近江・湖南地方の国宝を巡る旅 2003年12月29日-31日

事前準備

直前まで年賀状の準備やらなにやらで忙しく、出発準備に取り掛かれたのは前日28日の午後から。
まず、各寺に問い合わせ。拝観が予約制のところもあるし、小さな寺だと年末は掃除などで拝観できない恐れがある。で、やはり、常楽寺は正月の準備で忙しいからと拝観は断られた。長寿寺は30・31日であれば、人がいるから声をかけてくれればOKとのこと。善水寺はいつでもお堂は開けているという。いずれにしても境内は自由だ。ほかは神社だからもとより堂内には入れない。
次に宿。草津駅か大津駅がいいだろうと考えたが、草津だと夕食の楽しみが少なそうな気がしたので大津を選択。インターネットで調べ、大津シャンピアホテルを予約した。安いし、駅に直結というのがいい。
インターネットでひたすら現地情報を漁るが、しかし自治体が運行している地域バスの情報がない。時刻表は載っていても、年末年始の運行状況が、どこを探しても見つからないのだ。まあ宿さえ取れればあとはなんとかなるだろう。バスがなかったらタクシーでも使えばいいや。
週刊朝日百科「日本の国宝」をざっと読み終えると時刻は4時少し前になっていた。うへえ、1時間しか寝られない・・・

12月29日(月)

近江へ

5時に起床、支度をととのえて新横浜へと向かう。6:16発ののぞみは、なんと指定席がとれた。帰省ラッシュの大混雑を覚悟していたのでとても得した気分。乗り込んですぐにコンビニおにぎりを食べ即爆睡。
・・・しかし、のぞみは速かった。わずか1時間半で名古屋に着いてしまった。名古屋で30分弱の連絡で、こだまに乗り換えて米原へ。これがまた30分ほどの乗車時間で、全然眠るヒマがない。
しかたなく、車中で本日の計画をたてる。今日は湖南の3神社を周る予定で、おそらく半日あればいいだろう。じゃああと半日はどこに行こうかと考え、高月にある向源寺に行くことにした。というわけで、米原で途中下車し(きっぷは京都まで買ってある)、敦賀行きの各駅停車に乗り換えた。

向源寺こうげんじ

向源寺
向源寺
米原から、寝台電車を改造した各停電車に10数分乗り、高月駅へ。向源寺の十一面観音とはこれで二度目の対面だ。先年、滋賀北部と若狭地方を歩いたときに向源寺にも寄ったのだ。駅から寺まで歩いて15分くらい、道はわかっている。それにしても寒い。あたりには2日前に降ったという雪がまだ残っており、町役場の駐車場にはラッセル車が置いてあった。
寺はひっそりとしており、我々の他には3名観光客がいるだけだった。年明け準備で御身拭いの最中であるとのことで10分待たされたあとで、ぴっかぴかの観音像と対面。いかにも平安時代の作らしい、実に優美な姿である。像高は194cmもあるが重さは44kgとむっちゃくちゃスリムだ。腰を斜め前に大きく突き出しているのが特徴だが、リラックスしている姿のように見えなくもない。民を救う手をちょっと休めてほっと一息ついているのだろうか。そう言えば、隣に座っている大日如来はなんだか険しい顔をしているようだ。観音が休憩中なので、ひとりで必死に衆生を救っているのかもしれない。
ほかに特徴的なのは、その面の配置である。両耳の後ろにどでかい顔がまた見えるが、普通十一面観音は冠の上に面が乗っていて、こんな場所に顔がついているのは法隆寺の壁画と敦煌にしか例がないということだ。また、十一面観音には後頭部に「暴悪大笑面」という豪快な顔の面がついているが、向源寺では像の後ろにまわってこれを見ることができる。
なお、向源寺を渡岸寺どうがんじとも言うが、これは、向源寺の属する浄土真宗では阿弥陀以外の仏像を祀ることを禁じており、この観音像に関しては「別堂であればよし」という本山の特別な許可を得て観音堂に祀っているため、本山に遠慮して、観音堂に限り地名を取って渡岸寺を名乗っているということだ。

苗村なむら神社へ

苗村神社へ
苗村神社の森を目指して歩く
高月から南へ戻り、本日のメインメニュー、神社めぐりへ。長浜で新快速電車に乗り換え、近江八幡駅に着いたのは11時過ぎだった。年末で観光案内はすべて閉まっている。バス停で時刻を確認すると、12:15に草津線の三雲駅行きのバスがあることがわかった。観光地図を見ると途中の川守というバス停から1kmほど南西に苗村神社があるので、そのJRバスに乗ることにした。交通手段もわかったので、駅前の大型スーパーの飲食店街でうどんを食べて早めの昼食とした。
バスは雪に覆われた畑の中を淡々と進むが、川守が近づくと右手(南西)の方角に、そこだけこんもりと森が茂っているのが見えた。バスを降り、いかにも神社っぽいその森を目指して歩くと、果してそこは目的地の苗村神社だった。

苗村神社楼門

苗村神社楼門
苗村神社楼門(重文)
綾戸交差点まで来るとすぐ右(北西)に苗村神社の看板が見えるのでそれを目指し右に折れると、大きな楼門が視界に入ってきた。バス停から15分かからなかった。
神社というと鳥居のイメージがあるが、ここはそうではないようだ。1階部分は壁がなく開放で向こうが見通せるうえに、茅葺きのため屋根が大きく見え、頭でっかちで不安定なように感じる。屋根から雪解けの水がぼたぼた落ち、くぐり抜けるのに難儀した。

