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☆ こはだこへいじ 小幡 小平次浮世絵事典
   ◯『増訂武江年表』2p40(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (文化五年・1808)   〝閏六月二日、俳優尾上松録(六十四歳)回向院に於いて、昔の俳優小はだ小平次が幽魂を弔らひて施餓    鬼を修せしむ。人々群集する事夥し。しかして後、彼が事を狂言に取組み興行しけるに、見物山をなせ    しかど、よからぬ事ありしかば、祟(タタリ)ならん事を恐れて、其の後はあからさまに其の名を唱へて、    此の狂言を催す事なし。     筠庭云ふ、今日よく覚えねど、京伝が「浅香の沼」と云ふ読本、小平次が事を作れり。其の後なるべ     し、もとこの話一向あとかたなき童話にて、予稚きとき、ふるき老婆が語りきかせしは、小平次とい     ふ魚売、常に小はだを售(ウ)れり。それが怪物に出あひたるをさかき物語なり。俳優にて旅あるき     せしといふは、安積沼の読本俑(ヨウ)をなしたるなり。柳亭に此の事をかたりしに、彼も昔話をしら     ずといへりき。又この松録の法事も一趣(ママ)の狂言なり〟     〈山東京伝作・北尾重政画の読本『安積沼』は享和三年(1803)刊。補注者筠庭は喜多村信節。昔話を語りかけた柳      亭とは種彦のことであろう〉    ◯『街談文々集要』p(石塚豊芥子編・文化年間記事・万延元年(1860)序)   (文化五年(1808)「三朝夏大当」)    〝文化五戊辰六月八日より、市村座ニおゐて、尾上松助【元祖菊五郎弟子/三代目菊五郎父なり】小幡小    平治の狂言ト、播州皿屋敷の狂言、一チ日替ニ相勤、こはだ小平次大当り【後ニ皿屋敷ノ興行なし】    此小はだ小平次の狂言ハ、山東京伝著述、絵入読本『安積沼物語』、歌舞伎狂言ニ仕組し也、大名題は、    『彩入御伽艸紙』(以下、配役あり、略)    (興行中、小平次の霊に取り憑かれた尾上松助病気になり、伜栄三郎代役を務め評判を得る。     閏六月二日、回向院にて小平次の施餓鬼修行、三座の役者残らず参詣。江戸の人々群集す)       此施餓鬼見ニまかりて、      おす人ハ引きもきらずのすしなれやけふのせがきのこはだ小平次   蜀山人    (松助死亡を報ずる「読売」の記事、「小幡小平次伝」あり、略)〟    〈三朝は尾上松助の俳名。回向院での施餓鬼は芝居の前景気を煽るために松助達が仕組んだパフォーマンス〉
   「尾上栄三郎」 豊国画 (早稲田大学演劇博物館・浮世絵閲覧システム)