☆ 嘉永二年(1849)
◯『名聞面赤本(なをきけばかほもあかほん)』摺本 英魯文 表紙 渓斎英泉画
(野崎左文の「仮名垣魯文伝」によると、この摺本は英魯文(後の仮名垣魯文)の戯号披露の摺物で、本来は嘉永元年
(1848)の頒布を予定していたが、資力不足で延引、刊行は同二年の春の由(明治28年2月刊『早稲田文学』81号所収)
したがって魯文の要請を受けて言祝ぎを寄せた人々の中には曲亭馬琴のように嘉永元年11月6日に亡くなった人の詠も入
っている。魯文は弘化四年(1847)師匠の花笠文京以下、戯作者・画工の諸子に依頼したものと思われる。なお下掲の
『名聞面赤本』は国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」所収の画像を翻刻したもの)
〝(序文 省略 年記)嘉永二乙酉春 英魯文)
〈魯文は文政12年(1829)生、嘉永2年(1849)時21歳〉
門人魯文なるもの曾て別号して和堂珍海とよび数種の稗史を編り
通用のよきこそ人の宝なれ銭といはずに筆をとるべし 花笠文京
〈戯作者・初世、万延1年(1860)没(66)〉
春雨に今宵夜を共はなさばや 立亭京楽
〈戯作者・文京門人(生没不詳)〉
双六やあがりは京の仲間入り 星亭京兆
〈戯作者・文京門人(生没不詳)〉
初午や寺友達のをさなどし 玩玉亭京英
〈戯作者・文京門人(生没不詳)〉
精出せと清書見せたり花の兄 柳川重信
〈浮世絵師・二世(生没不詳)〉
わけ入ばいよ/\深く迷ふかな道ある花の山を尋ねて 葵岡北渓
〈浮世絵師・嘉永3年(1850)没(71)〉
ときわくる高座ハ鼻の高みくら耳をつらぬくきみが雷名 一龍斎小文車
〈講釈師・文久2年(1862)没(享年不詳)〉
絵さうしに花ある梅のさくしやとはそのみもさこそすいないとなみ 梅園主人
〈戯作者・春廼舎梅麿 墨川亭・雪麿門人(生没年不詳)〉
魯文をさなかりし時、艸さうしの終の図の机にかゝりし
作者の真似して遊びたりしに今また作者たらん事をのそむ
砂文字や野良をつくしの筆はしめ 星窓梶葉
〈狂歌師・野崎佐吉(魯文の父)、嘉永1年(1848)9月没(享年不詳、上掲「仮名垣魯文伝」より)〉
よしあしをかきわけて菊の根分かな 夏堂守一
〈不詳〉
我田へも一鍬入れよさくをとこ 桜田左交
〈狂言作者・二世桜田治助・明治10年(1877)没(76)〉
田つくりや春のはじめの祝ひもの 並木五瓶
〈狂言作者・三世・安政2年(1855)没(67)〉
当春も予と共に同意の作あり
かけぬけて廻りくらせん花の山 藤本斗文
〈狂言作者・嘉永3年三世瀬川如皐襲名。斗文(吐蚊)は俳号・明治14年没(76)〉
とはいふものゝおまへではなしといふ前句に
世の中は三日見ぬまの作者かな 西沢一鳳軒
〈狂言作者・西沢一鳳・嘉永5年(1852)没(52)〉
誰筆ぞ空に声ありいかのぼり 河竹新七
〈狂言作者・二世・後に黙阿弥と改名・明治26年(1893)没(78)〉
紀の海音といふ名家もあれば末たのもしく
珍らしく海に音ある漁に魚の趣向のたねはつきまじ 鶴屋南北
〈狂言作者・五世・嘉永5年(1852)没(57)〉
美人をあがなふを手生の花といへども花笠先生の門人を取
