインパクトがあるのになあと思った。また、不満に思ったのは館内の写真撮影が禁止であること。午前中に見た県立博物館もそうだった(この資料館も県立だ)。光に気を遣う絵画や、信仰の対象となる仏像のような展示物は一切ないし、所有者も荒神谷遺跡出土品の文化庁を除いては「○○町教育委員会」ばかりなのだから、肖像権のような権利関係も問題ないと思うのだが。考古遺物なんかは、似たような小さい塊がごろごろ置いてあるだけなので、写真でも撮らないと印象が弱くって仕方ない。そういえば図録とかあったのかなあ。
展示室も宿の今朝の大浴場くらいの広さしかなく、この内容で300円はちょっと高いなあと思いつつ、10分ほどで外に出た。資料館は屋上が展望台になっていた。あたりは、ところどころにきれいに紅葉している木があった。

松江へ

県道に出たときは14時だった。偶然だが、「風土記の丘入口」バス停は、日中は00分・30分の通過だったので、バス停に着いたとたんにバスが来た。昨日は米子駅で列車に乗り遅れたが、今日は運がいいようだ。松江駅に早く着きすぎたので喫茶店に入りまったりしてからバス乗り場へ行った。空港では奥出雲ワインの白をみやげに買った。飛行機は満席だった。結局最後まで大山は見えなかった。
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