◯『藤岡屋日記 第五巻』(藤岡屋由蔵・嘉永六年(1853)記)
◇芝居絵売れず p378
(九月二十一日から興行予定の中村座「花野嵯峨猫またざうし」、同月十五日番付を市中に配る)
〝右狂言大評判に付、錦絵九番出候也。
一 座頭塗込 三枚続 二番 【蔦吉/角久】
一 同大蔵幽霊 同 三番 照降町 ゑびすや
神明町 いせ忠
南鍋町 浜田や
一 碁打 三枚続 壱番 石打 井筒屋
一 猫又 同 壱番 銀座 清水屋
一 大猫 二枚続 壱番 両国 大平
一 猫画 同 壱番 神明町 泉市
〆九番也。
右は同日名前書直し売候様申渡有之候得共、腰折致し、一向に売れ不申候よし〟
「鍋島の猫の怪」 豊国画 (早稲田大学演劇博物館・浮世絵閲覧システム)
〈「早稲田大学演劇博物館浮世絵閲覧システム」には、外題を「花野嵯峨猫☆稿」として、延べ三十八点が収録さ
れている。すべて豊国三代の作画である。この芝居は興行直前、佐賀の鍋島家から当家を恥辱するものと訴えら
れて、上演禁止になった。鍋島家のこの告発は頗る評判が悪い。佐倉宗吾狂言に対する堀田家の姿勢と比較して
次のように言う〉
〝去年、小団次、佐倉宗吾にて大当り之節に、堀田家にては、家老始め申候は、今度の狂言は当家軽き者
迄いましめの狂言也、軽き者は学問にては遠回し也、芝居は勧善懲悪の早学問也、天下の御百姓を麁略
に致時は、主人之御名迄出候也、向後のみせしめ也、皆々見物致し候様申渡され候よし。
鍋島家にて、狂言差止候とは、雲泥の相違なり〟
◇合巻「猫又草紙」p378
〝一 嵯峨の奥猫又草紙
作者花笠文京、二代目国貞画、板元南鍋町二丁目浜田屋徳兵衛
右種本は、五扁迄書有之候由、初扁びらは九月十日頃に処々へ張出し置、芝居初日に配り候積りにて相
待居り候処に、是も同時に御差止に相成候、大金もふけ致し候積り之処、差止られ、金子三十両計損致
し候由、右に付、落首、
浜徳もしけをくらつて損になり
然る処に、右合巻、名題書替に致し、嵯嶺奥(サガノヲク)猫魔太話と直し候て、初扁、十月十日配りに相成
候〟