☆ 嘉永三年(1850)<五月>
筆禍「大内合戦之図」三枚続・玉蘭斎貞秀画・山口屋藤兵衛板(嘉永三年五月刊)
内容 版元山口屋藤兵衛、板木没収、売った絵の買い戻しを命じられる
(町奉行の処分ではなく絵双紙掛名主の裁量による)
理由 浮説流布(江戸城本丸火災を擬えたなどの噂が立つ)
◯『藤岡屋日記』第四巻(藤岡屋由蔵・嘉永三年五月記)
◇貞秀画「大内合戦之図」④115
〝同日(四月廿四)の配りニて、馬喰町二丁目山口藤兵衛板、貞秀が画ニて大内合戦之図、大内義弘家臣
陶尾張守謀叛ニて、夜中城中へ火を懸候処、いかにも御本丸焼の通りなりとて評判強く、能く売れ候ニ
付、御廻り方よりの御達しニ有之候哉、五月三日ニ懸り名主村田佐兵衛、板元を呼出し、配り候絵買返
しニ相成、板木取上ゲニ相成候よし、五月六日落着、色板取上ゲ。
能く売れて来たのに風が替つたか
つるした絵まで片付る仕儀
〈城中火災の図様が江戸城本丸の火災の様子に似ている等の評判がたって、名主の村田佐兵衛が、裁量で規制したので
ある。狂歌は店頭で吊るし売りしていた品物まで撤去されたことを詠んだもの〉