苗村神社西本殿

苗村神社西本殿
苗村神社西本殿(国宝)
境内は東西ふたつのエリアに分かれ、それぞれに本殿がある。国宝に指定されているのは西本殿だ。西本殿は左右に十禅師社八幡社を従え、3つ合わせて塀で囲まれており近づくことはできない。塀の上から覗き見る流造ながれづくりでいかにも神社な風情だが、何かが足りない。と思ったら相棒が気付いた。そう、千木がないのだ。そのために屋根上が妙にすっきりしている。

苗村神社神輿庫みこしぐら

苗村神社神輿庫
苗村神社神輿庫(重文)
本殿の脇に小さな小屋があり、よく見ると重文指定の建物らしい。神輿庫とある。全国的にも類例の少ないものなんだそうな。2間×4間で出入り口がひとつなんてのは確かに珍しいような。よく見ると床が地面から上げられている。指定文化財なのに壁にポスターが貼ってあるのが大胆である。

苗村神社東本殿

苗村神社東本殿
苗村神社東本殿(重文)
再び楼門を通り抜け、道路を渡って東本殿へ。バスから見えた森はこの東の境内の森だ。
こちらは囲いもないのですぐ近くまで寄ってじっくり観察できる。建物が西本殿に比べて貧弱に見えるのは、やはり間口が1間しかないからだろうか。

大笹原神社へ

次は大笹原神社へ向かう。しかしこれが公共交通機関で行けるかわからない。近くに村田製作所があり、平日ならばバスは多そうだが、年末ということでどうか。バスで近江八幡まで戻り、野洲に移動してから考えようと思ったが、時刻はすでに14時になんなんとしている。苗村神社からほど近い竜王町役場まで行けば、少しは大笹原神社に近いところへ行くバスがあるかも知れないと思い行ってみると、当然役所は年末休みで、それに合わせてバスも運休ということだった。歩こうかとも思ったが、地図を見ると直線でも10km近く離れているので、やむを得ずタクシーを呼んだ。
タクシーの運転手は大笹原神社を知らなかった。んなアホな、と思ったが、こんなとこに観光でくる人はいないと言う。しかし、幹線道路をずっと走り目的地に近づくと看板が出ており「ああ、この看板なら知ってますわ、これのことやったんかあ」ということだった。

大笹原神社

大笹原神社本殿
大笹原神社本殿(国宝)
車止めを過ぎるとすぐ左側に本殿がある。神社本殿ながらなんと屋根は入母屋。柵があって本殿近くは立ち入れないが、苗村神社と違い建物が混んでいないので全体像は見渡せた。細部に目を凝らすと、派手な蟇股かえるまたが見え、格子戸の模様が実に優美。室町時代(1400年頃)の建物で、現地の説明板によると「東山文化の粋であります」とのこと。面白いのは同じ敷地の篠原神社で、なんと鏡餅の神が祀られているんだとか。実はこの辺は鏡餅の発祥の地とされていて、そういえば地名も「鏡」だ。

御上神社

御上神社楼門
御上神社楼門(重文)
御上神社拝殿と本殿
御上神社拝殿(重文)と本殿(国宝)
車を降りると、すでに正月の準備に入っているさほど長くない参道の向こうに楼門が見える。また楼門だ。そういうお国柄なのだろうか。この門は1階部分は壁があり、中に人物像も安置されている。また屋根が檜皮で葺いてあるせいか、茅葺きの苗村神社楼門よりも雅びて見えるようだ。
楼門をくぐると拝殿が。3間四方のごくオーソドックスなタイプのように見える。

御上神社本殿

御上神社本殿
御上神社本殿(国宝)
本殿はまたもや入母屋屋根だ。しかしこちらは千木がある。屋根の傾斜は緩やかで、なんとも優しい印象を受けた。神社の本殿で、漆喰壁なのも珍しいだろう。窓も連子窓だし、千木がなければ寺院と見まごうほどだ。なお、ここは囲いなどがないので細部も観察できる。
このあと野洲駅へ。駅に着いたときにはまだ15時過ぎだった。竜王町役場 - 大笹原神社 - 御上神社 - 野洲駅で、タクシー料金は6,000円ちょっとだった。

大津・かど萬

かど萬にて
かど萬で近江牛を満喫する
ちょっと早いが宿にチェックインして一休みし、17時過ぎに夕食に出かけた。どのガイドブックにも載っている超有名店、近江牛のかど萬へ。肉そのものを味わおうということで、ロースステーキ150gと、ヒレ肉オイル焼180gを注文。それぞれ付け出しのしぐれ煮、焼野菜、ライス、サラダ付きで、ライスはおかわり自由。焼いた肉が出てくるのかと思ったら生肉が配膳されたのでびっくりした。石板で自分で焼くのだ。ステーキはバターで焼いてポン酢、オイル焼きはサラダ油で焼いてごま系のタレでいただく。
まずヒレを一口。テレビのグルメ番組などで「口の中で肉がとける」と言うことがあるが、んなわけねえだろ、と思っていた。しかし、実際とけてしまった。なんということだろう!! 続いて分厚く切られたロース。かつりんは脂身が好きではないので、少し長めに焼く。甘い。ジューシー。ばくばく食う。焼き具合のコツをそろそろ掴みかけたところで肉がなくなってしまった。まだワインが残っているので焼肉特上を追加注文。しかしステーキ肉の後では肉の味が少なくて美味しくなかった。薄すぎるからだろう。それでもステーキ・オイル焼の美味さはそんなマイナスをものともしないもので、じゅうぶん満足できた。

