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浮世絵文献資料館
浮世絵師総覧
☆ おかもち てがらの 手柄 岡持
(朋誠堂喜三二)
浮世絵事典
☆ 寛政元年(1798) ◯『よしの冊子』上〔百花苑〕⑧357(水野為長著・寛政元年四月下旬記) 〝佐竹の家老に喜三二と申す草双紙造り御座候て、西下(老中・松平定信)の御事抔作り出し候処、西下 にて佐竹へ御逢い遊ばされ候節、其御元御家来の草双紙を作り候者は、才は至極これ有り候様に聞へ候 へ共、家老の才にはこれ有る間敷と御咄御ざ候由、右に付、佐竹にてさし置がたく、国勝手に申し付候 と申さたのよし〟
〈天明八年(1788)正月刊行の草双紙、喜三二作『文武二道万石通』は、結果として、松平定信の推し進める文武奨励策 を諷刺したものと受けとめられたのである〉
☆ 文化十年(1813) ◯『街談文々集要』p284(石塚豊芥子編・文化年間記事・万延元年(1860)序) (文化十年記事「岡持翁卒去」) 〝五月二十日、平荷翁没死、深川浄心寺葬フ。行年七十九才、秋田侯の士にて、俗称平沢平格、戯名喜三 次、又亀山人、朋誠堂ト号す、狂哥ニ
手柄岡持
の名あり、俳諧に月成、狂詩に韓長齢、また天寿といふ、 晩年仕を辞して剃髪して後、苦なき人となりしを戯れて、自ら平荷と名づく、喜三二の戯号ハ、芍薬亭 長根ニ譲らる【是を三橋喜三二ト云】戯作の門人宇三太・亀遊女あり【青本ノ作あり】先生【青本】始 メハめづらしい献立曽我・桃太郎後日ばなし・南たら法師柿の種・女嫌変な豆男・是鱗形屋孫兵衛板ニ て、初舞台なり、又吉原細見の序文ハ、年々著述なり、此外題年々かわることなかりしに、天明三みづ のとの卯ノ春、五葉松と表題して今に至る迄かわる事なし【夫迄ハ年々かはり天明二年人松島ト云】 (以下、『五葉松』の序文。蜀山人の追善狂歌あり。略)〟 ◯『東京掃苔録』(藤波和子著・昭和十五年(1840)四月序 八木書店 昭和48年版) 〝深川区 一乗院(三好町一ノ六)日蓮宗 手柄岡持(狂歌)本名平沢常富、通称平格、朋誠堂喜三二、韓張齢、月成の別号あり。草双紙の作家と して特殊の才腕あり、『文武二道万石通』『鐘入七人化粧』『案内手本通人蔵』等有名なり。また随筆 に『我面白』、手柄岡持集あり。文化十五年五月二十日没、年七十九。法性院月誠日明居士。 辞世 狂歌よむうちは手柄の岡もちよよまぬだんでは日柄のぼたもち〟
〈没年は誤植か。正しくは文化十年〉