Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ ねこえ 役者似顔の猫絵浮世絵事典
 ☆ 弘化三年(1846)<五月>     ◯『大日本近世史料』「市中取締類集 一」市中取締之部 第二二件 p486   (弘化三年五月十六日付町奉行、隠密廻りの「市中風聞書」)   〝浮世絵之儀、絵之具色取偏数多き品、又ハ三芝居役者似顔等厳敷御察斗有之、一ト先不目立絵も相見候    得共、浮世絵師(歌川)国芳と申者、種々出板之内、其頃猫之絵を書候而も矢張役者似顔ニ認、其外之    出板役者誰々と申名前ハ無之候得共、何れも役者似顔ニ仕立差出し、同職之内ニも、国貞事当時(歌川、    三世)豊国と申者儀ハ、一体極尊大ニ相構、麁末成絵ハ書ざる抔と申趣ニも相聞候得共、右等之儀ハ差    置、先御改革之頃ハ勿論、去秋頃迄ハ相慎候哉、格別目立候絵も相見不申、然処当時ニ至り候而ハ、悉    く色取偏数多く掛り候絵而己相見、前書国芳儀ハ厳敷御察斗をも恐怖不致体ニ相聞、且浮世絵之儀ハ既    懸名主ニも出板之節、右絵之内調印も致し候由之処、其侭出板為差出候儀ハ如何之訳柄ニ有之候哉、厚    く世話方等も被仰渡候上ハ、名主共ぇ御察斗有之候歟、多くも無之絵師共ニ而、国芳儀是迄恐怖不致次    第、同人ぇ御察斗有之候而も可然儀と沙汰仕候〟    〈色数の多い手間がかかったものや役者似顔絵仕立ての浮世絵は、天保の改革において厳禁にされて以来、「去秋頃」     とあるから、弘化二年の秋頃までは、市中で見かけることもなかったが、弘化三年五月現在では、国芳の猫の絵な     どは役者似顔になっているし、色数の多いものも出回っている。これらには改(アラタメ)掛りの名主の調印(極印=キワ     メイン)が入っている。お上も恐れない国芳や、粗末な絵など画かないとなどと尊大な態度の国貞、このまま放置す     る訳にはいかない。これらを通してきた改掛りの名主やお上を恐れない国芳は咎めがあって然るべきではないかと。     これに対して、市中取締り掛りの意見の次のようなものだった〉     〝此儀、前々より之御触面ニハ何れも相背、武者絵等風俗ニ不拘分も、彩色ハ手を込候続絵有之、当時ハ    歌舞妓役者之名前ハ顕シ不申候得共、似顔ニ致し、此節三芝居狂言之姿を二枚続等ニ致し、追々出板致    し候様子ニ付、超過不致様、掛り名主共より程能相制可申旨、被仰渡候方ニ可有之候哉、且国芳・豊国    と申絵師、多分之絵工代等受取候趣ニも相聞候得共、誂候もの無之候得ハ、自然相止候儀ニ付、別段御    沙汰不被及候共可然哉ニ奉存候〟    〈今回は改掛りの名主が、絵師を行き過ぎないよう程よく押さえ込むようにという指示。国芳・豊国関しては高い作     画料をとっているが、注文するものが居なくなれば、自然と止むのだから、今回は咎めだて必要はあるまいという     ものであった〉