京都ふらふら小旅行 2001年1月26日-28日

1月26日(金)

東寺

東寺五重塔の組物
東寺五重塔(国宝)の組物
新幹線で京都駅に着いてまっさきに東寺へ。今回は京の冬の旅キャンペーンで、五重塔の初重内部が公開されている。内部は思ったより広く、10数人が一度に入ってもまだ余裕。さすが日本一高い塔である。中央に須弥壇しゅみだんがしつらえてあって、下部の蓋が開かれており、大黒柱の基部が見られた。

宝物館

金堂で仏像世界に浸ってから、宝物館へ。ここもまた特別公開で、兜跋毘沙門天像が見られた。タレントの関根勤に似ている。宝物館のそばには大師堂。桧皮葺の落ち着いた雰囲気の建物だ。このあと、東寺境内に隣あっている塔頭の観智院へ。

観智院

観智院客殿と庭
観智院客殿(国宝)と庭
観智院の客殿には宮本武蔵の筆と伝えられる襖絵が残っている。庭は枯山水で、「弘法大師唐より帰国の際、荒れた海を鎮める」という見立てで石が配置されている。竜だの船だの亀だの、あんまりにも見た目そのまんまで、どうも好きになれない。

豊国神社

豊国神社唐門
豊国神社唐門(国宝)
バスに乗って、豊国神社へ。唐門は伏見城の遺構とか。なんともきらびやかである。ここの宝物館では秀吉の歯が見られる。うやうやしく玉座に鎮座しているのであった。

方広寺

方広寺の大鐘
方広寺の大鐘(重文)
豊国神社のすぐ裏に方広寺がある。秀頼が寄進した、有名なが残っている。超特大。家康が因縁をつけた文には印があった。ここは弥次・喜多コンビも参詣にきたくらいで、江戸時代には巨大な大仏を擁する大寺だったというが、今はその面影はない。

六波羅蜜寺

続いて六波羅蜜寺へ。口から阿弥陀を吐く空也上人像が有名。個人的には定朝の地蔵菩薩がよいと思った。この頃から雨がぱらついてきた。

建仁寺

俵屋宗達の風神雷神図屏風で名高いが、本物は博物館に寄託中で、複製がおいてある。

高台寺

高台寺入り口
高台寺入り口
高台寺庭園・開山堂と霊屋
高台寺庭園・開山堂と霊屋
高台寺にやってきた。清水寺から八坂神社へと続く石畳の道が通称「ねねの道」である。高台寺はその一角の奥まったところに位置する。
写真は高台寺全景で、庭園(小堀遠州作、史跡)と、左が開山堂、右上のお堂が霊屋おたまやで、寺の中心的建物である。斜面を這うような屋根が見えるが、これはふたつの建物を結んでいる回廊で、臥龍廊がりょうろうという名だ。
ところで、英語で china といえば陶磁器のことである。古く中国が陶磁器をヨーロッパに輸出していたことからという。では japan は?--答えは『漆器』、理由は同じだ。蒔絵の施された日本の漆器は桃山時代以降、ヨーロッパ でたいへんな人気であったらしい。

霊屋

霊屋
霊屋正面
霊屋軒の組み物
霊屋軒の組み物
と、まあ、そんなことを踏まえながら霊屋へ。高台寺は秀吉の死後、妻のねね(北政所、出家後は高台院と号す)が秀吉を弔うために1605年に建てた寺である。霊屋の内部には二つの厨子があり、それぞれ秀吉とねねが祀られている。で、この厨子や須弥壇の蒔絵が見事なのだ。桃山時代に特徴的な蒔絵を高台寺蒔絵というが、その由来はここ高台寺なのである。
蒔絵の施された建造物というと中尊寺金色堂を真っ先に思い出す。金色堂は文字通り金ぴかであるが、高台寺蒔絵はそれとは違って黒い。漆の黒が生かされているのだ。
堂内の見学を終えて外に出てふと見上げると、内部の蒔絵のみならず外観も華やか、組物も色とりどりに装飾されている。

傘亭・時雨亭

傘亭
傘亭
時雨亭
時雨亭
華やかな建物を後にしてさらに坂を登ると、山の上には一転して質素な建物が。茶席の傘亭時雨亭である。傘亭は内部の柱組みが傘のようになっているのでこの名がある。時雨亭は四隅の柱に曲がった木材が使われているのが印象的だ。双方とも千利休の意匠ということだ。

竹林

竹林
高台寺竹林
拝観の帰りはうっそうとした竹林の中を下ってゆく。ちょっと見た感じでは見苦しい落書きも見当たらなかった。寺の努力の賜であろう。
高台寺を後に、すぐ目の前の円徳院で庭を堪能し、隣接の掌美術館で蒔絵を見て、今日の見学は終了。

