◯『江戸名物百題狂歌集』文々舎蟹子丸撰 岳亭画(江戸後期刊)
(ARC古典籍ポータルデータベース画像)〈選者葛飾蟹子丸は天保八年(1837)没〉
〝雛
行義よく並べて立るひな市にくるふ相場は居らさりけり
奈良阪やこの手を打て雛市のにぎはふ見世もうら表なる
室町もにぎはふ花のいやよひは御所をうつせる市の京雛
大内をかりにまなべは賤か家もとりあはせよくかざる雛たな
九重をこゝにみやこの大裏びな十けん店も人の山城
市人が客に直うりのひな屏風まふけもてふと折かへしなる
のれんにはいせやと書て業平のあつま下りもみゆる雛市
はたからもたいこたゝいて賑はひぬ五人はやしの雛のうり買
海ばらは汐の干潟となるころに人の浪たつ江戸のひな市
異国に真似さへならぬひな遊び行義正しき御世にかざれる
貫之の古今のひなの帳合ををうなもすなり土佐硯石
夜ばかりうるかつらぎのかみひゝなひるは見にくき市の古もの
古今ひなかざる時さへ人丸のかみにたつ事かたき赤人
直をつけて安く買んと相談に手もなくまけしかみ雛かな
京雛もあづま男にはちやせめ(ママ)顔をかくして居る箱のうち
むさし野の原舟月がひな店も行さきわかぬ人こみの中
大江戸の市にならびて目だつなりひなも都の手ぶり人形
いやたかき雲井をうつす雛市の直にもだん/\位あるらし
長持をねだる子よりも母親の先棒になる雛の市みせ(画賛)
〈雛市 日本橋本石町十間店 原舟月〉
◯『絵本風俗往来』上編 菊池貴一郎(四世広重)著 東陽堂 明治三十八年(1905)十二月刊
(国立国会図書館デジタルコレクション)(23/98コマ)
〝十軒店(だな)雛人形市
十軒店市は往還左右へ床店(とこみせ)を出来(しつら)ふこと、一丁余の間なり、是を中店といふ、され
れば、両側の常の店並(なみ)、同じく中店と都合四側の店並となり、其の中間を公道とす、五月端午の
幟・兜・人形市も同じ店並なり、雛は毎年二月廿五日より始め、三月二日に終る、