☆ 文化四年(1807)
◯「歌川豊国肖像」春亭画(合巻『復讐妹背山物語』歌川豊国画 山東京山作 江見屋板 文化四年刊)
歌川豊国像 春亭画 『復讐妹背山物語』口絵(国書データベース)
〈他に「覧山改山東京山」「山東京伝」「はん木師小いづみ新八」(彫師小泉新八)の肖像あり〉
☆ 文化十一年(1814)
◯「歌川国直肖像」初五郎画(合巻『乗合船浪花の噂』歌川国直画 当山伝光作 河源板 文化十一年刊)
国直像 初五郎画 『乗合船浪花の噂』巻末(国書データベース)
〈当時、魚屋北渓が初五郎を名乗っていたが、この初五郎が北渓かどうかは分からない〉
☆ 文化十二年(1815)
◯「歌川国信像」国直画(合巻『教草戯言試筆』歌川国信画 東里山人作 岩戸屋板 文化十二年刊)
国信像 友人国直筆 『教草戯言試筆』巻末(国書データベース)
◯「京伝像」豊国画「豊国像」京伝画
(合巻『女達磨之由来文法語』巻末 歌川豊国画 山東京伝作 鶴金板 文化十二年刊)
〝〔京伝像豊国画〕はゞかりながら口上を申上ます 歌川豊国儀 当戌の七月ごろ病気に御座候ところ
さつそく快気仕り 当顔見世役者一枚絵並に絵草紙類あまたゑがき出板仕候 相かはらずすゑ長く
万々歳も御ひいきを願上げ奉り候 ついでながら わたくし儀並におとゝ 京山儀もいく久しく御ひい
きをひとへに/\に願上げ奉り候〔豊国像 京伝画〕〟
京伝像 豊国画 豊国像 京伝画 『女達磨之由来文法語』巻末(国書データベース)
☆ 文化十四年(1817)
◯「山東京伝(北尾政演)像」国貞画(合巻『長髦姿蛇柳』歌川国貞画 山東京伝作 河源板 文化十四年刊)
山東京伝像 歌川国貞画 『長髦姿蛇柳』巻頭(国書データベース)
〝絵師国貞ぬし 書肆とはかりて 予が像を此書のはじめに写出してものせよと乞ふ とりあへず
桜木にのぼるすがたは山王の猿に三本たらぬけさくしゃ 京伝〟
☆ 文政二年(1819)
◯「歌川豊国 国丸像」国丸・国虎画(合巻『杉酒屋妹背山々』一圓斎国丸画 葛葉山人作 西与板 文政二年刊)
豊国像 国丸画 国丸像 国虎画 『杉酒屋妹背山々』巻末(国書データベース)
(二組の鏡餅が四段の棚に置かれ、その敷紙に豊国門人の名前あり。上段から)
歌川国長 歌川国光/歌川国長 歌川国丸/歌川国直 歌川国虎/歌川国瀧 歌川勝之助
☆ 文政四年(1821)
◯「国丸像」国虎画(合巻『男達東鑑』歌川国丸画 向栄楼欣堂作 西宮新板 文政四年刊)
欣堂像 国丸像 国虎画 『男達東鑑』巻末(国書データベース)
☆ 文政五年(1822)
◯「国丸像」国幸画(合巻『恵方土産梅鉢植』歌川国丸画 欣堂間人作 鶴喜板 文政五年刊)
国丸像 国幸画 『恵方土産梅鉢植』巻末(国書データベース)
☆ 天保二年(1832)
◯「初代豊国似顔 桜川慈悲成肖像 二代目豊国画」
(合巻『今昔虚実録』歌川豊国画 桜川慈悲成作 西与板 天保二年刊)
(口絵 初代歌川豊国似顔 桜川慈悲成肖像)
〝歌川豊国似顔 くまどりは実紅梅のかんのべに 一陽斎にひらく顔見世 故人自作〟
(桜川慈悲成の口上)
〝憚り乍ら此処にて鳥渡(ちょっと)口上の申し上ます こゝに矢の根五郎をあらはしましたるは 御
ぞんじの私兄弟分の故人歌川豊国 茶番狂言の画図に御坐ります 此義は只今の二代目歌川豊国
