Top             浮世絵文献資料館            浮世絵師総覧          ☆ よびうり 呼び売り(売り声)        浮世絵事典  〈「呼び売り」とは、路上大きな声で客を呼びながら商うこと〉  ◯「忘れ残り(二)」山中共古(『江戸時代文化』第一巻第六号 昭和二年七月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝幼年の頃呼売り商人を年中行事様に思い出にまかせしるさん〟    〈著者・山中共古は嘉永3年(1850)生まれだから、幼年の頃というと安政3-4年(1856-7)の頃か〉    ※(◇は売り声。△は売り物)    ◇「お宝おたから道中双六おたからおたから」     △二日の初夢用「七福神宝船」の一枚絵・東海道道五十三次の色摺双六 元日    ◇「はぜやはぜや」     △爆(ハゼ;蒸した餅米の殻を弾けさせた白梅花の如きもの)これを三宝に積み、新年の祝意として      来客に出す 元日    ◇「飴のお茶碗にはぜが一杯はいりまして四文でござい」     △爆(ハゼ)を赤・青に染めた子供用菓子 元日    ◇「払ひ扇箱は御座い」     △正月の年始に、町人が士分の家に持参する袋入りの扇子や桐箱(扇子を入れる)を回収する       正月七日(七種)    ◇太鼓売り(売り声は出さず、太鼓を敲いて知らせる)     △二月の稲荷祭用の太鼓、天秤棒の両荷に載せて売る 正月中旬     ※他に売り声を出さない行商は、夏の定斎薬売り(引き出し金具のカタカタ音で知らせる)      秋の虫売り(キリギリス・鈴虫・末虫)    ◇「稗蒔やひえまき」     △今戸焼きの鉢に稗を芽生えさせて青田になぞらえ、薄の穂で作った農夫を立たせ、白鷺や橋を配し      た盆栽を売る。涼感を楽しむ物    ◇「茄子(なすび)の苗や胡瓜の苗 冬瓜(とうがん)南瓜(とうなす)茘枝(れいし)おしろいの苗」     △美声で長い呼び声は瓜の蔓も長く延びるとされる    ◇「桜草やさくら草」     △鉢に植えて売る。戸田産が名所。    ◇「鮓(すし)や鰭(こはだ)のすし鮓やこはだのすし」     △肩に鮓箱を重ねて載せ、茜木綿の布をかけて売り廻る    ◇「丁斑魚(めだか)金魚めだかきんぎよ」     △緋メダカと白メダカと称す。〈昭和初年にはメダカ売りは見かけずとあり〉    ◇「豆や枝まめまめや枝まめ」     △ゆでた枝豆を籠に入れて売る。秋の末まで。旧五月廿八日の両国川開き、見物人に売り廻る    ◇「玉子玉子鶩(あひる)の玉子」     △ゆでたまごを籠に入れて売り廻る    ◇「深川名物馨(こうばし)や花林糖でござい」     △「かりん糖」の赤文字を記した丸提灯を下げて売り廻る    ◇「正月やお汁粉正月やおしるこ」     △この振り売り屋は、冬には夜中「そばウハウイねぎなんばんしつぽこ」の売り声で蕎麦やとなり、      夏は汁粉屋となる〈夏の呼び声なのになぜ「正月や」というのかは明確でなりらしい〉    ◇「心太(ところてん)や寒てんや、ところてんやてんや」     「冷やつこい氷水ひやつこい冷やつこい」     △片荷にところてんを入れた手桶、片荷に皿と青杉を口にさした徳利、ところてんと白玉氷水を兼業      するものあり    ◇「蚊屋や万年がやほろがや」     △万年蚊屋とは子供を寝かすに使う母衣(ほろ)蚊屋と同じ、形が亀の甲に似ているので万年とした    ◇「御座やもんぜんござや花ござ」     △「もんぜんござ」とは毛氈(もうせん)ござ    ◇「丹波酸漿や千成ほゝづきや長刀ほゝづきや海ほゝづき」     △女子、口に入れ吹き鳴らす〈昭和初年には見かけずとあり〉    ◇「竹や竹や」     △七夕祭用で五色の紙短冊は男竹、生霊飾り用は女竹だが、呼び声は同じ    ◇「おやんないしお生霊様お迎ひおむかひ」     △お盆、生霊棚の敷物に使う真菰売り    ◇「八ッ八通りに替る文福茶釜でござい椀になつたりお盆になつたり」     △紙細工、折り畳みかたでさまざまに形を変える玩具    ◇「納豆(なつと)なつとう」      秋風が立つ頃から売りに来る    ◇「きんちや、うまい砂糖入金時」     △金時・大角豆(さゝげ)の砂糖煮売り。朝は納豆、子供が遊ぶ時分は金時豆を売り歩くという。    ◇「出たよ出たよ飴の中からおたさんと金太郎さんが飛んででたよ」     △冬季の飴売り、切り口にお多福や金太郎が出る飴    ◇「岩見銀山鼠取受合薬いたづらものはゐないかなゐないかな」     △猫いらず売り。鼠が皿の食物を食べる図様と「岩見銀山鼠取~」の文字入り幟を肩に掲げて売り廻る    ◇「来年の大小柱暦閏あつて十三ヶ月の御調宝」     △暦売りは十一月末から。これは閏月のある時の売り声。    ◇「松や松やまつや」     △新年の門松売り。十二月中旬より〟  ☆ 小新聞の呼び売り廃止    ◯『読売新聞』明治十一年(1878)三月二十日朝刊     ※( )が傍訓(ふりがな)。原文に切れ目なし、本HPが施した  〝社告(しやこく)   当社(たうしや)読売新聞(よみうりしんぶん)ハ 明治(めいぢ)七年(ねん)十二月一日に始(は   じ)めて第(だい)一号(がう)を出版(しゆツはん)して 市中(しちう)へ売出(うりだ)した其  (その)趣意(しゆい)ハ 此(この)国(くに)が日に増(ま)し開化(かいくわ)に進(すゝ)み    学者(がくしや)も出(で)れバ智者(ちしや)も顕(あら)はれる中(うち)で 人民(じんみん)   のうち中(ちう)から下(した)と 殊(こと)に女(おんな)子供(こども)ハ 開化(かいくら)   の二字(にじ)も知(し)らず 智識(ちしき)を増(ま)すといふ工夫(くふう)もなく いつまで   経(たツ)ても愚(ぐ)ハます/\愚(ぐ)で終り 旧習(きうしふ)を固守(こしゆ)して 安心  (あんしん)して居(ゐ)るで有(あ)ろうと思へ(おも)ば 何(なん)でも無学(むがく)の人(ひ   と)に世(よ)の有様(ありさま)を知(し)らぜ 種々(しゆ/\)雑多(ざツた)な事(こと)を   覚(おぼ)えさせて 及ばずながらも日(ひ)追(おツ)てハ 智者(ちしや)学者(かくしや)の仲   間(なかま)入(い)りができる様(やう)に といふ心持(こゝろも)ちで文字ハ傍訓(ふりがな)   をつけ 文(ぶん)ハつとめて俗談(ぞくだん)平話(へいわ)に綴(つづ)り また其頃(そのころ)   下々(した/\)の人(ひと)たちに 新聞(しんぶん)とハ何(なん)の事(こと)だか知(し)ら   ないものが多(おほ)かツたゆゑ 従来(じうらい)の呼売(よびうりう)に托(たく)して 是(こ   れ)ハ此度(このたび) と市中(しちう)を売(う)り歩行(ある)かせたのが始(はじ)まりにて    引続(ひきつゞ)き箱(はこ)をかつがせ 鐸(りん)をならさせて売弘(うりひろ)めさせた時ハ    日新真事誌(にツしんしんじし)の紙面(しめん)でいたく誹(そし)られ 