◯『塵塚談』〔燕石〕①287(小川顕道著・文化十一年(1814)成立)
〝高荷木綿売の事、余若年の頃は、高荷といふて、木綿壱反ヅヽ段々に積かさね、高サ壱丈程にして、背
負て売歩行ける、買人あれば、竹竿をもてあげおろしをして、取出し見せけり、白山小原町に伊勢屋徳
兵衛といふ商人あり、文化五年辰正月十七日、八十歳にて病死、此者若き頃は高荷木綿売にてありし、
妻当年七十七歳、現在、せり右高荷売止みて、両掛にして売歩行けり、是も近年はなし、当時は木綿売
絶たり、木綿といふては、手拭を売歩行者のみ也〟
〈記者・小川顕道の「若年の頃」とは、宝暦のはじめ頃(1750年代)〉
◯『明和誌』〔鼠璞〕中p192(青山白峰著・明和~文政迄の風俗記事)
〝此ごろまでは呉服見世、今のやうにはなし。木綿は荷を高く背負ひ売あるく〟
☆ 文政十年(1827)
◯『盲文画話(ももんがわ)』水野廬朝著・画 文政十年初夏自序(国書データベース)
※(例(ぐわ)→(が) 原文のルビを現代仮名遣いに直した。また送り仮名を適宜補った)
◇高荷の木綿売
〝天明寛政の頃までは高荷の木綿売ありし 己が背丈の格子戸荷箱へれんじゃくを付 其荷箱の上へ角に
に包みし木綿地を幾つも段々に積み重ね 此木綿の高さ七八尺も積み重ね 四方綱にて留め 所々へ手
拭いに裁ちたるを下ゲ 是を背負ふ故 殊の外高荷なり 低き所を潜り超へる釣合(つりあい) 能く覚
へたる物 屋敷の小門をも自由に潜る 腰の曲尺合(かねあい)と見る風俗 尻を端折(はしおら)ず 裾
を高く抱へ上げ 前帯脚絆 腰に物さし裁小刀を提げる 売り声は大方 モウメンヤモウメンと呼びし
是も今は絶へてなし〟
高荷木綿売(画像)(国書データベース画像)