☆ 弘化四年 <十二月>
筆禍「七福神曽我之初夢」(国芳画)
処分内容 絵草紙屋 釣り売りした絵を没収
板元 三河屋鉄五郎 板木没収・削除 売買禁止
処分理由 釣り売り禁止の錦絵を販売可能として卸売りしたこと
◯『大日本近世史料』「市中取締類集 十九」書物錦絵之部 第九五件 p148
(絵草紙掛り名主の上申書)
〝一 七福神曽我之初夢 錦絵五枚 元大工町 平次郎店 板元 三河屋鉄五郎
右錦絵、当十一月中草稿を以改請此節出板、絵草紙屋共之内見せ釣し売致候者有之候間、取上取調候処、
右鉄五郎儀おろし売致候砌、釣し売致候ても不苦旨相断候由ニ候得共、先達て踊形容ニ紛敷錦絵釣し売
致間鋪旨申渡、証文取置候処、卸売之者申聞候迚釣シ売致候は、絵草紙屋共心得違ニ付、釣売致候分取
上ケ、板元鉄五郎儀は、釣売可致旨絵草紙屋共え申聞候段、以之外心得違ニ付、板木取上ケ削取、右錦
絵売買差留申候、依之取上ケ絵相添、此段申上候、以上
(弘化四年)十二月廿日 絵草紙掛り名主共〟
〈この文書には別紙の添付あり、三河屋に関して、絵双紙掛り名主による次のような文書が載っている〉
◯『大日本近世史料』「市中取締類集 21」書物錦絵之部 第二八六 p218〕
〝 元大工町 糴売渡世 三河屋鉄五郎
右之もの方え、絵双紙屋共板元より扣絵相渡候得共、相配不申品も多分有之、殊ニ去年(弘化四年)中、
踊形容絵之内釣し売致し候ても宜趣杯申触候義も有之、証文取之其節は相済セ候得共、一体志不宜もの
二御座候間、同人義差出候絵類ハ、御一統改収不申候様仕度、此段及御相談候、右之通、去申(嘉永元
年)九月六日、松之尾二御相談申上候事〟
〈岩切友里子氏によると、この「七福神曽我之初夢」は役者似顔の五枚続で国芳の画、残っている作品の版元は湊屋小
兵衛、三河屋は糴売だろうとする。(『浮世絵芸術』№143「天保改革と浮世絵」)
「踊形容」とは役者名のない役者似顔絵のこと(上記二月の項参照〉。これについて「先達て踊形容ニ紛敷錦絵釣し
売致間鋪旨申渡」とあるから、販売は許可されたものの店頭での釣り売りは禁じられていたようだ。その上徹底する
ため名主たちは業者から証文も取っていた。にも拘わらず、三河屋はこれを破り、釣り売り出来ると偽って卸売りを
した。この三河屋に対して、絵草紙掛り名主たちは全く信を置かなかった。「一体志不宜ものニ御座候間、同人義差
出候絵類ハ、御一統改収不申候様仕度、此段及御相談候」として、改(アラタメ)を通さないよう申し合わせまでしていた〉