立るは花の苗を植るが如し
おのつからふりある枝を撓めては花のうつなにさすぞ楽しき 平亭銀鶏
〈戯作者・畑銀鶏・明治3年(1870)没(81)〉
作者といひ役者といへば離れぬ中なり
黄鳥やわけて親しきうめの宿 八代目三升
〈役者・八世市川団十郎・嘉永7年(1854)没(32)〉
強者と呼れん迄は夜の目寐ぬ作者も武者の心なるべし 六朶園
〈狂歌師・栴檀二葉・安政5年(1858)没(享年不詳) 〉
鶯にまづほめさせん作り枝もめだつ若木の梅がかな文 星屋春兄
〈未詳〉
広ごれる薫りや梅のつくり枝 涼窓露蔄
〈俳諧師・魯文の師・生没年不詳〉
両の手に桃と桜を持そへて花の大枝さける片腕 一筆庵英泉
〈浮世絵師・渓斎英泉・嘉永1年(1848)7月没(59)〉
きかずして道はしるとも共々に筆持そへて文字ををしへ子 松亭金水
〈戯作者・本名中村経年・文久2年(1862)没(67)〉
ふみ習ふ春よ作者の三番叟 万亭応賀
〈戯作者・明治23年(1890)没(72)〉
芳しく其名は四方に薫れかしさくといふのも花のこのかみ 式亭小三馬
〈戯作者・嘉永6年(1853)没(42)〉
うちは四角そとをば丸く世の中を通用のよき人は此人 十返舎一九
〈戯作者・生没年不詳〉
桜咲山路をゆかばをしへなんのぼるもはやき花のちかみち 立川焉馬
〈戯作者・二世焉馬・猿猴坊月成・文久2年(1862)没(71)〉
面白き作の趣向の種本も今に筆柄握るこの人 朝桜楼国芳
〈浮世絵師・一勇斎・文久1年(1861)没(65)〉
手入してやがて美事に咲せなん作りをぼえし梅の花笠 墨川亭雪麿
〈戯作者・浮世絵師・安政3年(1856)没(60)〉
幾人もほしさよ梅のさくをとこ 宝田千町
〈戯作者・生没年不詳〉
片歌の中
墨附があるでひと村つくりとり 文亭綾次
〈戯作者・明治11年(1878)没(享年不詳)〉
玉に疵あるほりものゝ灸 為永春水
〈戯作者・二世春水・染崎延房・明治19年(1886)没(69)〉
赤本の赤きはうその常なれどおも白くこそつかまほしけれ 笠亭仙果
〈戯作者・二世柳亭種彦・慶応4年(1868)没(65)〉
腕たけのちからたのもしさくをとこ 五柳亭徳升
〈戯作者・嘉永6年(1853)没(61)〉
種蒔て人の田地もつくりとりうまい趣向の作のでき秋 緑亭川柳
〈川柳作家・五世川柳・安政5年(1858)没(72)〉
月花はおのが手にある作者かな 豊芥子
〈風俗考証家・石塚豊芥子・文久1年(1861)没(63)〉
まだ生てゐるかと人にいはれてもかくこそ長かれ筆の命毛 為一百翁
〈浮世絵師・葛飾北斎・嘉永2年(1849)没(90)〉
師とたのむ人の教をちからあしふみ見る毎に恩を忘るな 山東京山
〈戯作者・山東京伝の弟・安政5年没(90)〉
飼たてゝ羽つくろひする鶯の笠にきるなり梅の花笠 香蝶楼豊国
〈浮世絵師・三世豊国・初世国貞・元治1年(1865)没(79)〉
花笠先生の社中魯文子にしめす
みそあげて作り上手になりたくは世によくなれし甘口ぞよき 曲亭馬琴
〈戯作者・嘉永1年(1848)没(82)〉
僕がつきはぎする狂文のはさみ仕事にふる着の趣向をあらひ張り
して戯作者の手前符牒をつけんとて
赤本の桃ならなくに我は又せんたくものゝ名や流すらん 英魯文〟