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☆ さがのおくねこまたぞうし 嵯峨の奥猫又草紙浮世絵事典
 ☆ 嘉永六年(1853)<九月>      筆禍「嵯峨の奥猫又草紙」合巻・二代目国貞画       処分内容 ◎版元 浜田屋徳兵衛 発禁            ◎画工 記載なし(二代目国貞は不問)       処分理由 不明           (中村座興行予定の「花野嵯峨猫またざうし」が佐賀鍋島家の抗議によって公演禁止。            その余波で合巻も発禁。但し『嵯嶺奥猫魔多話』と改題して発売した)         ◯『藤岡屋日記』第五巻 p378(藤岡屋由蔵・嘉永六年九月記事)   〝一 嵯峨の奥猫又草紙      作者花笠文京、二代目国貞画、板元南鍋町二丁目浜田屋徳兵衛    右種本は、五扁迄書有之候由、初扁びらは九月十日頃に処々へ張出し置、芝居初日に配り候積りにて相    待居り候処に、是も同時に御差止に相成候、大金もふけ致し候積り之処、差止られ、金子三十両計損致    し候由、右に付、落首、      浜徳もしけをくらつて損になり    然る処に、右合巻、名題書替に致し、嵯嶺奥(サガノヲク)猫魔太話と直し候て、初扁、十月十日配りに相成    候〟    〈中村座「花野嵯峨猫またざうし」に連動した際物出版だったが、下出のように、佐賀の鍋島家から抗議が入って狂言は禁     止になった。合巻も発禁になる。ただ合巻の方は『嵯嶺奥猫魔多話』と改題して、約一ヶ月遅れて出版に漕ぎ着けた。国     文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」には楳田舎好文作・歌川国貞二世画・濱田屋徳兵衛板・嘉永七年刊とある〉      参考資料(中村座興行「花野嵯峨猫またざうし」関係)        △『藤岡屋日記』第五巻 p378(藤岡屋由蔵・嘉永六年九月記事)    (九月二十一日から興行予定の中村座「花野嵯峨猫またざうし」同月十五日番付を市中に配る)   〝右狂言大評判に付、錦絵九番出候也。    一 座頭塗込  三枚続 二番      【蔦吉/角久】    一 同大蔵幽霊 同   三番  照降町  ゑびすや                    神明町  いせ忠                    南鍋町  浜田や    一 碁打    三枚続 壱番  石打   井筒屋    一 猫又    同   壱番  銀座   清水屋    一 大猫    二枚続 壱番  両国   大平    一 猫画    同   壱番  神明町  泉市      〆九番也。    右は同日名前書直し売候様申渡有之候得共、腰折致し、一向に売れ不申候よし〟
    「鍋島の猫の怪」豊国画(早稲田大学演劇博物館・浮世絵閲覧システム)      〈「早稲田大学演劇博物館浮世絵閲覧システム」には、外題を「花野嵯峨猫☆稿」として、延べ三十八点が収録さ     れている。すべて豊国三代の作画である。この芝居は興行直前、佐賀の鍋島家から当家を恥辱するものと訴えら     れて、上演禁止になった。鍋島家のこの抗議は頗る評判が悪い。佐倉宗吾狂言に対する堀田家の姿勢と比較して     次のように言う〉     〝去年、小団次、佐倉宗吾にて大当り之節に、堀田家にては、家老始め申候は、今度の狂言は当家軽き者    迄いましめの狂言也、軽き者は学問にては遠回し也、芝居は勧善懲悪の早学問也、天下の御百姓を麁略    に致時は、主人之御名迄出候也、向後のみせしめ也、皆々見物致し候様申渡され候よし。    鍋島家にて、狂言差止候とは、雲泥の相違なり〟