12月30日(火)

この日は草津線沿線の3つの寺院を訪ね、時間が余ったら石山寺にも寄ることにした。

石部へ

7:00に宿のモーニングを食べ、大津7:56発の電車で出発、草津で草津線に乗り換えて石部駅へ。駅から石部町が運行しているコミュニティバスで常楽寺と長寿寺をまわる・・・つもりだったが、恐れていたとおり、役場の休みに合わせて年末年始は運休であった。しかたない、タクシーでも呼ぶか、と思っていたら駅待合に置いてある観光パンフレットに地図が載っているのを相棒が発見。見るとどうやら寺は4〜5kmくらいのところにありそうだ。なーんだ、歩けるじゃん。ということで歩いて行くことに決定した。
8:25にスタート。ここ石部は東海道52番目の宿場町ということで、観光地として整備中といった感じで、道があちこちきれいになっていた。石部高校前の坂がしんどかったが、それでも40分くらいで最初の訪問地、常楽寺に到着。寺の前も公園のように整備されていた。
地元では常楽寺は西寺にしでら、長寿寺は東寺ひがしでらと呼ばれている。実際、付近の町名も「西寺3丁目」とかいった具合だ。これは京都平安京の東寺・西寺のように、この2寺が古代の紫香楽宮しがらきのみやの東西寺にあたるためだという。

常楽寺本堂

常楽寺本堂
常楽寺本堂(国宝)
寺はひっそりと静まり返っていた。ちょっと前のガイドブックには境内自由とあったが、入山200円だった。入口にはセンサーと防犯カメラが付いており、そこで箱に200円を投入し、入場。
入ってすぐ目の前に常楽寺本堂が佇んでいた。この建物は組物がちょっと変わっている。建立のあと改造が加えられているためということだ。この改造で軒を高くしたということである。ふう〜ん。こうなると外陣内部の組物も見てみたい。中には重文の仏像も安置してあるというし。しかたない、また日をあらためて見に来ることとしよう。

常楽寺三重塔

常楽寺三重塔
常楽寺三重塔(国宝)
本堂の向かって左手の坂上に常楽寺三重塔がある。本堂と塔が並び立つ姿に大寺の風格を感じた。今回訪ねた国宝建築の中では初めての瓦葺の建物だ。湖東三山の西明寺三重塔と並び賞される名塔だ。ただし、西明寺の塔は水煙が残っていないが、こちらは全てのパーツが完存しているのが自慢だ。両塔ともに内部装飾がとても美しいらしい。うーん、見てみたい。
ふたつの国宝建築を充分に堪能してから長寿寺へと向かう。距離1km、徒歩15分。

長寿寺本堂

長寿寺本堂
長寿寺本堂(国宝)
長寿寺本堂の堂内拝観は門前の十王寺に申し込む旨の看板があったので申し出ると「年末で忙しくてやってません」と冷たい反応。電話の話と違うじゃん、と思ったがまあ仕方ない。本堂の中には仏像がうじゃうじゃあるらしいのに、残念。しかたなく境内を自由にぶらぶらさせてもらった。
本堂常楽寺本堂と違って、古の大寺というより「鄙びた村の隠れた名刹」という印象だ。おそらく寄棟・檜皮の屋根が原因であろう。とはいえ、その屋根の緩やかな勾配がとても美しく、魅せられる。建物の年代も、この長寿寺の方が200年くらい遡る。

長寿寺境内

長寿寺弁天堂
長寿寺弁天堂(重文)
長寿寺白山神社拝殿
長寿寺白山神社拝殿(重文)
本堂向かって右手に弁天堂。1間四方と小さいが、檜皮葺の屋根や蟇股の意匠も美しい。肘木の処理もおもしろい。
向かって左手の土手上には白山神社拝殿。3間四方の簡素な建物だが、拝殿なのに格子戸がはまっているのが風変わりだ。
そのまた上には三重塔の跡地があり、礎石が残っている。塔は織田信長が安土に持っていってしまったそうな。

旧東海道

田楽茶屋
石部宿田楽茶屋
駅までの帰り道は、一部旧東海道を歩く。直線に並んだ道がいかにも古い宿場町を思わせる町並みで、学生の頃好きだった街道歩きの楽しさがふつふつと蘇ってきた。町も観光資源として整備に熱心なようで、石部駅にほど近い辻になっているところには「田楽茶屋」なる施設があって休憩もできる。この茶屋、なんと安藤広重の浮世絵・東海道五十三次の石部宿に描かれている茶屋にそっくりではないか。なんとも楽しい町だ。トイレを使わせてもらおうと思ったが、残念ながらここも年末休みで閉まっていたのだった。
石部駅帰着は11:15。2カ寺を廻っておおよそ3時間の道のりだった。やっぱり歩く旅は楽しい。

