開会式

 やはり、この映画祭に前向きに取り組むにあたっての礼儀(?)だろうと思い、勢い込んで開会式から行ってしまったのですが、ゆとりを持って早く出たら開場の1時間前に着いちゃって・・・でも入口を見たら3人くらいしか並んでいなかった・・・。 ひょっとして人気ないのかなぁ〜と思ったけれども、そこはやはりインドを愛する皆様だけあって、の〜んびりと人は集まってきて、始まる頃には結構席が埋まっていました。 他人事ながらホッとしつつ、開会式は駐日インド大使の方や、ゲストでインドから来日した映画評論家のマールティ・サハーイーさんのスピーチを通訳しつつ進んで行きました。 このサハーイーさんの旦那さんも映画評論家で、インドではなかなかの著名な方らしいのですが、一緒に来ていて初めは前の席に静かに座っていたのですが、奥様が舞台に上がるといきなり立ち上がり、持参のMyカメラでバシャバシャ写真を撮り始めたのです。 背が高く顔立ちもなかなか渋く、人格者な雰囲気を漂わせていただけに、小さなカメラでさかんにシャッターを切る姿がとても可愛らしく、奥様はそんな夫の向けるカメラに少女のようにはにかんだ笑顔を見せたりして、見ているこっちが照れちゃうような微笑ましい光景が繰り広げられつつ無事開会式は幕を閉じたのでした。

 そしていよいよ映画祭はこの作品から幕を開けたのです・・・

「独立後 娯楽映画の流れ」
(The History of Indian Popular Cinema after Independence)

1942・愛の物語  (1942 A LOVE STORY)
 

[1993年制作]

監督・・・Vidhu Vinod Chopra

出演・・・Anil Kapoor
     Jackie Shroff
     Manisya Koirala
     Anupam Kher
     Raghvir Yadav
 

 最初の映画だったので、まだパンフレットも見てないし、知っている俳優はマニーシャ・コイララだけで、今回の中で1番先入観なしで見られた作品。 
 いきなり重厚な交響曲が大音響で流れて最初に出てくるのは戦車。その時はこの1942年が何を意味するのかすぐには分からなかったので、戦車と交響曲だけで「なんだか大作な雰囲気」ぐらいにしか思ってなかったら、主役のはずのアニル・カプールが絞首台へ引きずられながらお母様にお別れを言ってるし、首には縄が掛けられちゃうし、民衆は叫んでるし、この突然クライマックスみたいな展開って・・・インド娯楽映画って言わなかったっけ??? そこでようやく1942年はインドを植民地支配していたイギリスに対してインド国民議会派が「インド撤退要求決議」を採択した年だってことが記憶の底からチラッと出てきました。 てことは、かなり重いテーマだなぁと姿勢を正していたら、そこはやはりインド映画。どんなに辛くても踊り、どれほど悲しくても歌い、そしてもちろん恋した時にはその想いのすべてをかけて歌いまくり踊りまくる。 そしていい人はどこまでもいい人だし悪い人は何があっても悪人だし(今回は他国人ということもあってか、その極悪非道ぶりは徹底している。インド人同士だと最後は改心したり、悪いんだけどどこか憎めない人にすることが多いように思う。)主役はそれ絶対死んじゃうって目にあっても生きてるし、恋人達は障害を乗り越えて必ず結ばれるし、やっぱり立派な娯楽映画でした。

