Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ さわむら そうじゅうろう 沢村 宗十郎浮世絵事典
 ☆ 文化九年(1812)    ◯『藤岡屋日記 第一巻』①137(藤岡屋由蔵・文化九年(1812)記)   〝文化九壬申年十二月八日    四代目沢村宗十郎訥子卒    法名[ 空 白 ]    浅草誓願寺中受用院ニ葬    文化九の年師走八日といへるに、世にをしまれし訥子の壮もの、常なき風の為に灯火の花とちりて、黄    なる泉の客となれるを、いくばくの贔屓ひたんすれども、枯野の舟のかいなくて、かゑるべきことなら    ねば、爰ニ哀れをとゞめたる、墓前に大灯籠を手向るも、よミの道あかるかれとて       雪灯籠枯木に花の誓ひにぞ         つみも消なむ南無観世水     文化十癸酉年       干盂蘭建之       三扇亭有家〟    ◯『街談文々集要』p268(石塚豊芥子編・文化年間記事・万延元年(1860)序)   (文化九年(1812)「路孝訥子終」)        〝文化九年壬申十一月廿九日、四代目瀬川路考死去、生年卅一才、法号、循定院環誉光阿禅昇居士    【初中村千之助ト云、桐座若太夫、後瀬川菊之助、後ニ路之助、夫より路考】    同十二月八日、四代目沢村訥子死去、生年二十九才、法号、善覚院達誉了玄居士    【初メ沢村源之助三代目訥子実子】    路考、寺ハ本所押上大雲寺、宗十郎ハ浅草誓願寺にて、両人葬礼の見物大群集、僅ニ十日の日隔て、西    方極楽浄土に赴く、追善の錦絵一枚摺・二枚続、江戸諸名家の書入【狂文狂歌】数多出板す、当時娘・    女中連ひゐき多き両人の事故、大にしきを求めんと絵屋の前押号/\、市の如し、其外三芝居惣役者、    手向追善の発句を売歩行、往還ニかまびすし、亦宗十郎・路孝の辞世の句      寒ぎくに一霜つらきあした哉  路考      雪道や跡へ引るゝ逆わらじ   訥子     (追善の戯作として式亭三馬作『地獄極楽道中記』の序を引く。略)〟
     「瀬川路考」「沢村宗十郎」(死絵) 豊国画 (早稲田大学演劇博物館・浮世絵閲覧システム)