Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ ぞう 象浮世絵事典
 ☆ 元文五年(1742)    ◯『我衣』〔燕石〕①171(加藤曳尾庵著・文政八年(1825)以前成立)   〝元文五申年、御浜御殿に飼所の白象、中野と云村より願に出、拝領す、前々象飼料御物入多きゆへ、倹    約に付、望の者は願出べき由御触に付、中野名主願出る、象洞十六文づゝに売る、見せたる後、酉戌の    年死けると云、死する前は大象となり、高一丈二三尺、長四間ほど、大なる土蔵の動が如し、御浜にて    飼付の者、常に御上より渡る飼草を減して養ひたり、依之、象彼飼者を鼻にて巻て投殺せり、佞臣を知    りて不通と云事誠なり、能理非を正す霊獣也【象志と云本/別に所持す】象の糞は、牛の如く生にてゆ    るく下す故に、洞と云、痘瘡の薬とて売たれども、功を見たるもの一人も無し、売たき故の談なるべし〟    〈「酉戌の年」とは寛保一、二年(1741~2)〉    ☆ 文化十年(1813)    ◯『街談文々集要』p291(石塚豊芥子編・文化年間記事・万延元年(1860)序)   (文化十年(1813)「和蘭象持渡」)   〝(文化十年六月、オランダ船長崎入港。舶来品のリストあり)    右来舶の内、象を初め珍らしき禽獣之類、江戸表へ御伺候処、御差もどしに相成候、是珍禽奇獣不蓄於    国といへる、聖のいましめもありがたし。此節、      めづらしな象(キサ)のさし櫛さし連て寄合町に出る新象      応永ハ初会享保ハうらなれど三会目にハよバぬ新象                              右蜀山人詠     (以下、応永十五年と享保十三年の象舶来の記事あり、略)〟    ☆ 文政七年(1824)    ◯『藤岡屋日記 第一巻』p343(藤岡屋由蔵・文政七年(1824)記)   〝文政七甲申秋    (両国橋西広小路に於て駱駝の見世物)去年紅毛国より長崎表ぇ持渡候也、おだやかにして、喰物、大    根・蕪菜・さつまいも等のよし、三十二文宛にて見物夥敷群集すなり〟
    「駱駝之図」 国安画 ・ 山東京山撰 (早稲田大学図書館・古典籍総合データベース)      〈この「駱駝之図」には〝文政四年辛巳六月阿蘭陀人持渡駱駝之図〟とあって、長崎への渡来は文政四年。画中に〝文政     七甲酉年閏八月上旬より江戸大に流行〟の朱書きがある。また「古典籍総合データベース」には国安画・江南亭唐立撰     の「駱駝之図」もあり、こちらの朱書きには〝文政七年庚申年初秋江戸に来り壬八月より両国に於て見せもの〟とある〉    ☆ 文久三年(1863)    ◯『増訂武江年表』2p192(斎藤月岑著・明治十一年成稿)   (文久三年・1863)   〝四月、両国橋西詰にて、異国渡来の牝を見せものとす。灰毛九尺計(バカリ)あり(三歳とぞ)〟