 物語はアニル・カプール演じる苦労知らずのお坊ちゃま「ナレーン」が革命家の娘「ラッジョー」(マニーシャ・コイララ)と出会い、境遇の違いを乗り越え愛を貫くというお話。
 イギリス軍司令官ダグラス将軍の独立運動に対する弾圧への報復に、彼の暗殺を計画する革命家のパータク。彼の息子もダグラス将軍に処刑された。「独立か死か」と叫びながら。 将軍の暗殺場所として選ばれたカソゥニーへ父に連れられて来た娘のラッジョー。彼女はまだ父の計画を知らない。 町の広場に止まったバスの割れた窓から彼女を見たナレーンは一目で恋に落ちる。(この三つ編みのマニーシャ・コイララがめちゃくちゃ可愛いの、私だって恋しそうになったもの) そしてもちろん彼もインドの男。偶然と、運転手ムンナーに手伝われて彼女を見つけ出し、ひたすらアタック!アタック!アタック! そしていつしか彼女も彼に惹かれていくのだった・・・。
 とまあこの辺りまでは、幸せになりそうな二人を予感させながら物語りは進むのですが、革命家の父と彼らを制圧する立場にある収税官の父を持つ二人がすんなり結ばれる訳がなく、この後、ナレーンはラッジョーの父の目的を知ってしまう。 そしてラッジョーがナレーンを愛していることに気付いたパータクは革命家を父に持ってしまったことを娘に詫びる。 もう彼無しでは生きられないほどナレーンを愛し始めていたラッジョーだが、そこはやはり戦士の娘、黙って自分の運命を受け入れる。ラッジョーはナレーンに別れを告げるが、そんな事で彼女への想いを諦めない彼はパータクに会い、すべてを捨ててナレーンを幸せにすることを誓う。 障害があるほど恋は盛り上がると言いますから二人はこの辺で絶好調に燃えてる訳です。 そして母からの祝福を手にラッジョーを迎えに行くナレーン。 しかしこの少しばかり計画性に欠ける行動がもとで隠れ家を見つけられてしまい、ナレーンに裏切られたと勘違いしたままパータクは娘や仲間を守るために、暗殺のために自ら作った爆弾で壮絶な死を遂げる・・・。 父の死が信じられず、隠れ家のそばを離れられずに立ちすくむラッジョーの背後から風のように現れる男。 彼こそパータクが最も信頼し、暗殺を遂げられるのは彼をおいて他にないと見込んでいたシュバンカルだった。 この登場の仕方が素晴らしくカッコ良い為に、彼を真の主役と思った人も少なくないはず。 泣きじゃくるラッジョーを抱きかかえ山へ連れ去る彼の姿に「なんでラッジョーはこのカッコ良さに気付かないの?なんなら私が・・・」と思ったのは決して私だけじゃないはず。 このシュバンカルったら渋い顔してクールにラッジョーを見つめつつ、心の中では「いずれはおまえと俺と二人幸せな日々を・・・」なんて勝手に熱い夢描いちゃうし、ラッジョーもナレーンを愛していると分かってからの行動は、どう見てもやけだとしか思えないほど無理矢理だし、忘れていた母性本能を揺り動かされる人です。
 そして後半、父や仲間の死を無駄にしないよう暗殺の決行を誓う二人は、爆弾を手に入れる為町に降りるが、そんな二人を見つけたナレーンはラッジョー恋しさで追いかけてしまう。 そのせいでシュバンカルは捕まりそうになり危うく難は逃れるが、他の人が濡れ衣を着せられ殺されてしまう・・・。 「ナレーンのバカ!」と言わずにはいられない考え足りなさぶりには閉口してしまう。それだけ彼のラッジョーへの想いが強いと言えるかもしれないけど、今一つ彼の行動に感情移入出来なかった。
 でもこの後彼はすごい頑張りを見せて、爆弾も銃も無くナイフ一本で無謀にも計画を実行しようとするシュバンカルを助けるために、司令官官邸へ赴き彼の命を救うが捕らえられて絞首台に乗せられる。 そして最初のシーンにつながる訳ですが、ここでの彼は非常に潔く誇り高い。 いかなる理由であれ自由は他人に束縛されるべきではないことに気付いた彼は、ラッジョーへの愛からだけでなく、独立を望むインドの全ての人の為に階段を登ったのだ。 もちろんそれを黙って見ているシュバンカルではないので、ナレーンのさらにその上を行く活躍ぶりを見せて、息をもつかせぬクライマックスへと突入していくのですが、そのたたみ掛けるような展開と映像の迫力は、最後に流れた「国歌を斉唱します。ご起立ください。」のテロップに思わず立ち上がってしまうほどで、立ち上がってしまってから「間違っちゃったかも」と感じたけど、スタンディングオベイション代わりだからいいやと自分を納得させるだけの強引さに満ちたものでした。 私の後ろの席にはゲストで呼ばれていた大使も含むインド国民の方々が座っていたので、彼らの立ち上がる気配に思わずつられてしまったポリシーの無さも私の腰を押し上げた一つの理由でしょうけど・・・。