夕食

夕食はJR京都伊勢丹のレストランフロアで。豆腐で有名な藤野で、豆腐のコースを味わう。豆乳であたためた湯豆腐はこくがあって美味。豆腐が終わったら豆乳と出汁を混ぜていただくと、これまた美味であった。

1月27日(土)

妙心寺

妙心寺仏殿・法堂
妙心寺。手前が仏殿、奥が法堂
京都駅で市バス1日乗車券を買い、バスで妙心寺へ。寺の係員の説明つきでまわる。
まず法堂はっとう。巨大なお堂で、吹き抜けの大天井には超巨大な竜が。ものすごいド迫力にのっけから圧倒されてしまい、ぽかんと口を開けて天井を見上げるのみ。うう、首が痛い。堂内には「ゆく年くる年」で使われていた有名ながあり、テープで音を聴かせてくれた。
明智風呂
明智風呂(重文)外観
さて続いては浴室。明智光秀の菩提を弔うために建てられたもので(ナンデ菩提を弔うのに風呂建てたの?)、通称を「明智風呂」と言う。外見は切妻造で一見庫裏のように見える。

浴室内部

明智風呂浴槽部分
明智風呂(重文)浴槽部分
明智風呂洗い場
明智風呂(重文)洗い場
内部は結構暗い。中央に浴槽があり、その前に洗い場がある。浴槽は板張りで、実は蒸風呂である。浴槽の前に洗い場がある。洗い場の床が排水のために傾斜しているのもおもしろい。風呂は昭和初期まで実際に使われていたという話であった。

特別公開の塔頭群

本坊の次は塔頭群。
瓢鯰図で有名な退蔵院(庭園・茶室特別公開)
春光院(特別公開)の青銅鐘にはイエズス会の紋章があった。
東海院(庭園特別公開)は庭が3つ。ひとつは石も何もなく、砂利を敷き詰めただけのものであった。ただし、普通は砂利はまっすぐにならされるものだが、ここでは微妙に波打つように敷いてある。
栂尾に向かう。雨があがってきた。

高山寺

高山寺石水院入り口
高山寺石水院(国宝)入口
京都の北、栂尾高山寺・槙尾西明寺・高雄神護寺の三つの寺を総称して三尾という。
ひとつめ、鳥獣人物戯画で有名な高山寺へ。栂尾バス停から坂を登ってゆくと最初に石水院に至る。石水院は高山寺中興の祖、明恵上人が後鳥羽院より学問所として賜った、ということで、普通の寺院建築というよりは住宅である。襖など、開け放てば夏は涼しそう。 石水院にはたいへん有名な鳥獣人物戯画の模本が置いてある。本物は博物館に寄託中。やはり絵画の保存は難しいのだろう。
開山堂本堂とまわる間も数人にしか会わず、たいへん静かだった。

西明寺

歩いて西明寺へ。高山寺から30分ほどであろうか。ふたつの重文仏像がある。清涼寺式の本尊釈迦像と、千手観音。やはりここも誰も来なかった。

神護寺

神護寺大師堂
神護寺大師堂(重文)
神護寺へ。西明寺からは清滝川沿いに少し歩くともう門前の土産物店街(季節のせいであろう、全部閉まっていた)に入る。しかしここから門までが遠い。寺の建物は比較的新しいものが多く、目に付いたのは大師堂くらいだ。

仁和寺

仁和寺金堂
仁和寺金堂(国宝)
いちおう今日の予定は終了。バスで市街に戻るが、時間が半端なので仁和寺を見物することにした。しかしバスを降りるともう拝観終了時刻に近かったので、境内をうろついて建物を外から眺めるだけにした。

夕食

夕食は四条烏丸のイタリアン、DIVO-DIVAで。5年前に一度ランチを食べたことがあった。

1月28日(日)

万福寺

万福寺総門
万福寺総門(重文)
万福寺大雄宝殿
万福寺大雄宝殿(重文)
JRで黄檗宗大本山の万福寺へ。万福寺は伽藍のほぼすべてが重文に指定されている。配置は明朝様式を取り入れているとかで、建物もどことなく中華テイスト。

中華な建物

万福寺法堂
万福寺法堂(重文)
開ぱん
魚ぱん(「ぱん」は漢字では木扁に「邦」と書く)
ひととおり拝観して、違和感というほどでもないが、日本の寺っぽくないなあという印象を受けた。おそらく
「建物に、円窓や卍崩しの高欄などがふんだんに使われている」「まつられている仏像が、十八羅漢や金ぴかの布袋などあまり見かけないもの」こんな理由からではないかと自分では思っている。

宇治上神社

宇治上神社拝殿
宇治上神社拝殿(国宝)
続いて京阪電車で宇治に向かう。宇治川を渡らず、まず宇治上神社へ。宇治といえば平等院が有名だが、実は宇治上神社も世界遺産に登録されており、街のあちこちに看板が出ている。その効果か、カメラを首から下げた人と何人かすれ違う。混んでたらイヤだなー・・・
しかしそれは杞憂であった。神社に着いたときは誰もいなかった。やはりほとんどの観光客は平等院に直行するのだ。
拝殿縋破風すがるはふのある優美な建物。屋根の隅の処理もおもしろい。ずいぶんと横に長く、拝殿前の狭い庭からではカメラに収まりきらなかった。

