☆ 嘉永六年(1853)
◯『藤岡屋日記 第五巻』p238(藤岡屋由蔵・嘉永六年(1853)記)
◇流行物
〝嘉永六丑年三月、当時世の有様
爰に木曾の薮原より江戸表へ罷出候相模屋栄左衞門といへる櫛屋、当時堺町に住宅致し候処に、此者お
六すき櫛の出来そこなひのぴつ/\となるより思ひ付て、さくら笛と名付、一本四文と売出し候処に、
はやるまいものか、皆々ぴつ/\と苦しがり居候時節なれば、天に口なし人を以いわしむるの道理にて、
子供等是を求て人の耳元へ来り、ぴつ/\と吹て苦るしがらせ悦ぶは、去年かんしやく玉にて人に肝を
潰させ楽が如し。
(中略)
さくら笛 何廼家桜顔見
うか/\といきたかい有初さくら、今年も春のうらゝかに、日あしものびて糸遊の、曳や霞の花見まく、
花がそふか桜が呼哉、招きまねかれする中に コレハ笛で御座イ ヲイ笛屋さん、なぜ是をさくら笛と
言やす、ハイさくらが吹ますから、コレ/\花見の中で桜が吹とはわりい、花に風はさはりだろう、
イエ/\、竹細工の宇九比寿笛は梅が香こぼさず、桜が吹ても花は散りません、はてなあ。
さくら咲桜の山のさくら笛風哉いとはで吹れこそすれ〟