 しかし残念なことに、今回のアニル・カプールは今一つ精彩に欠けるというか魅力的でないというか、映画「ボンベイ」でマニーシャと共演し背格好も似ている(と思う)アラヴィンド・スワーミと悲劇的な内容や一途な恋心などが(私は)だぶったりしたのだけど、彼のように出てきただけで主役とわかる存在感も薄くて、冒頭で処刑されそうになってる時、この人殺されちゃうのね可哀相にと思ったし、お坊ちゃまらしい素直さもむしろ純粋と言うより自分の気持ちに忠実すぎて、周りへの影響を考えられないところとかが逆にイライラさせられたりして、彼の持つ本来の魅力が充分に生かしきれていないと感じました。(もう一本の主演作「Mr.インディア」では彼の良さが遺憾無く発揮されているだけに)
 この映画はある意味「脇役の映画」と言えるかもしれません。 命を賭けて革命家としての信念を貫いたパータクを演じるアヌパム・ケール、そんな彼を助ける年老いてもなお誇り高い劇の指導者ベーグ、ナレーンだけじゃ渋味に欠けるのよねぇと思っていた後半にいきなり登場しておいしいとこを全部持ってったジャッキー・シュロフ演じるシュバンカル、警官であることに信念を持ち任務を遂行しながらも最後はインド人としての自分に目覚め、ダグラスに立ち向かう警察長官。 絶対的な悪を演じたイギリス人のダグラスでさえインドの力強い太陽に焼かれたゆでだこのようなはげ頭が笑えたし。 そんなアニルの影の薄さを一番象徴しているのが、この作品に使われたスチール写真で、他のはどれもヒーロー&ヒロインをメインに使っているのが、この作品だけは主役であるはずのアニル・カプールよりも三人の革命家の方が遥かに大きく、アニルはその下で、群集に飲み込まれるように写っているのでした・・・。 この映画の性格や主張を考えると、むしろ当然なのかも知れませんが、これでは彼も浮かばれまいと同情の念を覚えずにはいられません。

ラジニ   

カランとアルジュン KARAN ARJUN (Karan Arjun)

[1994年制作]

監督・・・Rakesh Roshan

出演・・・Shah Rukh Khan
     Salman Khan
     Kajol
     Mamta Kulkarni
     Rakhee
     Amrish Puri

カランとアルジュン 始まって10分ほどで主役の「カランとアルジュン」の二人は、ミュージカルナンバーを1曲こなしただけだというのに、あっけなく殺されます。見ているほうは???ですが、そこは大丈夫心配ご無用。二人の母ドゥルガー(ラーキー)の切なる願いを聞きいれたカーリー女神によってみごと「アジャイ(サルマーン・カーン)とヴィジャイ(シャールク・カーン)」に生まれ変わるのです。
 そこでやはり
インドの神様が偉大なのは、通常リインカネーションをした場合、チベット仏教の高僧の生まれ変わりを探す時などもそうですが、かろうじて残る前世と同じ記憶や知識、しぐさ、傷等の身体的特徴をひとつひとつ捜し出し照らしあわせ検討されるように、見た目はあまり前世とは似ていないもので、時として同民族では無いことすら有りますが(ベルナルド・ベルトリッチ監督作品:「リトル・ブッダ」参照)、この生まれ変わったカランとアルジュンは名前や性格の多少の違いはあれどその外見は見事におんなじ瓜よっつ、誰が見ても一目瞭然生まれ変わりとわかります。
 これは二人が生まれ変わった本来の目的である「敵討ち」をするにあたって、誠に
都合良くかつ効果的であります。
 この見た目のおかげで二人がかつてカランとアルジュンとして暮らした村の皆さんにも語らずして目的を知らしめ、二人の息子を失ってからも生まれ変わりを信じ女神に祈り続ける母ドゥルガーの気がふれたかとも思われる姿を見守ってきた村人達に、自然とこの敵討ちへの自発的な協力を促します。初めてアルジュンの生まれ変わりであるヴィジャイに出会った村人はその姿に言葉を失い
思わず涙したほどですから、その効き目は絶大です。
 そしてなにより敵討ちの相手であるドゥルジャン・シン(アムリーシュ・プリ)とその義弟達に与える心理的圧迫はこのうえなく、噂を聞きつけ早速やってきたドゥルジャンの義弟をその姿でびびらせ前世で自分たちがそうされた様に殺し、ドゥルジャンの取引相手のサクセーナーの娘であるソニア(カージョル)も味方につけた二人は、寺院で祈るドゥルジャン一家の背後に現れては消え消えては現れじわじわと
心理的に追い詰めていきます。このヴィジャイとアジャイの二人の姿に怯える曲「JAI MAA KALI」はこの物語の見せ場でもあります。
 アルジュンを牧場主の使用人の息子「ヴィジャイ」とした一方で、カランを飲んだくれの父親の為にファイティングマネーで稼ぐ息子「アジャイ」とし、二人とも日常がトレーニングな境遇に生まれ変わらせるあたりでも、神様のすることには無駄がありませんね。いや、まったく。