善水寺へ

さて次なる目標は善水寺。甲西駅からコミュニティバスで行くか、三雲駅からJRの路線バスで行くかで迷った。コミュニティバスは運休の可能性が高いし、JRバスは本数が少なそうだ。どちらにしてもバスがなかったときはタクシーを利用せざるをえないので、とりあえず近い方の甲西駅に行くことにした。
甲西駅で降りてみると、やはりコミュニティバスは年末運休であった。そこで、ちょうど昼時だったので食事をとることにした。おそらく善水寺の周辺には食事をできるところはなさそうだと思われたし、そんなときのために前夜にパンを買ってザックに詰めてはいたのだが、駅の周りなら落ち着いて食事ができそうだ。
駅前のタクシー乗り場に書いてあったタクシー会社の電話番号をメモしてから、少し歩いて国道1号線へ。国道沿いに大きなスーパーがあり、敷地内のファミレスでかつりんはカレー、相棒はドリアを食べた。カレーは、ファミレスにしてはなかなか美味しかった。
電話でタクシーを呼び、乗り込んで行き先を告げると「通れるかな・・・」と運転手の不吉な一言。土砂崩れでもあったのかと思ったが、実は先週の雪で道路が凍結していて通行止めになっていたのだった。今日の暖かい日差しで氷も溶け、道路は通れた。途中ダートも現れる山道を通っておよそ10分で善水寺着、約2,000円だった。

善水寺

善水寺本堂
善水寺本堂(国宝)
本堂の周囲は幕で飾られていたが、これはおそらく正月のための一時的なものだろう。組物が見えないので邪魔だがしかたない。軒を見ると鬼瓦が豪快だ。本堂の中を覗くと住職(と思われる若い坊さん)はガラスなどの拭掃除に余念がなかったが、拝観をお願いすると快く応対してくれ、きちんと説明までしてくれた。
この寺は和銅年間(708〜715)に創設され、和銅寺と号していたが、桓武天皇が病気の際にこの寺に湧く水をもって平癒したとのことで、天皇から善水寺の名前を賜ったのだそうだ。境内には今も水が湧き、近所の人が汲みにきていた。
堂内に入るとなぜか阿吽の金剛力士像がいるが、これはもともとは台風の洪水で流されてしまった仁王門に安置されていたもので、流失前に本堂に避難していたので難を逃れたのだとか。なにかと水に縁のある寺のようだ。

善水寺本堂

善水寺本堂内部
善水寺本堂(国宝)内部
内陣に入ると正面に厨子があり、本尊の薬師如来を祀ってある。厨子の柱は本堂とは別に地面から建てており、これは天台宗に共通するもので、比叡山の根本中堂も同じ形式であるという。ほかにも重文の仏像がぞろぞろとおわします。中でも金銅釈迦誕生仏は、有名な東大寺のものとほぼ同じ格好で、衣紋もそっくりだったのが印象的で、そんな仏像があるのもこの寺の格式の故だろうか(他には例がないらしい)。
仏像以外は写真を撮っても構わないというので、外陣の天井などを少し撮ってみた(暗くて思うようにいかなかった)。柱や虹梁がぶっとく豪快で、暗くてよく見えなかったが彫刻なんかも凝っているようだった。

三雲駅へ

さてタクシーを呼ぼうかと思ったが、寺の入口にJRバスの時刻表が貼ってあり、どうやらちょうどよい便がありそうなのでバスで帰ることにした。拝観申込みの際もらったパンフレットに簡単な地図が刷り込んであるのでそれを頼りに歩き始めた。往きとは違う、南向きの階段の参道を下ってゆく。どうやら往きにタクシーが止まったのは裏の駐車場らしかった。バス停への道はそのまま参道をまっすぐ行き、突き当たりを左に曲がって道なりにまっすぐと、とてもわかりやすかった。下り坂ということもあり、10分ちょっとで近江大口バス停に着いてしまった。時刻表を見るとなんとバスは15分に1本くらい出ているではないか。しかも付近にはスーパーや食堂まである。うーん、往きに甲西駅で降りたのは失敗だったか。しかしこのバス停から寺までは、その逆とは違って少々道がわかりにくいのではないかと思う。要所には道標が出ているが、ホントにこの道でいいのかなーと不安になりそうな道のたたずまいなのだ。
定時にやってきたバスに乗り込むと、わずか10分ちょっと、190円で三雲駅に到着。この距離なら歩けたかもしれない。i-modeで時刻を調べると、石山駅に15時頃に到着できそうなので、石山寺に行くことにした。

石山寺

石山寺東大門
石山寺東大門(重文)
JR石山駅から石山寺門前までバスに乗り、15:20に到着。道路を渡るとすぐ石山寺東大門がある。もともとは鎌倉時代の建物で、桃山期に改修されて、なんだかいろんな時代の要素がごっちゃになっているらしい。千社札がべたべたと貼り付けてあるあたりが、篤く信仰されている寺なんだなあと思った。そういえばここは西国三十三箇所の札所でもあるのだ。さすがは観音の寺である。
門を通ってしばらく進むと拝観受付がある。拝観の終了時間を聞いてみると、16:45とのこと。まだ1時間ちょっとあるのでゆっくりできそうだ。受付の10mほど先の右手に石段があり、拝観コースはその石段を登る。登りきると正面に、石山寺の名の由来となった珪灰石けいかいせきの白い山の上に多宝塔が見える。絵はがきになるほどの有名な眺めだ。

石山寺本堂

石山寺本堂
石山寺本堂(国宝)
本堂はその左手にある。檜皮葺の大きな建物で、2つの堂が組み合わさり、清水の舞台と同じ舞台造も使われた複雑なつくりとなっている。しかし目の前に蓮如堂があって全体像は見えにくいのが残念だ。それでも、脇の多宝塔へと続く石段に登ると屋根を見渡すことができ、この堂の構造の複雑さが垣間見えるようだ。
特別拝観で内陣に入れるというので入ってみた。前年、開基1250年の法要で32年ぶりに本尊の秘仏如意輪観音像が開帳されたというが、その際取り出した4体の胎内仏が公開されていた。それらの仏像は文化庁によって1年あまりの調査を経て重文の指定を受け、ようやく寺に返されたばかりということだった。東京国立博物館の法隆寺宝物館にならんでいそうな、いかにも白鳳な金銅仏などであった。

