◯『江戸名物百題狂歌集』文々舎蟹子丸撰 岳亭画(江戸後期刊)
(ARC古典籍ポータルデータベース画像)〈刊年未詳。選者葛飾蟹子丸は天保八年(1837)没〉
〝初卯
みつき荢のはつ卯詣のいへつとはいとの柳のぬひしまゆ玉
初卯の日藤をもまたで亀井戸は蜆にみするむらさきの露
たいこ橋わたるころしもとん/\とあがる初卯の巴屋のきゃく
夕やけのはつ卯戻りやまゆ玉の◯をとばしていそぐ辻かご
信心と遊山と春のはつ卯には二すぢならぶわり下水道(画賛)〟
〈まゆ玉 亀戸天神 巴屋〉
◯『絵本風俗往来』上編 菊池貴一郎(四世広重)著 東陽堂 明治三十八年(1905)十二月刊
(国立国会図書館デジタルコレクション)(15/98コマ)
〝正月之部 初卯詣
初卯は正月第一の卯の日なり(中略)本所亀戸天神宮へ詣で、木にて古風に造りたる嘯鳥(うそ)又御守
礼を拝戴し、御門前にて売る眉玉とて柳の枝に縁起の品をつり付たるを求めて帰る。参詣の人々花美の
衣類を恥る。目に立たずして費(つひへ)多き衣類を着し、帰途の食事も極めて費多く、味の甘味を撰ぶ
など、初卯の持前なり。勿論雑踏するほどの参詣はなく、障子船などの川筋を漕ぎ行き、川の両岸の春
色、隠者の地に当世の粋妓のあゆむ様、殊には柳を吹く春風、柳島の得色、今日の風情、粋と風雅、二
番目狂言の種となりしも実に尤もなり〟
〈嘯鳥は鴬(うそ)と書くことが一般で木製の小鳥。二番目狂言とは歌舞伎の世話物〉
◯『残されたる江戸』柴田流星 洛陽堂 明治四十四年(1911)五月刊
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇初卯詣で
〝亀戸天神からはツイと隣りの、柳島の妙見には初卯詣での老若男女、今の昔に変らぬは、白蛇の出るの
が嘘ぢやと思はぬからか。橋本の板前漸く老ひて、客足の寂びれたのも無理ならぬことで、近頃の亀戸
芸者に深川趣味を解するもの一人もなく、時節柄の流行唄にお座を濁して、客もこれで我慢するといふ
よりは結局其の方が御意に召す始末。イヤ変りましたなと妙に感服仕つて後を言はねば褒めたのやら腐
したのやら頓と判らず、とはいへ詮索せぬが華だと其の侭にして、只だこゝへおこしなら繭玉の珍なの
と、麦稈(むぎわら)細工の無格好な蛇が赤い舌を出して居るのを忘れずに召せとお侑(すす)めして置く〟
〈「橋本」は柳島の会席料理茶屋。広重画「江戸高名会亭尽」の「柳島之図」に、二階建ての料亭橋本と初卯詣で客の様
子が描かれている〉