 親子3人で仲良く歌う美しき母親賛歌「YEH BANDHAN TO」は名曲。

らじに    

Mr.インディア MR INDIA (Mr.India)

[1987年制作]

監督・・・Shekhar Kapur

出演・・・Ani Kapoor
     Sridevi
     Ashok Kumar
     Amrishi Puri
     Satish Kaushik

 誰がなんと言おうともこの映画の主役は「アムリーシュ・プリー」です。もちろん貧しくとも心優しい好青年を演じたアニル・カプールも、他を圧倒するセクシーダイナマイトぶりを発揮したシュリーデーヴィも良かったけれど、アムリーシュ・プリー演じる「モガンボ」無しでこの映画は語れません。

 物語自体は完璧な勧善懲悪ストーリーでSFXなんかも使っちゃってて素直に楽しめるわかりやすいお話です。なんでも初めは子供向けに作られたそうですが大人が見ても、というよりむしろ大人の方が楽しめる作品だと思います。シュリーデーヴィのお色気はお子様にはちょっと強烈すぎるし。私が見たのは最終日の最終回で、立ち見も出るくらいに混み合っていて、いつになくインドの若者が、それもかなり今どきの人達が多かったように思います。そのせいか、毎回それほど堅苦しい雰囲気でもなかったのですが、他の日はお話をしながら見ていると、「うるさいぞ」と注意されたりしたこともありましたが(もちろん日本人に)、この日は終始和やかな雰囲気で、笑ったり、泣いたり、拍手したり、歌を一緒に歌ったり(私の周りだけだったのかもしれないけど)と、「インドの映画館」とまではいかないけど、ちょっと近い雰囲気を味わうことが出来た気がします。(大袈裟だろうか・・・ですね)「1942 A LOVE STORY」では、いまいち魅力を発揮できなかったアニル・カプールですが、この作品の彼にはちょっと惚れちゃいます。