石山寺多宝塔

石山寺多宝塔
石山寺多宝塔(国宝)
紫式部のぁゃιぃ人形が微笑む薄暗い「源氏の間」の前を抜け、狭い石段を登って多宝塔へ。この塔は1194年建立で、多宝塔としては最も古いものということだ。ほぼ同時期のものに高野山の金剛三昧院多宝塔(1224年)があるが、写真で見比べてみるとずいぶん印象が違う。この違いを決定付けているのは組物ではなく、亀腹の膨らみの差であろう。石山寺は大きすぎず小さすぎず、絶妙な設計だ。ためつすがめつ、四方八方からこの美塔を堪能して、16:30にようやく寺を後にした。

大津へもどる

さて夕食である。門前にはしじみ飯の店もあるが、まだ17時前なのでちょっと夕食には早い。ここはやはり近江牛にしよう。ぶらぶらと唐橋前まで歩き、超有名店「松喜屋」に行くことにした。電信柱に「松喜屋↑直進」の看板が連なる道を、焦る気持をおさえつつ、興奮しながら店の前に着いたが、あいにく予約でいっぱいであった。まあこれは予想された事態であったので、今度は「日本一のうなぎ」を掲げる「かねよ」に行くことにしたが、念のため電話をかけてみると、年末休みに入っていた。まあこれも予想された事態であったので、ガイドブックに載っていた相撲料理「神雷」に行くことにした。唐橋前から京阪で浜大津まで行き、みやげなど買い物をしてから「神雷」へ行くと18時になんなんとしていた。

相撲料理「神雷」

神雷にて
相撲料理神雷の牛肉ちゃんこ2人前
店は案外空いていた。かつりんは生ビール(サッポロ)を頼み、つまみにイカ入り山芋と鯨の尾の身を。そしてメインはやはりちゃんこ鍋だろうということで、牛肉ちゃんこ2人前を注文。出てきた山盛りの皿を見てびっくり仰天。こんなにいっぱい食えるだろうか・・・しかし生野菜が多いので煮てしまえばなんとか食べられる。ちゃんこを食べたのは初めてだったのだが、スープはかつりんにはちょっとしょっぱめだったが、あっさりとしていてなるほどこれなら胃がもたれることはなさそうだ。牛肉もほどよくサシがはいり、甘い。ほぼ完食したところで、ちょっとだけ腹に余裕があった。腹9.5分目といったところだったろうか。しかし2人とも、かしわちゃんこがすごく気になる。というのでちょっと無謀かと思ったがかしわちゃんこ1人前を追加。つくねが入っていればいいなあと思ったが、なかった。それでも都合3人前をなんとか完食し、猛烈に腹いっぱいになった。腹が破裂するんじゃないかと思った。席は上がりかまちだったのだが、帰りに靴を履こうとすると体が直角にならずたいへんだった。隣は2人前注文してまだ残している女性4人組とかで、こんなに食ってるやつは周りにいない。男4人で来て3人前しか食わずにやたらとタバコ吸いまくってる激しく迷惑なテーブルもある。折角の料理がまずくなるじゃねーか、メシ食わねーんならとっとと帰れ。つうかもう腹いっぱいでごっちゃんです状態の2人なのであった。
それでも宿に帰って少し眠るともう腹はすっきりとしているのであった。ちゃんこ恐るべし。しばらく体重計に乗るのはよそう。

12月31日(水)

最終日は、当初は三井寺に寄るだけにして早めに帰ろうと思っていた(大晦日だし)。しかし、昨日善水寺本堂延暦寺根本中堂と同じ形式だという話を聞き、ぜひ実物を見てみたくなった。そこで三井寺のあと比叡山に足を伸ばすことにした。ガイドブックによると三井寺は8時開門となっていたので、前日残した非常食用パンを朝食にして7:30に出発。今にも雨が降りそうだ。

三井寺

園城寺毘沙門堂
園城寺(三井寺)毘沙門堂(重文)
大津はさすが歴史のある街で、ぶらぶら歩いているだけで不意に「札の辻」や「花登こばこ生誕地」などの石碑に出くわす。古い町並みを歩くのは楽しい。そうこうしているうちに三井寺南端・観音堂の下の入山口に到着したのは8時少し前だった。しかし特に閉めきっていないし、中に散歩で入っていく人もいたので、我々もそのまま入った。拝観料はあとで払えばいいだろう。
三井寺は本名を園城寺おんじょうじという。いにしえの天皇がこの寺に湧く水で産湯をつかったことから御井寺、転じて三井寺と呼ばれるようになった。中は広いので国宝・重文建造物を狙い撃ちで見ることにする。したがって琵琶湖の眺めで有名な観音堂は省略。どのみち今日の天気ではまったく景色は楽しめない。
まずは観音堂を北側に少し下ったところにある毘沙門堂。1間四方の小さな堂だが、彩色も鮮やかで彫り物も見事だ。

