横浜大洋 横浜ベイスターズ 1998セ・リーグ優勝!!

セリーグ優勝!! 10月8日、進藤の逆転の一打を素直に喜べなかった。私は家でTVを見ながら叫んでいたのだ。「進藤、たのむ、三振してくれ!!
なぜならば、私は翌10月9日の対中日戦のチケットを持っていたのだ。横浜に帰ってくる、そして地元優勝だ。そう信じて、今まで内野自由席と外野席にしか入ったことのない私が内野S席を5,500円も出して買ったのだ。すべてを10月9日に合わせて、抜けられない仕事も代わってもらった。それが......
プラチナチケットだったそれは、その瞬間紙くずとなってしまった。しかし、優勝は優勝なので、この日のために買っておいたシャンパーニュと高級赤ワインを開けてお祝いをした。
翌日、仕方ないのでハマスタに行ってみた。前夜、選手達は冷たいビールをかけあって、みな風邪をひいていた。しかも徹夜の騒ぎでヘロヘロだ。場内アナウンスも先発キャッチャー「秋元」を「谷繁」と紹介していた。いつもはうるさい頼もしい応援団も前夜球団とケンカして、今日は鳴物停止。なんともシラけた中で、試合は中日ペースでたんたんと進む。


セリーグ優勝!!レギュラー選手は顔見せで出場したが、みな5回くらいでひっこんだり、代打でちょこっと出て終わり。それでもファンが帰らないのは、試合後、ペナントの授与式が行われるからであった。↑→の写真はそのときの模様である。一応権藤さんの胴上げもやった。選手達は写真撮影のため、ペナントを皆で持って広げて見せたのだが、よく見たら上下さかさまだったというオチもちゃんとあった。
さんざんな一日だった。けど嬉しかった。
この日(金曜)は仕事を休んで観戦に行ったのだが、翌週出勤してみると、優勝して興奮のあまり川に飛びこんでショック死した30歳くらいの男性とは私ではないかという噂が立っており、皆に幽霊でも見るような目で見られたのにはまいった。


横浜大洋 横浜ベイスターズ 1998プロ野球日本一!!

このチームが果たして日本シリーズの舞台に再び立つことはあるのだろうか? おそらく一生に一度のことだ、これを見ずしてなるものか。チケット入手に、仕事を持つ身ではハマスタに並ぶことはできない。よし、電話予約だ。発売日きっかり10時に電話するが、つながらない。13時ころ、ようやくつながった。しかし、とうの昔にチケットは売り切れとのことだ。あきらめきれない私は、帰りにちけぴに寄ってみたが、そこでの説明によると、「電話予約のお客様がお受け取り期間を過ぎてもお越しにならない場合、その分は店頭にて販売いたします」という。1・2戦分の店頭発売は数日後とのことであった。おお、なんだ、ホッとした。これでなんとかなる......
店頭発売の日、仮病をつかって仕事を休んで開店前に並んだ。しかし。私は5番目くらいだったのだが、見事に売り切れだった。同様に店頭発売に一縷の望みを託した職場の後輩J.Kくんは規模の大きなちけぴに並んだため、20番目くらいでもゲットできたということだった。羨ましかった。


日本一!!まずい。このままでは、一生の大事を逃してしまう。ホエールズベイスターズは日本シリーズ勝率10割という偉大なる記録を更新することになっており、計算上日本シリーズは4試合で終わってしまうことになっていた。西武に行くことも本気で考えたが、ちと遠い。仕事を2日間も休まなくてはならなくなってしまう。
日本シリーズでは負け知らずの我がホエールズベイスターズではあるが、万が一、負けることもあるかもしれない。しかたない。6・7戦のチケットを買うしかないな。ということで、さらにまた数日後、仕事を休んで並んだところ、今度は列の3番目で、なんとか第6戦のレフト外野席をゲットできたのであった。こうして生まれて初めてハマスタのレフト席に入ることになった。レフト側で大丈夫だろうか、ひょっとしてレオに囲まれて恐ろしいことになるのでは、と思っていたが、先に第1戦を観戦したJ.Kもレフト側で、「レフトもほとんどウチばかりです」という報告であった。
西武球場で連敗し、日本シリーズ勝率10割という史上最強の記録は途絶えてしまったが、今度はリーグ優勝時に果たせなかった地元優勝という期待が膨らんできたのだった。


日本一!! 打線の爆発を期待していた私には試合はつまらなかったが、日本一の瞬間に立ち会えたことは幸甚であった。胴上げ時の写真はただのピンボケなのだが、涙で潤んでいるようで、たいへん気に入っている。ヴィクトリー・ランで球場の興奮は絶頂に達した。人生最良の日のひとつになったことは間違いない。
翌月曜日、この日のために買っておいたシャンパーニュ(10月8日とは別)を開けて祝った。
嬉しかった。しかし、私の心には淋しさが同居していた。
やはりこの目でリーグ優勝の瞬間が見たかった。