 アニル演じる音楽教師のアルンは親をなくした10人の子供達を引き取り、貧しいながらも楽しく暮らしていた。しかし教師の稼ぎだけでは足りず、家賃は滞納しがちで食事も付けで買うしかなかった。そんなある日、家主から家賃を払えないならすぐにでも家を明け渡すよう通告されたのだ。しかしその急な通告の裏には「悪の一味」(笑)インド征服(セコイっ!)を企む、「モガンボ」の陰謀が隠されていたのだった。彼に関しては後でじっくり語るとして、なんとか家賃を払おうと考えたアルンは、下宿人を探すことにし、広告を載せるために新聞社にむかう。そこで記者のシーマー(シュリーデーヴィ)と、彼女の勘違いがもとで知り合い、借りている家の子供がうるさくて丁度部屋を探していた彼女がアニルの部屋を借りることになった。前金で家賃を受け取ってしまったアニルは、家に子供がたくさんいることを言い出せずに部屋を貸してしまう。早速その日の午後シーマーは越してくるが、隠れていた子供たちが我慢しきれずに見つかってしまい、シーマーは激怒する。しかし前の家には戻れないシーマーも行く所がなく、アニルはシーマーから受け取った前金で滞納していた家賃を払ってしまったので、返すお金がない。こうして仕方なく子供嫌いのシーマーと子供好きのアニル、そして嵐のように騒がしい子供たちの奇妙な同居が始まるのだった。静かにする約束はしたけど、守れるはずもなく子供たちとアニルはしょっちゅうシーマーの逆鱗にふれ喧嘩が絶えません。そんな時はもちろん「歌と踊り」でしょう。シーマーは怒って、アニルは子供たちに味方して、かつてのヒット映画の替え歌なんかを実に楽しく歌います。この子供たちと遊ぶアニルが実にさわやかで良い。まさにぼろは着てても心は錦というか、貧しくたってお互いを思いやる気持ちがあれば、なんて気持ちにさせられちゃいます。(ちょっと照れるわ)そんな騒々しい日々が続く中、今度は今まで付けで食べ物を売ってくれてた(と言ってもなかば無理矢理でしたが)お店が、お金と引き換えでしか食料を渡してくれなくなり(当然なんですけど)食べる物が無くなってしまったのでした。もちろん裏にはあの「悪の一味」の陰謀が渦巻いているのですが・・・。なんとか子供たちの為に食料を手に入れようと東奔西走するアニルですが、世間の風は冷たくなかなかうまくいきません。子供たちもお腹が空いてたまらないのに、そんなアニルの姿を見て健気に空腹に耐えるのです。いくら仲が悪いとはいえ、シーマーも鬼ではありません。見るに見かねた彼女が救いの手をさしのべ皆の空腹を満たし、子供たちとの絆を結びこの危機を乗り越えます。そもそもなぜアニル達は家を追い出されなくてはならないのか?実はアニルのお父さんはすごい科学者で、どのくらいすごいかっていうと、それをつけると透明人間になれるブレスレットを作っちゃったんだからとてもすごい。でもあんまりすごかったので、お察しの通りそれを狙ったモガンボの一味に殺されてしまったのです。そのせいでアニルの家が狙われたのかというとそうでは無くて、たまたまモガンボの「インド征服計画」の拠点として最適と思われる(少なくともモガンボはそう思った)海岸べりのいい場所に家があった。ただそれだけの理由、とばっちりもいいとこってやつですね。こんな理由で家を追い出されてはたまったもんじゃありませんね。それもこれも「モガンボ」のせいなのですが、では「モガンボ」とは誰なのでしょうか?彼こそがこの映画の真の主役アムリーシュ・プリー演じる悪の権化、諸悪の根元、世界・・・も狙ってるんだろうけど取り敢えず「インド征服」を狙う「悪の一味」の大ボスなのです。もう、そのきちがいぶりは(放送禁止用語ですね)素晴らしい。彼への忠誠心を確かめるためだけに、手下を塩酸プールに飛び込ませたり、基地を作るために民間人の家を狙ったり(アニルの家ね)インド征服するだけなのに核ミサイル作っちゃったり、そして計画が成功したり、手下におだてられたりするたびに「モガンボ ホー シュア〜(モガンボは満足だ)」と悦に入った顔でつぶやくのよ。(このセリフだけは見てもらわないと伝わらないんだな〜)形勢が不利になるとすぐミサイルのスイッチを押しちゃう小悪党ぶりも微笑ましい。日本でいうなら死神博士を演じる天野さんのように、このキャラの魅力はそれを演じる「アムリーシュ・プリー」に拠る所が大きい、というより彼そのものの魅力なのでしょうね。このハリウッドも認めた悪人づら(”インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説”のギョロ目の悪人をご記憶の方もいらっしゃるでしょう)のインパクトは計り知れず、出てきただけで絶対に悪い人とわかります。でも、すんごく悪い人なんだけど、なぜか憎めないのよね。あんまり悪すぎて最後には笑っちゃうのよ。でもいくらなんでもその濃い顔に「金髪」はまずいよねぇ・・・いや、もちろん嫌いじゃないんだけど。

 この映画はセリフがわからなくても全然問題なく楽しめると思うし、モガンボの魅力はもちろん、透明人間になったアニルの「Mr.インディア」とシーマーの恋物語も「見えないのをいいことにそんな大胆な・・・」なんてところもあって、とても楽しいので見て欲しいというか、”見てもらえばわかる”ので見て欲しいな〜。そうすれば、ずばりこの映画の題名は「モガンボ」とするべきと主張する私の意見にも頷いてもらえると思うんだけど。

ラジニ