お月様とわたし・・・Rajnikant Profile


Rajnikant Profile



Real Name 本名 Shivaji Rao Gaekwad
Date of Birth 誕生日 1950年12月12日
Height 身長 5'6"(168cmくらい)
Place of Birth 出身地 Karnataka,Bangalore
Mother Language 母国語 Kannada
お家の中ではマラーティー語
Parent's Name 両親 父:Ramoji Rao Gaekwad(パパは警察官)
母:Ram Bai Gaekwad
Address 現住所 No.18,Ragaveera Avenue,Poes Garden,
Chennai-600 086
Telephone No. 電話番号 4990278/8274612
Office Address 事務所 No.19,Akbarabath,2nd Street,Kodambakkam,
Chennai-600 024
Family 家族 妻:Mrs.Latha Rajnikant
長女:Aishwarya
次女:Soundarya
Date of Marriage 結婚記念日 1981年2月26日
Before Actor 俳優になる前 バスの車掌(5年)、クーリー(1年半)、
オフィスボーイ、木こり(1ヶ月半)
Frist Film 初出演作 Adoorva Raagangal (1975 Tamil)
Favorite Actor 好きな俳優 Sivaji Ganesan
ユル・ブリンナー




ラジニカーントへの道
- The Way to Rajnikant -


【初めての別れ・・・】
Karnataka 州の州都 Bangalore に Shivaji君(Rajnikant)はお姉ちゃんと二人のお兄ちゃんの4人兄弟の末っ子として生まれる。お父さんは警察官、決して裕福ではないインド中産階級の下の方(本人談)の家庭に育つ。 彼の母親は彼がまだいたいけな少年であった五歳の頃に亡くなり、そのことは彼の心の中に深い悲しみとして残った。

【少年時代】
Bangaloreにある Acharya Patasalaに通った後 Ramakrishna Mutt の unitである Bivekananda Balak Sangh へと進む。

【就職難の波にのまれて】
18歳の時 Madras へ仕事を探しに上京した彼だが折しも世の中は学生紛争の嵐のまっただ中にあり、就職は超氷河期、 仕事につけない若者が街にあふれていた。クーリー、オフィスボーイ、木こりと職を転々とした彼は上京から5年後の1973年にマドラスでの定職探しを諦め、故郷のバンガロールに戻り伝説の Bus Conductor 時代の舞台となる Karnataka State Transport Corporation に準公務員として就職する。

【スター誕生】
他の人同様に大の映画ファンであった彼はある日バスの切符なんかを切る合間にドラマを演じてみせた。 スターになるべくして生まれてきた彼ですから当然の事ではありますが、その本物以上に迫力ある演技と アクションに驚き感嘆した同僚や友人が「オマエは絶対に役者になるべきだよ!凄い悪漢ができるぞ!!!」と 彼を持ち上げ役者になろうなんて夢にも思わなかった彼に俳優養成所へ通うことを勧めるのでした。「同僚のおだてに乗ったわけだ」(本人談) どこのどなたかは存じませんがこの場を借りて私、心より御礼を申し上げます。

【運命の出会い】
そうして Madras Film Institute へ通い始めた彼に一生を左右する出会いが訪れる。超大物監督 K.Balachander との衝撃の出会いである。 Rajniとの出会いを監督はこう語る・・・「彼の眼の中に炎を見たんだ。それは彼の中にある熱いものを連想させた。そして気付いたんだ、彼はただ者じゃないってね。」そうして見出された彼は1975年 の映画 [Adoorva Raagangal] に抜擢され、それまでほとんど話せなかったタミル語を必死で勉強しその期待に充分過ぎるほど応え、その後75年から78年にかけ悪役、アンチ・ヒーローとして活躍し、人気を博したのであった。

【Super Star への道】
そして78年に [Mullum Malarum] で初めてのヒーローへと転じその年、立て続けに生涯最多の19本の映画に出演を果たしついに80年のアクション映画 [Murattu Kalai] の大ヒットによりヒーローとしてのその地位を不動をのものにした。

【自分との闘い】
しかし人気が出るほどに一人歩きしていく「Super Star Rajnikant」と一人の男「Shivaji Rao Gaekwad」のギャップに悩む彼がそこにいた。 自分がなんであるかを確かめるように彼はひたすらに働き続けた。休むことなく、一日に1時間ほどしか睡眠をとらないことすらあった。 酒に溺れ、ドラッグにまで手を染めた・・・この頃の彼は動きにもキレがなくだらしない中年男のように太っていた。

【等身大の自分】
精神的どん底な日々を繰り返していた彼を導いたのは彼が信じる絶対的な神の存在、そして家族・友人達。富や名声に振り回されることの無意味さに気付いた彼が辿り着いたのは「己は己でしかない」ってこと。 自分の内面と向き合うことを知った彼は「他人に尽くすこと」を自分の生涯の仕事とし、収益の相当額を社会事業に寄付し(このことは長い間世間には伏せられていた)家族と共に慈善団体を指揮し社会奉仕に努めるようになる。

【バランス】
「私の映画を見に来る人達の期待に応え満足してもらうことを何よりも優先しています。」と語る一方で「映画製作には莫大な費用がかかりその採算を取らなければいけないし、それは主演である私に科せられた責任でもあるのだけれど、プレッシャーはプロとして当然のことだから。」と事も無げに言う。 尽くすことで見出した自分の存在とうまく折り合いがついた彼は「他人の為に何かをしたければまず自分に、そして身近な人達家族や友人に尽くすことだ。そうして初めて見知らぬ他人にも尽くすことが出来るのだからね。」と口にする。 歯と自分はくれぐれも大切に。

【健康法】
「毎日縄跳びとヨガで鍛えてますよ」− いつまでも元気でいてね。

【Still Continue】
「ヒーローを演じるのは、エキサイティングだったよ、そう初めのうちはね。でもそのうちにね飽きてくるんだ。 同じようなダンスとアクションばかりだろ。だけどスクリーンの中のラジニカーントにファンは決まり切ったイメージを 求めているんだよ。残念ながらそこにはもう演じる楽しみは無いんだ。」「もう野心など何処にもないよ、徐々に身を引きたいとすら思っている」 引退後、やっと自分そのものに戻れる気がすると語る彼の姿をスクリーンで見られなくなる日はそう遠く無いのかも知れない・・・・(泪)



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