Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ にしむらや よはち 西村屋 与八(永寿堂)浮世絵事典
 ◯『歳男金豆蒔』合巻「一雄斎国貞画」山東京山作 西与板(文化八年(1811)刊)〔早大〕    「永寿堂蔵書目録」    「新改御江戸絵図一面」彩色摺/無彩色 大形/中形/小形 毎月改      諸御大名御紋 上中下御屋鋪 御旗本御屋敷 付新地      替地広小路 諸町名并所々上ヶ地空地 改正再板仕候      東ハ中川葛西筋 西ハ板橋代々木辺 南ハ目黒品川迄 北ハ王子千住限      従日本橋諸方道程入    『式子内親王家集』全二冊(黒塗り空欄)    『篆隷千字文』八体傍訓 再版      提灯 傘 かんばん のうれん はつぴの類に角字てんしょを書しるすに重宝なる本なり 印刻等に要用の      文字あり    『郡花百人一首和歌集』北尾紅翠斎筆 頭書三階板    『近道子宝』手本向大字 寺沢流    『観音和談抄』普門品 訓読入画入    『百姓往来豊年蔵』 中本大本 /『続百姓往来太平楽』中本    『両かな附庭訓往来』大本   /『同御成敗式目』  大本    「中本小冊寺子重宝類目録」    『江戸名所方角書』 /『江戸方角独案内』  /『太平江戸往来』    『世話字往来教車』 /『道中往来心得種』  /『手習今川准状』    『諸職往来』    /『商民職人往来』   /『和漢命数往来』    『隅田川往来』   /『下掛り小うたひ本』 /『大和ことば』    『ぢんてき問答』  /『福ざつ書』     /『御家流四季用文章』    『分類万用字尽』  /『古状揃九札入』(ひらかな付)/『伊勢物かたり』    『女今川梅花文庫』 /『童子節用集』    /『小笠原しつけ方』    『本朝画家系図印譜』両面一枚摺 /『新刀古刀刀剣銘尽』両面摺価附入    『元三大師御鬮抄』中本 小本    『御家流手本向 諸民通用 手紙之文言』文通返事百十四ヶ条入                       鈴木松蘿堂書 十返舎一九案文    『懐中案帋』両面一枚摺 手形 折紙 諸証文 案文 しきし たんざく したため方をしるす    「来壬申年新版読本并絵草紙目録」    【絵入読本】『霧籬物語』歌川豊国画 山東京伝作 全六冊 一名『本朝売油郎』     是までよみ本あまた御座候へども 此本は別而作画とも一々工風を廻らし めづら敷趣向ニ取組 当未年秋より 無     相違うり出し申候 何卒御高覧被成下 御評判宜奉願上候    『二人(編笠人物像)こむそう』歌川豊国画 山東京伝作 全九冊    『黄金花男道成寺』歌川豊国画 山東京伝作 全十冊     『咲替梅武士』  歌川豊国画 山東京山作 全八冊    『歳男金豆蒔』  歌川国貞画 山東京山作 全九冊    『隣同士転寝物語』鳥居清峯画 山東京伝作 全八冊    『鸚鵡反辞雛取』 鳥居清峯画 柳亭種彦作 全六冊    【絵入読本】『近世実記 北越奇談』全六冊 北越崑崙橘茂世著述 東都葛飾北斎補画/柳亭種彦校合     『二日酔二篇/浮世軽業 偶中の記』十返舎一九戯著 画入よみ本 二冊 (宣伝文略)    『京一番娘羽子板』柳川重信画 柳亭種彦作  全六冊    『梅桜振袖日記』 歌川国丸画 柳亭種彦作  全三冊    『人孝奇談讃実録』菊川英山画 竹塚東子作  全六冊    『黒舩染姉川頭巾』菊川英山画 橋本徳瓶作  全五冊    『浮楽鏡虫義見通』菊川英山画 感和亭鬼武作 全三冊    『孝子善之丞伝』 歌川国貞画 十返舎一九作 全六冊    『豊のいろは』  歌川国安画 竹塚東子作  全五冊    『定紋花輪誓』  歌川国直画 桜川慈悲成作 全三冊    『寿字染小万』  勝川春扇画 東西南北作  全六冊  △『近世物之本江戸作者部類』p160(曲亭馬琴著・天保五年成立)   (「読本作者部第一」「山東京伝」の項)   〝西村屋与八は、初代の与八の養嗣にして上卷にもいへることく、天明年間、店廃絶したる地本問屋鱗形    屋孫兵衛の二男也。その心ざまおろかならず、売買にさかしきものなるが、常にいふやう、板元は作者    画工の得意也、いかにとなれば、濡(ママ)筆をおくりて、その画その作の冊子を刊行して、画工作者の名    を世に高くすなれば、その爲に引札をするに似たり。かゝれば作者まれ画工まれ、印行を乞ふべきもの    也。吾(本HP注、馬琴)は決して求めずと云へり。こゝをもて、文化の頃まで、西村屋のみ刊行の臭草    紙に京伝馬琴の作はなかりしに、京伝件のよしを伝聞て、画工豊国を紹介にして、自今以後拙作をまゐ    らすべし、印行して玉はれといはせしかば、与八異議なくうけ引て、この年より京伝の作の臭草紙を印    行せしに、あたり作なきにあらねば、親しくまじはりて、文化丙寅(本HP注、三年)の類燒の折などに    も、おくり物少からず、冬と春との夷講には、必京伝と豊国を招待せざることなかりき。そのゝち種彦    も亦ある人の紹介を求めて、西村屋与八に對面し、自作の臭草紙を印行せられんことを請しかば、西与    又種彦の作を印行するに及びて、種彦連(シキリ)に来訪しつゝ、いと親しくなるまゝに、互に其妻子も往    来するやうになりたり。是より先に、ある人、西村屋が云々のよしを馬琴に告て、西村屋は特に繁昌の    書肆也。われら媒介してまゐらせん。印行をたのみたまへと勧めしを、馬琴はつや/\肯ぜず。己れは    年廿四ばかりの時、初て臭草紙を綴りしより今に至るまで、板元にたのみて、刊行せし事なし。寛政二    年の秋、戯れに壬生狂言の臭草紙二卷を綴りて、京伝に見せしに、吾にたまへ吾序をものして、泉市へ    つかはして、吾怠りの責を塞ぐべしとて、かたの如くに計らはれたり。その後、泉市の需に応じて、鼠    婚礼塵劫記と云三冊物を綴りしを、板元の好みにて、京伝が序を書たり。この年予が作の臭草紙四種を    綴りたれども、大和田伊勢治等にたのまんやとて、竟に其義をうけ引かす。かくてこの西村屋与八は世    を去りて、三代目の与八も婿養子也。文政の初の比、いづみ屋市兵衛、鶴屋喜右衛門を紹介として、曲    亭がり初て来訪して、馬琴に新作の合卷冊子を刊行せまくほしとて乞ひしかは、馬琴やうやくうけ引け    り。是よりして西村屋も馬琴か作を刊行して今に至れりとそ〟  ☆ 弘化三年(1846)  ◯「古今流行名人鏡」(番付 雪仙堂 弘化三年秋刊)   (東京都立図書館デジタルアーカイブ 番付)   〝名誉名品    絵暦 アフラ丁 仙隺堂隺屋/地本 ハクロ丁 永寿堂西村〟