Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ ばんどう みつごろう 板東 三津五郎浮世絵事典
 ☆ 文化五年(1808)  ◯『街談文々集要』p119(石塚豊芥子編・文化年間記事・万延元年(1860)序)   (文化五年(1808)「森田座再興」)   〝木挽町森田座、再興ニ付、板東三津五郎スケ、大名題『時為得花栄森田(トキエシハナサカエモリタ)』第一番目一ノ    谷【熊谷直実さつまの守忠のり】三津五郎【源よし経六弥太】荒五郎【直家あつ盛】勘弥【さがミおい    し】歌川【ミだ六田五平】三八 二ばんめ 葱うり【大日坊八十助二六三ッ五郎】大切 姫小松【しゆ    んかん三ッ五郎有王音吉/おやす歌川亀王勘弥】何れも大出来なり〟
   「忠のり 板東三津五郎」 豊国画 (早稲田大学演劇博物館・浮世絵閲覧システム)  ☆ 天保三年(1832)  ◯『馬琴日記』巻三 p12(天保三年正月九日記)   〝俳優板東三津五郎【六十余才】・瀬川菊之丞【三十余才】、旧冬十二月中死ス。今日三津五郎送葬、芝増    上寺地中某院のよし、見物群集ス。菊之丞ハ、明十日深川の菩提所へ送葬のよし、風聞あり。三津五郎ハ    借材(ママ)七八千両ありなどいふ。虚実ハしらねど、さもあるべし〟
   「坂東三津五郎 瀬川菊之丞」一勇斎国芳画 山口屋板 (東京都立中央図書館東京資料文庫所蔵)    〈両者をお半・長右衛門に見立てた一勇斎国芳の「死絵」をみると、〝天保二年極月廿七日 芝増上寺寺内常照院 行年五十七     才 板東三津五郎 同三年壬辰正月七日 本所押上大雲寺 行年三十二才 瀬川菊之丞 勇誉方阿哲芸信士〟とある。二人の     死絵は他に国貞・国安・貞景画などが画いている。大変な売れゆきだったようで、馬琴も関心を示したが、入手困難であった。     三月二日、六日記事参照〉  ◯『馬琴日記』第三巻p51(天保三年三月六日記)   〝(清右衛門)俳優三津五郎・菊之丞追善にしき絵、もはや西村や・森やにも無之、山口やニてハ蔵板のも    の残り居候よしニ付、不残、乞求候よしニて持参、請取畢〟    〈山口屋蔵板の死絵だとすると、正月九日で示した国芳のものであろうか。画像は同日にあり〉  ◯『馬琴書翰集成』巻二 p165(殿村篠斎宛、天保三年七月朔付書翰・書翰番号-38)   〝俳優坂東三津五郎、旧冬死去いたし、初春ハ瀬川菊之丞没し候。この肖面の追善にしき画、旧冬大晦日よ    り早春、以外流行いたし、処々ニて追々出板、正月夷講前迄ニ八十番余出板いたし、毎日二三万づゝうれ    捌ケ、凡惣板ニて三十六万枚うれ候。みな武家のおく向よりとりニ参り、如此ニ流行のよし、山口屋藤兵    衛のはなしニ御座候。前未聞の事ニ御座候。このにしき画におされ、よのつねの合巻・道中双六等、一向    うれず候よし。ヶ様ニはやり候へども、勢ひに任せ、あまりニ多くすり込候板元ハ、末に至り、二万三万    づゝうれ遣り候ニ付、多く(門+坐)ケ候ものも無之よしニ御座候。鶴や・泉市・西村抔、大問屋にてハ、    ヶ様之にしき絵ハほり不申、うけうりいたし候共、末ニ至り、いづれも二三百づゝ残り候を、反故同様に    田舎得意へうり候よしニ御座候。かゝる錦絵をめでたがる婦人ニ御座候。これニて、合巻類ハほねを折る    は無益といふ処を、御賢察可被下候。正月二日より白小袖ニて、腰に葬草(シキミのルビ)をさし候亡者のに    しき画、いまハしきものゝかくまでにうれ申とハ、実に意外之事ニて、呆れ候事ニ御座候。ヶ様之事を聞    候ニ付ても、弥合巻ハかく気がなくなり候也〟       〝右のにしきゑ、旧冬大晦日前よりうれ出し、正月廿日比までにて、後にハ一枚もうれずなり候よし〟    ◯『馬琴書翰集成』巻二 p172(小津桂窓宛、天保三年七月朔付書翰・書翰番号-40)   〝当早春、「俳優三津五郎・菊之丞追善のにしき画」、大流行いたし、八十余番出板いたし、凡三十五六万    枚うれ候ニ付、並合巻・道中双六などハ、それにおされ候て、例より捌ケあしく、小まへの板元ハ本残り、    困り候よし。死人の錦絵、正月二日比より同廿日比迄、三四十枚もうれ候とは、意外之事ニ御座候。多く    ハ右役者白むくニて、えりに数珠をかけ、腰にしきミ抔さし候、いまハしき図之処、早春かくのごとくう    れ候事、世上の婦女子の浮気なる事、是にて御さつし可被成候〟     〈記事は同年七月朔日のもの。正月二日頃から正月二十日頃にかけて、坂東三津五郎と瀬川菊之丞の死絵が    婦女子、特に武家の奥向きを中心に三十六万枚も売れたというのであるが、その余波が、購買層を同じく    する合巻や道中双六に及んだという、馬琴の見立てである。坂東三津五郎は天保二年十二月二十七日没、    享年五十七才。瀬川菊之丞は天保三年一月六日没、享年三十一才。二人の死絵は国貞・国安・国芳等が画    いている。馬琴が見たものは、白無垢、襟に数珠、腰に樒を差した図柄というが、誰の死絵であろうか。    ここでは一勇斎国芳と国安の死絵をあげておく〉
       「坂東三津五郎 瀬川菊之丞」一勇斎国芳画 山口屋板(東京都立中央図書館東京資料文庫所蔵)    「坂東三津五郎 瀬川菊之丞」歌川国安画 本伝板(東京都立中央図書館東京資料文庫所蔵)