本殿

宇治上神社本殿
宇治上神社本殿(国宝)
宇治上神社本殿屋根
宇治上神社本殿(国宝)の屋根の反り
本殿は3つの社を1つの覆屋に入れるといった形である。3社のうち、ひとつの蟇股かえるまたは日本三名蟇股に数えられる。(しかし、そのことは家に帰ってから知ったのだった。事前に知っていればもっとよく見たのだが・・・)覆屋は屋根の反りがたいへん美しい。

宇治神社

宇治神社
宇治神社(重文)の屋根の反り
宇治上神社は本殿・拝殿ともにとても優美な建物で、平安期のイメージにぴったりだと思ったが、すぐそばの宇治神社も同じ印象。宇治上神社と同じように屋根が反っている。

平等院

平等院阿弥陀堂
平等院阿弥陀堂(鳳凰堂)(国宝)
続いてお決まりコースの平等院阿弥陀堂(鳳凰堂)に行った。相変わらず観光客が多い。池の修復工事がちょうどおわったところのようで、砂利がきれいに敷き詰められていた。当然のことながら、建物は古びたままだ。その目の前の池だけぴっかぴかってのはどうにも気になってしかたない。

法界寺へ

法界寺・門
法界寺・門
平等院近くで昼食をとってから京阪宇治駅にもどり、法界寺を目指す。法界寺へは京阪六地蔵駅からバスを利用するのがもっともわかりやすいだろう。山科行きに乗り石田バス停で下車して上り坂を徒歩10〜15分、また本数は少ないが日野誕生院行きに乗れば目の前の日野薬師前バス停までバスが運んでくれる。
JR六地蔵駅からの場合は町並バス停から乗車するが、駅から少し離れているのでわかりにくい。醍醐、小野などの市営地下鉄駅からバスに乗る場合は、日野誕生院行きバスはないので、京阪六地蔵行きに乗って石田で下車、歩くことになる。
さて、日野薬師前でバスを降りると、すぐ前にひなびた門がある。そこが法界寺の入り口である。日野薬師とはすなわち法界寺のことである。

法界寺

法界寺薬師堂
法界寺薬師堂(重文)
門をくぐると阿弥陀堂が姿を見せる。落ち着いた雰囲気の立派な建物だ。
内部には丈六の阿弥陀如来坐像がまつられている。このあたり、日野という地は親鸞の生誕の地であり、この阿弥陀像は親鸞が幼少の頃より慣れ親しんだ仏として、信者の間で今でもたいへんにありがたがられているということだ。典型的な定朝様の仏像で、平等院のものよりも少し肉付きがふっくらとしていて、堂守の老婦人の言を借りれば、『かわいらしくて、子どものようなお顔』。光背は天人の透彫で、個々の天人はそれぞれ独立して阿弥陀に寄り添うようにしているが、身にまとう天衣が流れて全体で舟形になっているという優美なデザイン。
しかし実のところ法界寺の本尊は秘仏薬師如来、本堂も薬師堂だ。お堂は明治になってから奈良県の伝燈寺という寺の本堂を移築したもので、棟木には1456年の銘があるという。安産にご利益ありということで信仰が厚く、堂内には安産祈願の腹帯などが所狭しと飾られている。

法界寺阿弥陀堂

法界寺阿弥陀堂
法界寺阿弥陀堂(国宝)正面
薬師堂前からは先ほどの阿弥陀堂がちょうど正面。平等院阿弥陀堂(鳳凰堂)と同時代の建物という。落ち着いた外観もさることながら、内部の装飾がすばらしい。須弥壇の天井横の壁には壁画がくっきりと残っており、内側は飛天、外側は阿弥陀如来が遠目からでも確認できる。法隆寺金堂壁画が焼失してしまった現在では、白壁にこうした装飾画が残っているのはここが最古という話である。また、須弥壇四周の丸柱(四天柱)に曼荼羅、格天井にも宝相華が描かれているのが視認できる。今は古びてはいるが、創建当初はさぞかし華麗であったことだろう。
仏像・建物ともに宇治平等院にも引けを取らない、まさに名刹である。

随心院

随心院庭園
随心院庭園
石田バス停まで歩いて戻る。山科行きのバスは醍醐寺を経由するのでコースに組み込めるが、醍醐寺は去年行ったばかりなので、まだ行ったことのない随心院へ。
随心院は洛巽の苔寺、ということで苔の庭があるのだが、一部は養生中といった感じであった。
勧修寺(特に印象なし・・・)をまわって地下鉄を乗り継ぎ、京都駅のホテルグランヴィアの万彩という店で食事をしてから新幹線で帰った。
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