園城寺(三井寺)灌頂堂周辺

園城寺灌頂堂・三重塔
園城寺(三井寺)灌頂堂(重文)・三重塔(重文)
園城寺一切経蔵
園城寺(三井寺)一切経蔵(重文)
引き続き北上。勧学院は非公開で、門の外から屋根の先っちょだけ見えた。四脚門をくぐると灌頂堂三重塔が並び立つ。手前に柵があり、どちらの建物にも近づくことはできない。三重塔は奈良県の比曽寺の塔を、17世紀初頭の慶長年間に移築したもの。菱格子を使っているのは珍しいらしい。
次は一切経蔵。2層に見えるが実は裳階もこしが付いているためで実際は一重。この建物も慶長年間に山口県国清寺から移築されたもの。
三井寺は豊臣秀吉に寺領を没収されたりなど壊滅的打撃を受けた。その後再興を許され、慶長年間に一気に復興した。その際に、諸国の大名から、領地の寺の建物の寄進を受けたようだ。

園城寺(三井寺)金堂

園城寺金堂
園城寺(三井寺)金堂(国宝)
園城寺鐘楼
園城寺(三井寺)鐘楼(重文)
扉のぴったり閉ざされた金堂に到着。ゆっくり歩いたのでこの時点で8:30。とっくに開いていていいはずのお堂は開く気配すらない。この金堂は桃山時代の代表的な建物ということなので、ぜひぜひ中も見てみたい。やむをえず9時までほかの建物を見て様子を見ることにする。
目の前に鐘楼しゅろうがある。近江八景の有名な「三井の晩鐘」がかかっているわけだが、とても鐘楼に見えない不思議な佇まいだ。
金堂の向かって左に三井寺の名の起こりとなった湧水のある閼伽井屋があるが、残念ながら工事中で、緑のシートを被っていた。それでもそばに寄ると、水が湧き出るごぼごぼという音が響き渡る。

園城寺(三井寺)東大門

光浄院
光浄院客殿(国宝)の屋根
園城寺東大門
園城寺(三井寺)東大門(重文)、左隅に無人の拝観受付所が見える
金堂の裏を行くと光浄院(非公開)で、屋根の上の方が見えた。いかにも書院ぽい雰囲気が漂っていた。
そのまま東大門へ。見事に楼門らしい楼門だ。この門も同じ滋賀県の常楽寺から移築されたもので・・・あっ。常楽寺って昨日行ったところだ。あの寺にこの門があったのかあ。ヘンな話だが、古い友達に偶然再会したような気分になり、この門に妙に親しみを感じてしまった。常楽寺には本堂三重塔が揃って立派だったが、その前にこの門が控えていた姿は壮観であったろう。

円満院

円満院庭園
円満院庭園(名勝)
9時になっても三井寺の受付は無人のままだった。ひょっとしたら拝観は9:30からかもしれない。しかたないのでその間に隣の円満院の庭でも見ることにした。
円満院の受付にも誰もいなかったが、声をかけて少し待つと人が現れた。宸殿しんでんはもと京都御所の御殿を移築したものだ。2列6室で、その部屋に入る人の位によって天井の作りが違う。ふう〜ん。明治初期には県庁として使われていたのだそうだ。ここが役所だったわけ? おっと9:30を過ぎた。大津絵美術館は省略、三井寺に戻ってみよう。
帰り際、入口の看板をよく見ると円満院の拝観時間は9:30からだった。・・・ごめんなさい。

新羅善神堂しんらぜんじんどう

園城寺新羅善神堂
園城寺新羅善神堂(国宝)
さて三井寺に戻ったが、受付は開く気配すらない。こんなに遅いってのはありうるのだろうか。それとも今日が大晦日だから、朝は開けないつもりだろうか。そのへんの情報もどこにも書いていない。ここはもう諦めて次に向かうこととしよう。三井寺なら京都にでも旅行したときにまた寄れる。
大津市役所の前を過ぎ、消防署の角を左(西)に折れる。少しすると天皇陵の参道となるが、参道には入らず、その前にある地図にしたがって斜め前に進むとすぐに新羅善神堂がある。三井寺の所有である。塀に囲われて思うように中を見通せないが、なかなか趣がある。何度も戦火に遭った三井寺の中で、中世より残る唯一の建物だ。

坂本へ

坂本鶴喜そば
坂本・鶴喜そば
皇子山駅まで数分歩く。駅でトイレに行こうと思っていたがなかったので坂本まで我慢した。坂本駅でトイレをすませ(構内にある)、改札を出ようとすると駅員にこれからどうするのかと声をかけられた。比叡山に上がると言うと、比叡山のパンフレットを持たされた。絵地図や解説が載っているので便利だ。
駅を出ると雨がぽつぽつと降ってきた。うー、このままもってくれい。10時を少し回ったばかりだが、今日は朝食が質素&早かったので、駅からすぐの有名店「鶴喜そば」へ。立派な店構えだ。店内は、食事客こそ少なかったが、さすがは大晦日のそば屋、予約分の重が所狭しと積み重ねられており、受け取りの客がひっきりなしにやってくる。そんな中、かつりんは大盛ざる、相棒はざるを食べた。そばはなかなか美味しかった。太さが不揃いだったりしたが、忙しいからか、それともいつもそうなのか。久しぶりの関西風のそばつゆに戸惑いながら食べるとあっという間に食べ終わってしまった。最後にそば湯が給されたので驚いた。関西ではそば湯は出ないと思っていたのだ。外に出ると、いつの間にか雨は本降りになっていた。

