Top              浮世絵文献資料館            浮世絵師総覧         ☆ たけだ ぬいのすけ 竹田 縫殿介       浮世絵事典  ☆ 弘化元年(天保十五年・1844)    ◯『増訂武江年表』2p103(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (「弘化元年(1844)」記事)   〝春より夏に至り、両国橋西広小路に大なる仮屋を構へ、こま廻し竹沢藤治(下谷の住)こまに手妻(テヅ    マ)の曲とゼンマイからくりを交へて見せ物とす。見物山の如し(これに続いて浅草に住める奥山伝次と    いへるこま廻し、竹沢の趣向を習ひこまに手妻を交へ、道具建にからくりをなして、浅草寺奥山にて見    せものとしけるがさして行はれず。其の後人形師竹田縫殿介、同所にてもみけし人形の見せ物を出した    り)〟    ☆ 嘉永六年(1853)      ◯『藤岡屋日記 第五巻』p306(藤岡屋由蔵・嘉永六年(1853)記)   (五月十日より、回向院において、伊勢国津、国府阿弥陀如来開帳)   〝境内見世物之次第    一 伊勢音頭一刀持     一 猩々    一 廿四孝海草細工     一 灯心細工    一 竹田縫殿介、怪談細工  一 中嶋庄五郎歌舞伎芝居 御壱人前百八文    一 豊年踊り        一 水からくり〟    ☆ 安政二年(1855)     ◯『増訂武江年表』2p143(斎藤月岑著・明治十一年成稿)   (「安政二年(1855)」記事)   〝二月十八日より八十日の間、浅草寺観世音開帳。貴賤男女日々参詣群集せり。同寺奥山に大坂下り活人    形(イキニンギヨウ)といふ見せもの出る。肥後国熊本なる松本喜三郎といふ者造る所なり。木偶にあらず泥塑    にあらず、紙糊(ハリヌキ)のものと云ふ。手長島、足長島、穿胸国、無腹国其の外異国人物、丸山遊女の偶    人等多く、男女とも活ける人に向ふが如し。又竹田亀吉作大象の作り物あり。見物群れをなす。又同所    にて、去年浪花に趣きて横死せし俳優市川団十郎(八代目)が肖像、狂言に出立(イデタチ)たる形、楽屋    のさま、極楽へ至り成仏のさまなど作りて看せ物とす。普通の細工なれど、贔屓大かりし俳優の自尽を    いたみし折から故、おのづからにして見物群集せり。細工人竹田縫之助清一なり。又軽わざ綱渡りの上    手増鏡勝代といふも、同所へ出て見物多し〟    ☆ 安政四年(1857)      ◯『藤岡屋日記 第七巻』(藤岡屋由蔵・安政四年(1857)記)     ◇生人形 p440   〝(安政四丁巳年二月、両国で興行の軽業師・早竹虎吉に対抗し、浅草奥山では以下の興行が行われる)    奥山生人形      細工人御馴染   竹田縫之助      大道具大工    長谷川友吉      同        竹田芳太郎      肥後熊本     秋山(一字欠)猪次郎      同        作次郎  万助    生人形細工人、熊本秋山平十郎      看板次第    新吉原遊女屋二階之処    中の町さくら、おいらん道中    田舎源氏光氏酒宴之処      招き人形      信濃や前の所、長のれん懸ヶ行灯      母にお半、下女にでつち、人形四ツ      脇に角力取二人 大形〟    ☆ 安政六年(1859)         ◯『増訂武江年表』2p171(斎藤月岑著・明治十一年成稿)   (安政六年・1859)   〝正月より、浅草寺奥山に偶人細工人肥後熊本秋山平十郎、機関細工人竹田縫之助にて、活偶人数種、又    ゼンマイからくり、宝船に七福神笑布袋等の見せ物出る(唐子の獅子舞殊に奇巧なり。笑布袋は文政三    年以来三度目なり)〟    ☆ 万延元年(安政七年・1860)      ◯『増訂武江年表』2p179(斎藤月岑著・明治十一年成稿)   (万延元年・1860)   〝三月十五日より六十日の間、浅草観世音開帳。日毎に参詣群集せり(奥山に肥後の松本喜三郎が細工に    て、三度目の活人形見せもの出る。四十八癖と号し、男女四十八種の偶人(ニンギヨウ)を見する。喜怒哀楽    の情態をうつし、さながら生ける人に向ふがごとし。招きには龍宮玉取女の形なり。又同所に秋山平十    郎が作男女相性の偶人、竹田縫之助がからくり人形の見せ物も出たり)〟    ☆ 文久元年(万延二年・1861)      ◯『増訂武江年表』2p182(斎藤月岑著・明治十一年成稿)   (文久元年・1861)   〝正月より、浅草寺奥山に於いて、秋山平十郎作加藤清正虎狩の活人形、竹田縫之助が作のからくり人形    を見せものとす。活人形は次第にたくみになりたれど、珍らしからねば見物少し〟    ☆ 文久二年(1862)      ◯『増訂武江年表』2p187(斎藤月岑著・明治十一年成稿)   (文久二年・1862)   〝十二月より浅草寺奥山に於いて、怪談活偶人(イキニンギヨウ)見せ物出る(作、ぜんまい機関竹田    縫之助細工也)〟    ☆ 元治元年(文久四年・1864)      ◯『増訂武江年表』2p199(斎藤月岑著・明治十一年成稿)   (元治元年・1864)   〝浅草寺奥山竹田縫之助が作にて、活人形見せ物出る。懐胎の女腹内を開き(懐胎十月の形を見せものに    に出しけるは、両国橋手前にあり)、十月の形かはらする細工、其の外偶人の働きあり〟    ☆ 慶応二年(1866)     ◯『増訂武江年表』2p203(斎藤月岑著・明治十一年成稿)   (慶応二年・1886)   〝正月より浅草奥山見せ物、秋山平十郎活人形、竹田縫之助ゼンマイからくり等なり〟    ☆ 慶応三年(1867)     ◯『増訂武江年表』2p214(斎藤月岑著・明治十一年成稿)    (慶応三年・1867)   〝(四月、浅草)奥山、秋山平十郎作の活人形、竹田縫之助が細工見せもの出たれど、此の度は見物少し〟