車(くるま)ひくもの魚  (うを)を担(にな)ふ男(をとこ)にまで笑はれたほどにて 発兌(はつだ)した頃(ころ)にハ一日   の摺立高(すりたてだか)わづかに百二十三十枚なるも看客(かんかく)の愛顧(ごひいき)によツて    今日(こんにち)二萬五六千枚(まい)を摺出(すりだ)す様(やう)に成(な)り 少(すこ)しく   世(よ)の為(ため)に成(な)るでも有(あ)らうか と信(しん)じて日々(ひび)に怠(おこた)   らず 偖(さて)此(この)読売(よみうり)に類(るゐ)する新聞紙(しんぶんし)の段々(だん/   \)殖(ふ)えるに従(した)がひ 昰(これ)ハ此(この)たび と呼(よ)び歩行(ある)く売子  (うりこ)の人数(にんず)も殖(ふ)え 記者(きしや)ハ世(よ)の悪弊(あくへい)を洗(あら)   はん趣意(しゆい)で骨(ほね)を折(おツ)ても 売子(うりこ)に一(ひと)ツの悪弊(あくへい)   を起(お)こし 出放題(でほうだい)をどなりちらし 又(また)ハ新聞(しんぶん)へ出(で)た   者(もの)の近所(きんじよ)でハ 一層(いツそう)大声(おほごゑ)を出(だ)し 新聞(しんぶ   ん)にない事(こと)までもしやべりちらし 只(ただ)一枚(まい)も余計(よけい)に売(う)ら   うと計(ばか)り思ふので じつに聞(き)くしのびず 却(かへ)ツて人(ひと)に害(がい)を及  (およ)ぼすゆえ 大警視(だいけいし)ハ既(すで)に去年(きよねん)十二月廿七日に 猥(みだり)   に附会(ふくわい)揚言(やうげん)して新聞紙(しんぶんし)を売(う)り歩行(ある)くものとい   ふ令(れい)を出(だ)されて 昰(これ)を詿違(かいゐ)七十一條(でう)に加(くは)へられた   上(うへ)ハ 出放題(でほうだい)をどなりさへ致(いた)さなけれバ 読(よん)で売り歩行(あ   る)くことハ いつまでもお免(ゆる)しで有(あ)ると思(おも)はれるが 其後(そのご)も兎角  (とかく)附会(ふくわい)して呼(よ)び歩行(ある)くことを止(や)めず 去(さり)とて数人  (すにん)の売子(うりこ)ゆえ 跡(あと)より附(つい)て制(せい)すわけにもいかず 社員(し   やゐん)ハたゞ心配(しんぱい)するのみ 又(また)昰(これ)より甚(はなは)だしいのハ 淫事  (いんじ)その外(ほか)失錯(しツさく)などにて悪(わる)く出(だ)されると 狡猾(かうかつ)   の売子(うりこ)ハ其(その)家(うち)へ押(おし)かけ 此(この)新聞(しんぶん)を残(のこ)   らず買(か)へバ 近所(きんじよ)を呼(よ)ばず 若(も)し買(か)はぬなら大声(おほごゑ)   で売(う)り歩行(ある)き此方(ことら)の悪事(あくじ)を吹聴(ふいちやう)す〟  〈これによると、小新聞の呼び売りは、箱を担いだ売り子が鈴を鳴らして「昰はこの度」と切り出しながら、売り弘めていたら   しい。それが、新聞に出た当事者の家の近くで記事にないことを大声で呼ばわったり、付会の説を巷間にまき散らすなどした   ため、明治十年十二月二十七日、東京の違式詿違条例七十一条に書き加えられて禁止された。当初、出放題をどなりさえしな   けば、読んで売り歩くことはお咎め無しだろうと思っていたところ、売り子が記事をネタに、当事者宅をゆすり新聞の買い取   りを強要するなど、更に悪質になったので、発行者としても禁止せざるを得なくなったようである。「詿違条例」は軽犯罪取   り締まり条例〉