◯『骨董集』〔大成Ⅰ〕⑮376(岩瀬醒(山東京伝)著・文化十年成)
〝臙脂絵売(べにゑうり)
按に板行の一枚絵は延宝天和の比始れる歟(か)、朝比奈と鬼の鬼の首引、土佐浄瑠璃の絵、鼠の嫁入の
絵の類也、芝居の絵は坊主小兵衛をゑがけるなど、其始なるべし、当時(そのころ)は、丹緑青などにて
まだらに彩色したり、菱川師宣 古山師重等(ら)これを画けり、元禄のはじめより丹黄汁にて彩色す、
丹ゑといふ、元禄のすゑつころより、鳥居清信其子清倍等これを画けり、宝永正徳に至て、近藤清春出
たり、紅絵と云は享保のはじめ創意(しいだせし)ものなり、墨に膠(にかは)を引て光沢(つや)を出した
るゆゑに漆絵ともいへり、奥村政信もはらこれをゑがけり『尹台世事談』【享保十九年板】云「浅草御
門同朋町何某といふ者、板行の浮世絵役者絵を紅彩色にして、享保のはじめ比より、これを売、幼童の
翫(もてあそ)びとして、京師大坂諸国にいたる、これ又江戸一ッの産となりて、江戸絵といふ」とあれ
ば、左に摸(ウツ)し出すは、享保の比の紅絵売の図なるべし〟
(「瞭雲斎蔵」の「臙脂絵売図」あり。【これは享保のころの一枚摺の板行絵なり】の割り書きあり。
図柄は、「吉原」「風流紅彩色姿絵」の文字がある箱を背負い、女の姿絵を棒に吊り下げて売り歩く
若衆。「吉原」とあるから遊女の姿絵である)
〈「姿絵」という言葉には「遊女の姿絵」というイメージがあったのかもしれない〉
臙脂絵売(べにゑうり)(『骨董集』所収)