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☆ 鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)浮世絵事典
 ☆ 寛政元年(天明九年・1789)      筆禍『鸚鵡返文武二道』(黄表紙)       処分内容 絶板            ◎作者 恋川春町(同年七月死亡)◎画工 北尾政美(記載なし)            ◎板元 蔦屋重三郎(記載なし)       処分理由 幕政諷刺     ◯「鸚鵡返文武二道」(宮武外骨著『筆禍史』p78)   〝恋川春町の著にして、画は北尾政美の筆なり、此黄表紙も亦前に同じく絶版となる、『青本年表』寛政    元年の項に曰く     鸚鵡返文武二道は、前年喜三二の出せる文武二道万石通の後編に擬しての作なれば、所謂文武のお世     話を主題とし、以て怯弱游惰の武士を微塵に罵倒せし痛快の諷刺作なれば、洛陽の紙価を動せし売行     にて、好評嘖々たりしも亦主家(松平丹後守)の圧迫に遭ふのみならず、一身の進退に関係を及ぼさ     む勢なりしに、今秋七月を以て不帰の客となりし云々〟    ◯『よしの冊子』〔百花苑〕⑧294(水野為長著・寛政元年(1789)三月記)  〝あふむがへしの草双紙は松平豊前守殿作共申し、豊前守作成が夫を春町に託せられし共申、又豊前殿小 石川の春日町に上屋敷御ざ候故、俳名を春町とも申候由のさたに御座候〟    〈恋川春町作・北尾政美画『鸚鵡返文武二道』について、曲亭馬琴は〝鸚鵡返シ文武二道【北尾重美画、天明九年正月     出ッ、三冊物、蔦屋重三郎板)】、いよ/\ます/\行れて、こも亦大半紙搨りの袋入にして、二三月頃まて市中を     売あるきたり。【流行此前後二編に勝るものなし】當時世の風聞に右の草紙の事につきて白川侯へめされしに、春町     病臥にて辭して參らず〟と『近世物之本江戸作者部類』に記している。春町の逝去はこの年の七月七日のことである。     自殺ともいわれている。松平豊後守は不審。春町の仕えた小島藩主は松平丹後守か。『よしの冊子』は根拠の不確か     なものまで収録しているから虚説かもしれないが、しかし真偽いずれにせよ、主君の作かとも噂されたのであれば、     春町は、責任を取らざるを得ない立場に追い込まれたとはいえよう〉