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☆ ちょうざん 丁山浮世絵事典
 ☆ 寛政元年(1789)  ◯『よしの冊子』〔百花苑〕⑧(水野為長著・寛政元年(1789)四月記)   〝福島又四郎吉原へ遊びニ参り、白小袖に白地の羽織を着し遊び候由。あくる日帰候節ハ麻上下ニて馬に    乗、鎗を持せかへり候よしのさた。廿三日にハ久世の宅へ丁子やの丁山参候とて、門前市のごとく込合    候由。丁山ハ又四郎が相方也と申さたのよし。     又四郎があいかた女郎ハ丁山ニハ無之、連山とやらニて有之よし〟    〈福島又四郎は幕府御勘定。昨年十二月、謀判のうえ七百五十両もの公金を横領した廉て逮捕された。以来、関係者の     取り調べが続いていた。四月二十三日、勘定奉行の久世丹後守広民が事情聴取のため、吉原の丁子屋抱え遊女・丁山     (一説に連山とも)を自宅に召喚したというので、久世宅は黒山の人だかりというのである。取り調べは次ぎのよう     なものであった〉
  〝福島又四郎の買候丁子やの丁山、久世の宅へ被呼出、其方義又四郎より金子を五十両貰候と申が弥(*イ    ヨイヨ)左様ニやと問候へバ、随分貰候事もござりませうが毎日毎夜其位の事ハ貰ますから、どれがどふか    としかと存ませぬと申候へバ、そんなら其金ハ誰ぞニに遣したか、遣した者のあらバ申上ロ。御取上ニ    成と申候へバ、丁山私抔(*ナド)は金ヲ貰ましても直ニ遣り手や若イ者芸者抔が参り、御金を下され/\    と申ますから、三両五両ヅヽ誰と申事もなし遣しますから誰へやつたと申事も覚へませぬ。是ハ御奉行    様の御詞共存ませぬ。と申候へバ、曲淵大にこまり、成程そふであろふ。夫共一両でもやつた所を覚へ    て居るならば申上よと申捨ニいたし、丁山を相返し候よし〟    〈「是ハ御奉行様の御詞とも存(じ)ませぬ」とある。さすが仲の町張りをする別格のおいらんのことはある。幕閣の     久世広民、曲淵甲斐守景漸、両勘定奉行にも臆することなく堂々と渡り合ってすこしも押されていない。公金の回収     を迫られるものの、金品我関せず、揚げ代と距離を取って自らの格式を崩すことなく、そのうえ抱え主・見世の者・     茶屋等の関係者には累が及ばぬよう配慮して、尋問に相対したのである。見事なさばきである。『よしの冊子』は虚     実を問わず伝聞を収録しているから、実際のところは分からない。しかし、たとえ虚説であったとしても、丁子屋の     丁山に代表される吉原のおいらん達には、このような品格と座を差配する力が備わっているはずだと、当時の人々が     認めていたことに相違はなかろう。ところで福島の運命だが、謀判のうえ公金横領ということで結局死罪になった。     なお福島には、健気に武芸に出精する跡継ぎがいた。前例では父が死罪の場合、子は遠島処分が相当とされていた。     だが今回はそうならなかった。同年六月、老中松平定信は、父に似合わぬ人柄の良さを斟酌したのか、「父子兄弟罪     不相及」という新判断を下して、忰をお構いなしとしたのである〉