大江戸御なじみ深き先の豊国同様御ひゐき御取立の御礼 何がなと申しますに寄りまして わたく
し申しますは かげながら親の悦びいさみます 其の似顔と申認めさせ 御礼の為御覧に入れ奉り
ます 猶此上相替らず 今の豊国/\と御引立の程すみからすみまでと角かはらの
古人にかはりて 行年七十才の親父 桜川慈悲成申す〟
初代豊国似顔 桜川慈悲成肖像 二代目豊国画 『今昔虚実録』口絵(国書データベース)
◯『戯作六歌仙』歌川国貞画 岩本活東子 安政三年成立 写本
(画像:国書データベース・早稲田大学古典籍総合データベース)
〝山東京伝肖像 香蝶楼国貞画〔国貞〕印
式亭三馬肖像 (落款なし)
曲亭馬琴肖像 (落款なし)
十返舎一九肖像〔国貞〕印
柳亭種彦肖像 (落款なし)
談洲楼焉馬肖像(落款なし)
北斎肖像 (落款なし)
豊国肖像 (落款なし)
国貞肖像 (落款なし)〟
☆ 文久三年(1863)
◯「七十八翁 一陽斎豊国肖像」「一鴬斎国周真写」平のや板 改〔亥四改〕(文久三年四月)
「当世見立 三十六花撰」総目にあり
一陽斎豊国肖像 一鴬斎国周画 (国立国会図書館デジタルコレクション)
◯『浮世絵』十八号(酒井庄吉編 浮世絵社 大正五年(1916)十一月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇「京伝百年祭」記事
(大正五年九月八日、山東京伝満百年忌 祈念遺物展覧会 於回向院)
〝山東京伝肖像 絹本 掛幅 署名「初代豊国生筆其侭立斎写」〟
〈初代豊国画を初代広重が写したもの〉
◯「画人の肖像画談」相見香雨(『塔影』十四ノ九 昭和十三年九月刊)
(『相見香雨集 四』所収 日本書誌学大系45 青裳堂書店 平成八年刊)
〝岩佐勝以は自画像と称するもの伝つて、今は神戸の武岡氏にある。之もよく知られたもの〟
〝野々口立圃はその子鏡山のかいたよい画像が、今西沢笛畝画伯に珍蔵されてゐる。その写真は先年美術
協会々報誌上で紹介したことがある。
〝英一蝶は帝室博物館にあるものが、よく知られてゐる
〝菱川師宣 栗原信充本、鳩居堂本共に載す。原本があつたものと見える
〝宮川長春の自画像は、震災の際、小林文七の所で亡くなつたのは惜しいことでした。その略図は『絵画
叢誌』其他何かで見たことがあるが 火燵にあたつて書見してゐるところで、長落款に「寛保二正月元
旦 宮川長春六十一歳 自像自画(花押)」とあつた〟
〝酒井抱一は鴬蒲の筆と伝へられる法体像が二本、十徳姿が一本ある。池田孤村が『抱一上人真蹟鏡』の
巻頭にかいた像は、徒(いたづら)にいかめしくしてしまつて、真と失すること甚し。千住の酒合戦を描
いた『後水酉の記』図巻中の見物席に、文晁、鵬斎等と共に画かれた像が、尤もよく上人の風姿を現は
してゐるやうである〟
〝喜多川歌麿の像、鳥文斎栄之の落款あるもの独逸にあると云ふ。写真を見ると、角力の年寄か侠客の親
分かといつたやうな風体で、あの美人画の作家とは一寸受取れ兼ねる。真偽は知らぬが、ともかく此像
では興ざめがする〟
〝葛飾北斎の像といふもの大分問題視されてゐたやうだが、未だその結論を聞かず〟
〝歌川豊春のは歌川家にあり。豊国、国貞、広重等は肉筆画でもあり又版画の死絵でも見られる〟
〝田中訥言は文晁本中にある。近眼か斜視か、ともかく眼のわるかつた容姿がよく現はされてゐる〟