☆ 弘化三年(1846)<二月>
◯『大日本近世史料』「市中取締類集」十九「書物錦絵之部」第七一件 p2
(弘化三年二月、町年寄・館市右衛門の町奉行宛「書物画譜等売弘願奉候書付」)
〝一 一勇画譜 壱冊 通弐町目多吉店 書物屋(須原屋)
江戸新和泉町 絵師 孫三郎(一勇斎国芳) 願人 新兵衛
右画譜、大坂心済橋博労町書物屋(河内屋)茂兵衛方ニて出板仕、御当地売弘之儀、私引受売買仕度旨、
則板本差出御差図奉伺候、
此品、大坂表出板物ニは候得共、古代勇者画譜之義ニ付、御手限ニても可然哉、但、兼て表紙・上包
等え彩色無用之義被仰渡候間、右画本之内、色取無之候て相分り候処は、成丈彩色相除候様可申渡候
哉〟
〈『一勇画譜』初編の刊記は「江戸 孫三郎画/弘化三年丙午歳四月/江戸書林 日本橋通弍丁目 須原屋新兵衛/大
阪書林 心齋橋筋博労町 河内屋茂兵衛」。書肆・須原屋新兵衛が江戸での販売許可を求めた。それを受けて、町年
寄・館市右衛門は、この件は絵双紙係り名主の「手限(テギリ)=上の裁断を仰がず、自己の責任で判断すること」の改
(アラタメ=検閲)でよいのではないか、ただし、かねてから表紙や上包には彩色無用としてきたのだから、色彩が無く
ても分かるところはなるべく色を取り除くように条件をつけてはどうかと、町奉行に提案した。この館の提案は下出
のように認められた。須原屋は、二月に申請許可を受け、四月の刊記で売り出したのである〉
(同年二月、南町奉行所市中取締り掛り与力の評議)
〝一勇画譜并永代江戸絵図は、町年寄伺之通御手限ニて開板御聞済(中略)相成可然哉と奉存候〟
『一勇画譜』江戸 孫三郎画(一勇斎国芳画)(絵手本DB- 金沢美術工芸大学)