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☆ ちょきぶね 猪牙船浮世絵事典
 ◯『本朝世事談綺』〔大成Ⅱ〕⑫476(菊岡沾凉著・享保十九年刊)   〝明暦のころ、両国笹屋利兵衛、見付の玉屋勘兵衛といふものこれを作る。押送(オシオク)りの長吉といふも    の、船を薬研(ヤゲン)のかたちに作り、魚荷(ウオニ)を積て押に至てはやし。これを考へて作るもの也。長    吉船といふべかりけるを、ちよき舟といへり。近年猪牙の二字を用ゆ。猪牙(ヰノキ)に形似たるゆへか〟  ◯『江戸名物百題狂歌集』文々舎蟹子丸撰 岳亭画(江戸後期刊)   (ARC古典籍ポータルデータベース画像)〈選者葛飾蟹子丸は天保八年(1837)没〉   〝猪牙舟    一二りん影うく梅の星の中へ三日月みする隅田の猪牙舟    酒の香の匂ふ新川しん堀の猪牙にゆられて酔ふ人は誰    鉄炮洲はしれる猪牙のむかひ舟のせたる妹や何匁たま    猪の牙の舟は北むくあげ汐に馬よりはやくはしる駒かた    板戸よりはしりのよきは猪牙舟のみぞ川を出て行く油堀    うかれ女に夜はもたれて猪牙舟にひるはゆられてかへる客人    弓張の月のひかりによし原へそれる矢さきにはしる猪牙舟    猪牙舟はみな夕月のかたちにて三谷堀へといそぐ夕暮れ    いそぎ行跡しら浪の猪牙舟は手軽う廻る小新地のはな    闇の夜の鉄炮洲からいそぐらしむかふみずなる猪の牙の舟    猪牙舟にたばこの火縄匂はせて鉄砲洲からかよふ深川    みどりなる若はの春の柳はし火縄もほそくけぶる猪牙舟    象牙くしさす手弱女の乗にけん柳の髪につなぐ小舟は    艪の音も雁とこそきけ隅田川花をみすてゝかへる猪牙舟    秋萩の花むらさきの蒲団きて尾花屋につく猪の牙のふね〈深川の料亭〉    猪牙舟にたばこの火縄けぶらせて鉄炮洲へもむかふ舟どう    三日月のちらりとみえて山谷堀西へかたぶく猪牙ぶねの客    さゝがにのをしへし舟に猪のしゝの牙てふ名をばなどて負せし    養由が一葉の舟も矢のごとく新地のはなにちる百歩楼(画賛)    〈新川新堀・油堀・鉄炮洲・深川新地・山谷堀・吉原・百歩楼は深川新地の遊郭〉  ◯『近世風俗史』(『守貞謾稿』)巻之五「生業上」①182   (喜田川守貞著・天保八年(1837)~嘉永六年(1853)成立)   〝猪牙船    ちよき舟と訓ず。明暦中、浅草見附の船宿玉屋勘五兵衛と笹屋利兵衛と云ふ二人、始めてこれを造る。    山谷通ひの遊客を乗すると云ふ。あるひは長吉と云ふ者、鮮魚を諸浦より江戸に漕す押送り船を模して    薬研形の小舟を作り、長吉舟と号く。音近きをもつて猪牙の字を附すとも云ふ。もつとも形猪の牙に相    似たり。ただ早走を要とす(文化中、七百余艘あり)。    猪牙船の賃、柳橋より山谷堀に至る、大略三十町なり。一艘片路百四十八文。    猪牙以下並(トモ)に屋根なし船なり。    三挺は猪に似てわづかに大なり。櫓三挺を備ふ意にて名とすれども、今は一、二挺を用ふのみ。正徳五    年官命して二挺立て・三挺立ての船を禁止すと云ふ。しかれども今も三挺はこれあり。二挺と名付くる    物を聞かず。今の猪牙船のことか。    柳橋より山谷に至る船賃、一人船頭四百文、二人船頭五百文なり。    屋根船以下。皆一往一来の片路なり。往来ともに乗るには、また銭を増す〟