日吉東照宮

日吉東照宮
日吉東照宮(重文)
さてケーブルは毎時00分、30分の運行。いま10:30なので次は11時ちょうどの便になる。ケーブル駅までは歩いて10分ほどなので、この待ち時間を使って日吉東照宮に寄った。ケーブル駅脇の橋を渡ってすぐだった。境内の掲示を見るかぎりでは本殿の拝観もできるようだが、しかしこの日は静まり返って誰もいない風情であった。しかたなく塀の外から本殿を覗く。この建物は日光東照宮の2年前の建立ということで、造りなどがそっくりだとか。門内部の装飾などもきらびやかで、なかなか見事だ。正面よりも脇にまわると中がよく見える。本殿と拝殿が並び、繋がれている様がよくわかる。ざっと見て、11時10分前にケーブル駅へと向かう。

比叡山へ

坂本ケーブルの往復チケット
坂本ケーブルの往復チケット
比叡山からは京都行きのバスで帰ろうかとも思ったが、時刻がわからなかったし、ヘタすると運行していないかもしれないので、結局ケーブルで往復することにした(あとでわかったが冬季のバスは1日3本だった)。チケットにもなっている天台座主の書にちなんで2両のケーブルカーはそれぞれ「縁」号、「福」号と名付けられている。このケーブルはなんと日本一距離が長いんだそうで、そう聞いたせいか、片道11分が結構長く感じられた。
山の上もやはり雨だった。ケーブル山上駅のあたりは標高600mほどで、息は真っ白で、足が凍えてしまう。延暦寺は東塔、西塔、横川よかわの3つの寺域に分かれている。横川はずいぶん離れており、ちょっとしたハイキングをする覚悟が必要だ(冬季以外は連絡バスが走っている)。まずは一番近い東塔を目指す。拝観受付では「三塔拝観券」と、三塔と国宝殿との共通券の2種類があった。国宝殿には大したものはないだろうとは思ったが、折角来たんだし、建物が東塔にあって近いので共通券を購入。ちなみにこの場合の三塔とは先の3つの寺域をいう。

根本中堂

延暦寺根本中堂
延暦寺根本中堂(国宝)
東塔中央の広場に着いてちょっと左を見下ろしたところに根本中堂がある。でかい。信仰の力というのはすごいものだ。回廊正面入口から中に入る。1,2,3,4・・・げげっ、正面11間!! 回廊をまわって堂の中へ。薄暗い堂内には香がたかれ、厳粛な雰囲気が満ちている。やはり大晦日の昼だからだろう、人も少なく、しんとしている。内陣を覗きこむと、中はがらんとした空間になっていた。そして善水寺の坊さんの言ったように、石敷きの地面に直に厨子が建ち、独立したひとつの建物として見える。つまり、元々厨子があって、それを根本中堂が覆っているというイメージだ。善水寺本堂では厨子の周りに板が敷いてあったために、柱が直接地面に建っているということがわからなかったのだ。人が徐々に増えてきたら唐突に坊さんの解説が始まった。

国宝殿

大講堂前を通り、あまり期待していない国宝殿へ。新しい建物で、設備が整っていそうだ。1階は広いロビーとなっていて、経典の版木が展示してあった。順路にしたがって地階へ。おおっ、なんと仏像がずらずらと。しかもほとんど全てが重文指定のものである。スバラシイ。今度は2階へと上がる。こちらは文書の間となっていた。延暦寺再建の際の徳川家康の書状などがあった。そしてそんな中に、なんと伝教大師入唐牒と、天台法華宗年分縁起の2つの国宝指定文書が展示されており、最澄の神経質そうな字が見られた。漢文で書かれたものだが、読み下し文も解説してあるのでとてもよく分かる。古文書は湿気や光などの関係で、よほど設備がきちんとした場所でないとなかなか展示できないので、これはすばらしいことだと思う。とても満足した。なお、3階は「研修室」となっていた。

戒壇院

延暦寺戒壇院
延暦寺戒壇院(重文)
元来た道を戻り、戒壇院を見た。2層に見えるがこれは園城寺(三井寺)一切経蔵と同じく裳階があるから。 次に西塔に向かう。歩いて30分くらいだろう。・・・がっ。山道は今だ雪がとけきらず、ところどころアイスバーンになっていた。雨も降り続いているので、もうこれ以上進むのはやめよう。阿弥陀堂周辺をぶらぶらし(ここも雪が多かった)、最後にもう一度根本中堂を眺め、ケーブル駅に戻ったのは14時過ぎであった。

日吉大社

日吉大社西本宮楼門
日吉大社西本宮楼門(重文)と境内
坂本に着いて日吉大社へ。今回の、国宝を訪ねる短い旅の最後の国宝物件だ。神社なので境内を自由に歩けると思っていたが、拝観料300円を支払うようになっていた。受付で簡単に説明を受けてから歩き出す。まず秀吉の寄進といわれる日吉三橋のひとつ大宮橋を渡って一番奥の西本宮へ。またもや楼門の出現だ。門には塀が繋がり、拝殿本殿を囲っている。以前見た和歌山紀州東照宮楼門は邪鬼が軒を支えていたが、ここ日吉大社では猿がその重責を担っていた。

西本宮

日吉大社西本宮拝殿
日吉大社西本宮拝殿(重文)
日吉大社西本宮本殿
日吉退社西本宮本殿(国宝)
拝殿は3間四方、開放のオーソドックスな造り。一昨日見た御上神社拝殿とは違い、屋根の妻側が正面となっている。
その奥の本殿はと言えば、縁に狛犬がででーんと鎮座している様がなんだかユーモラス。ロープが張ってあり、建物の正面にはまわれない。造りは入母屋に見えるが実は日吉造といい、この日吉大社の3棟にしかないたいへん珍しい形だ。

