Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ みぶり 身振り
 ◯『宴遊日記』(柳沢信鴻記・安永三年(1774)日記)   〝二月七日、(浅草寺)山門の左側に鶴市といふ乞食、三芝居身振をするもの今日より出るゆへ葭簀のう    ち人群集〟   〝十月二十四日、(葺屋町)鶴市・鶴松へ寄、歌右衛門身(身振り)【鶴松】、三升(市川団十郎)・錦考(松本    幸四郎)・杜若(岩井半四郎)声色【鶴市】、丸や・東国やたて身【鶴市】〟    〈鶴松は身振り、鶴市は声色と身振り〉    ◯『只今御笑草』〔続燕石〕③200(二代目瀬川如皐著・文化九年(1812)序)   〝松川鶴市    琵琶の湖七度まで葦原となりしはしらず。三股の中洲埋立て〔割註「蜀山云、六年程也」〕しばらくの    ほど納凉の地たりしころ、びいどろ細工京之助が軽業さま/\なる中に、身ぶりもの真似真を写して、    歌舞伎の舞台そのまゝなりし。さかゑやの秀鶴、丸屋の十町闇仕合の大当り、古今稀なりしも此ごろと    覚ゆ〟  ◯『身振いろは芸』(北尾重政狂画 東西菴南北戯作 文政十二年(1829)刊)    色摺表紙「重政画」南北作 枩蝶楼国麿画 山口屋藤兵衛板〈この重政は二代目。松蝶楼国麿は初代国麿〉    (国書データベース画像)(◎は不明文字)   〝(序)此冊子は去文化八未の年の出◎(しゆつぱん)にして よく流行せし「いろは身振り」の一書なり    其後ゆゑありて板木 予が方に譲りうけ秘庫する事ひさしく ◎早(もはや)当(いま)時の御子様方多く    お見しりもなきゆえ こたび重政ぬしの毫(ふで)をもとめ 新に再板し 猶以前に増補なして初編二編    と今年(この)春の御なぐさみに備る事しかり 板元〟    〈「身振りいろ芸」とは人体を遣って「いろは」文字を表現する芸。〔国書DB〕の書誌データによると、この画像本     は文政十二年出版とのこと。また初編とした文化八年版の画工は勝川春扇とある。後年、歌川国芳が出て、猫の身体     でひらがなを表現したり人の身体で人の顔を構成するといった奇想天外な錦絵を画いたが、この「身振りいろは」は     そうした戯画のそのさきがけともいえよう。なお、文化八年版は未見だが、このアイディアは南北と春扇から生まれ     たものとみてよいのであろう〉    身振いろは芸 北尾重政二世画狂画 東西庵南北作(国書データベース)