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☆ かみゆい 髪結い(かみゆいどこ 髪結床)浮世絵事典
 ◯『御触書天保集成』下「風俗之部」触書番号・五五三一   〝 口達    前々より女髪結と申、女之髪を結渡世ニいたし候ものハ無之、代銭を出し結せ候女も無之所、近頃専ら    女髪結所々ニ有之 遊女並歌舞妓女形風ニ結立、右ニ准シ、衣服等迄華美ニ取飾り、風俗を猥し、如何    ニ候、右為結候女之父母夫等 何と相心得罷在候哉、女とも万事自身相応の身嗜を可致儀、貴賤共可心    掛事ニ候、以来軽キ者之妻娘共 自身髪結ひ、女髪結ニ結せ不申候様 追々可心掛候、是迄女髪結渡世    いたし候もの家業を替、仕立もの洗濯其外女之手業ニ渡世を替候様、是又追々可心掛候(後略)     卯十月三日〟    〈どのような髪型に結うかと、髪結いが聞くとき、あるいは女客がこのような髪型にしてほしいと注文するとき、遊女     や役者の錦絵が役に立ったものと思われる〉  ◯『塵塚談』〔燕石〕①296(小川顕道著・文化十一年(1814)成立)   〝此廿年来、女髪結といふ者出来り、遊女は此女にのみ結する事の由、此已前より、女髪結ありし事にや、    予知らず、此頃は、江戸町々、其日暮しの婦女迄も結する事に成けり、油、元結は此方より出し、一度    の結賃百文ヅヽ也〟    ◯『藤岡屋日記 第二巻』p239(藤岡屋由蔵・天保十二年(1841)記)   ◇女髪結   〝十二月(女髪結いの渡世を禁ずる)〟   〝櫛笄又は手拭其外之翫様之物に、歌舞伎役者之紋所付候義、是又風俗之妨にも相成    候間、以来は右様之品々、役者紋付候義堅致間敷候〟    ◯『藤岡屋日記 第五巻』p297(藤岡屋由蔵・嘉永六年(1853)記)   ◇女髪結教諭    (五月、再び女髪結流行。天保十一年のお触れに従えば、逮捕・吟味・処罰すべきところ、内偵の結果、    何れも生活困窮者であることが判明。情状酌量して、白洲にての教諭のみとする)  ◯『実見画録』(長谷川渓石画・文 明治四十五年序 底本『江戸東京実見画録』岩波文庫本 2014年刊)   〝維新前、髪結床へ夏向日除(ひよけ)代用の大暖簾を、客筋より贈りしものにて、場所によりては、少な    からざる費用を掛けしものなり。此のれんには、国芳・北斎などの絵がきしものも見受たり〟    〈幕末から明治初年にかけての見聞記〉   (以下、花咲一男の「髪結床の大のれん」の注解)   「(髪結床)の長のれんを、客筋から寄贈するようになつた始めは、文化十年(1813)大坂役者の中村歌右    衛門が江戸に下り、芝居近所の八カ町の髪結床に、自分の屋号を染めて贈つたのが、それであるという。    髪結代は二十八文がきまりであるが、物価の変りもあり、余分に置いてゆく人が多かつたという」  ◯『浮世絵と板画の研究』樋口二葉著 日本書誌学大系35 青裳堂書店 昭和五十八年刊    ※ 初出は『日本及日本人』229号-247号(昭和六年七月~七年四月)   「第一部 浮世絵の盛衰」「九 浮世絵の描法に就いて」p60    (暖簾絵)   〝髪結床に掛た長暖簾の武者絵は、国芳門の芳艶が殆ど専門で、如何にも勇壮な響きがあり、何人も芳艶    の暖簾には太刀打が出来なかったさうである〟