宇佐宮

日吉大社宇佐宮本殿
日吉大社宇佐宮本殿(重文)
塀の東側のくぐり戸を抜け、隣の宇佐宮へ。ここにもきちんと拝殿があった。造りは西本宮拝殿とそっくりだ。本殿も日吉造で、狛犬もいるし、これまた西本宮とそっくり。ただし規模は小さい。

白山姫神社

日吉大社白山姫神社本殿
日吉大社白山姫神社本殿(重文)
さらに東進して白山姫神社へ。ここにもきちんと拝殿があり、またまた同じそっくりな建物。まるで迷路に迷い込んでしまったかのようだ。しかし本殿は、それまでの2社と違って流造で、またまた規模が小さくなった。

神輿庫

日吉大社の神輿
日吉大社の神輿(重文)
次は神輿の展示棟で、室町期の神輿が7基並べて展示してあった。日吉大社の7つの宮それぞれの神輿で、屋根の紋章が全て違っていた。一番立派な東本宮のものには葵の紋がついていた。日吉大社にはこの他にも同時代の神輿が多くあり、全部で16基も持っているという。

東本宮楼門

日吉大社東本宮楼門
日吉大社東本宮楼門(重文)
三宮と牛尾宮はパンフレットの絵図では雲の向こうに描かれているので(笑)、省略して東本宮へと向かう。するとまたまたまた楼門だ。西本宮に比べこちらの方が簡素だというが、印象はそう変わらない。蟇股がちょっと省略されているくらいかなあ。あ、そういえば猿もいない。

樹下じゅか神社

日吉大社樹下神社
日吉大社樹下神社(重文)
東本宮も西本宮と同じく塀で囲われているが、こちらはさらに樹下神社の本殿拝殿もセットで中に入っている。面白いのはその配置で、普通に考えれば両方の宮が左右に並びそうなものだが、ここでは狭い敷地の中で、北に東本宮本殿、東に樹下神社拝殿、南に東本宮拝殿、西に東面した樹下神社本殿と、拝殿と本殿を結ぶ線がクロスしているのだ。それでも東本宮が一段高いところにあるのは格の違いを明らかにしたものだろうか。
樹下神社本殿は最近修理でもあったのか、飾りもきらびやかで親しみやすい。正面階段の上がり口に格子状の柵があるのが特徴。拝殿は3間四方の入母屋で、今までの3棟のものと全く違いがわからない。

東本宮

日吉大社東本宮本殿
日吉大社東本宮本殿(国宝)
東本宮本殿は、西本宮本殿宇佐宮本殿と同じ日吉造。この宮は柵などがないので、間近に寄って見ることができた。外見上、西本宮本殿とほとんど変わらないが、わずかに違うのは、舟肘木が隅にしかないことと背面の縁が一段高いことくらいだそうだ。背面を見てみると、ふうん、という感じ。西本宮では裏に回らなかったのだ。そういえば宇佐宮本殿は舟肘木が隅だけだった。背面は見ていないのでわからない。ここで初めて日吉造の特徴を見た。専門的なことはともかく、入母屋屋根がバッサリ切られた感じだ。昔ホンダにCR-Xという車があったが、あれはクーペを後ろから1/3のところでぶった切ったように見えたものだ。ふとそんなことを思い出した。
ちなみに拝殿はもうデジャ・ヴ状態であった。

軟禁状態(泣)

日吉大社樹下神社
真横から見た日吉大社樹下神社(重文)
時計を見ると15時ちょっと過ぎだった。じゅうぶん堪能したし、さて帰ろうと思ったら、突然7人の神官が砂利を踏み鳴らしてやってきた。本殿で何か神事が行われるに違いない。かち合わなくてよかった。・・・ん? 楼門の下で2列に並んで向かい合って・・・うわ、祝詞が始まった。東本宮の出入り口はひとつだけ。これでは出られないではないか。うわーん、もう帰りたいよう。しかたないのでまた境内をうろうろする。
で、樹下神社を真横から眺める。屋根の反りが美しい。流造の構造もよくわかる。
神官軍団は15分ほどしてからようやく解散した。3人が東本宮本殿へ、他の4人は参道を下っていった。

二宮橋

日吉大社二宮橋
日吉大社二宮橋(重文)
楼門前の階段を下っていくと東の受付で、その前に秀吉の日吉三橋二宮橋がかかっていた。日吉三橋は日本で最も古い石橋だという。大宮橋と違って渡れないようになっているのは、この橋が神が通るためのもので、祭事のときにしか開けないのだということだった。

帰路につく

京阪電車はのろいので、10分余計に歩いて、比叡山坂本駅からJRに乗った。ちょうど新快速電車がやってきて、京都に着いたのはほぼ16時であった。みどりの窓口に行くと、東京方面の新幹線の指定席にはほとんど○が付いていた。16:46発ののぞみ76号の指定を買い、待ち時間でみやげや弁当を買った。車内では弁当を食べたあとはぐっすり眠っていた。新横浜までどんぴしゃ2時間。新幹線もずいぶん速くなったもんだ。家に着いてテレビをつけるとモーニング娘。がなにかを叫んでいた。大晦日なんだなあと思った。
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