☆ 文化年間(1804~1817)
◯『浮世繪師考』写本(書写者・書写年未詳 狩野文庫本)(東北大学総合知デジタルアーカイブ)
〈この写本には歌川国貞の名前がない。国貞は文化四年の登場以降急速に頭角を現すから、もし文政の時点での『浮世絵師考』
であるとすれば、当然名前がない筈はない。この写本の書写年は不明だが、原本は文化年間の成立と見てよいのではないか〉
※読みやすくするため送り方を適宜補った。補った部分は(かな)で示した
◇岩佐又兵衛
〝又兵衛 父を荒木摂津守と云 信長公に仕て軍功有 公賞して摂津国を給ふ 後に公の命を背て自殺す
又兵衛時に二歳 乳母懐て本願寺之子院に隠れて 母家の氏を仮て岩佐と称す 成人の後織田信雄に仕
て 画図を好て一家をなす 能当時之風俗を写を以て 世人呼て浮世又兵衛と云 世に又平と呼は誤り
也 画所預家に又兵衛略伝あり 藤貞幹好古録に見ゆ
按に是世にいはゆる浮世画の始なるべし また大津絵も此人の書出るなりといふ〟
◇菱川吉兵衛師宣
〝大和絵師また日本絵師とも称す 房州の人なり
和国百女 三冊 元禄八年之板 月次遊 壱冊 元禄四年之板
大和大寄 壱冊 恋のみなかみ 壱冊
(頭注 築山図庭書 元禄四年板)
其外天和貞享の頃の板本多し
貞享四年の板の江戸鹿子
浮世絵師 堺町横丁 菱川吉兵衛
同 吉左衛門
元禄二巳年板の江戸図鑑に
橘丁 菱川吉兵衛師宣
同所 同 吉左衛門師房
浅草 石(ママ)山太郎兵衛師重〈古山〉
通塩丁 杉村治兵衛正高
橘丁 菱川作兵衛師長(ママ)〈師永〉
按に 井沢長秀俗説弁 国史を引て 大和絵師倭画師とてみだりに称すべからざる事を述たり
江戸元祖一流大和浮世絵師の始り
生国房州保田/貞享元禄の頃 菱川師宣 娘
聟 酒造之丞 彩色の名人
大伝馬町二丁目 板元鱗形屋 三左衛門/孫兵衛 種々書出す
◇英一蝶
〝湯原氏記云 元禄七年四月日 従桂昌院様六角越前守御使被遣之
金屏風 一双 芳野/龍田 多賀長湖筆 本願寺え
同 一双 大和耕作 同人筆 新門え
英一蝶 四季絵跋
夫大和絵とは其かみ土佐刑部大輔光信がすさみに、堂上のうや/\しきより田家のふつゝか成さま 岩
木のたゝずまひ やり水のめいぼく 是にはじまりて すへ/\にながれ 予が如きつたなきも 又是
を本とす 近頃越前の産 岩佐の某となんいふ者 歌舞白拍子の時勢粧を自ら写し得て 世の人浮世又
平とあだ名す 久く世に翫ぶに また房州の菱川師宣といふ者 江府に出て梓におこし こぞつて風流
の目を悦しむ 此道予が学ぶ處にあらずといへ共 若かりし時 あだしあだ浪のよるべにまよひ 時雨
朝かへりのまばゆきをいとはざる頃ほひ 岩佐菱川が上に立ん事を思ひて はしなき浮名のねざし残り
てはつかしの森のしげきことぐさともなれり さるが中にあたりて謫居さすらへし事 十とせにあまり
廿とせに近きを 有がたき御恵みの目出たき 本の都にかへり来ぬ ある人むかしの筆の四季の戯れ絵
をふたゝび予にみす 其頃は心たくましく 眼◎◎◎に 髪筋を千筋にわくることぐさも事たらざりけ
らし しかし今の世のありさまにくらぶれば 髪のほどゑりをこへず ふりそで大路をすらず ただあ
まさかる田舎おうなの姿絵思ふべからん 蛍星うつり替りて 此一巻を見る事 浦島が七世のむまごに
逢へるためしに引て かつは悦びをそふる心にす これがために跋す 英一蝶〟
〈別本は「眼すずろ」〉
按るに一蝶はもと多賀長湖【長一/作潮】と云絵師也 性は藤原 名は信香 字は暁雲 表徳は和央
翠簑翁 北窓翁とも云 呉服丁壱丁め新道に住せし頃 罪有て元禄十一寅年十二月 三宅島に流さる
時に年四拾六年也 宝永六年丑九月御赦免 江戸深川に住す 謫居よりかへりての文なり 享保九辰
年正月十三日没す
◇鳥居氏
名人 鳥居清信 俗名 庄兵衛 難波丁辺住居
好色大福帳 五冊 元禄十年の板 四座歌舞妓看板名人 元禄享保の頃迄
二代目 鳥居清信 名人
三代目 同 清信 二男 是より絵風奇麗に成也 兄早世
四代目 同 清信 三男 俗名半三 弟早世
五代目 同 清信 四男 俗名四郎
六代目 同 清満 四郎子 茅丁住居 後三味線ひきに成る 俗名亀次郎
同 清軽 清満門弟 俗名大次郎
歌舞伎看板書 其外一枚絵多く出す 芝居板元中嶋屋伊左衛門忰
七代目 同 清長 当時三芝居看板 其外一枚摺 草双紙等多く出す
清重 三代目清信門弟 /清忠 清信門弟 同所 米沢丁角
清重 五代目清信門弟 小柳丁 市川海老蔵似顔能く書なり
清勝 高砂丁 /清次 同所
清久 日本はし小松丁 /清定 花房丁
清廣 土手 安永五申年 若年麻疹にて病死 難波丁に住す 清満門人 俗名七之介
清房 /清時 /清之 /清政
清元 清長門人高弟なり 和◎丁に住す 金と呼べり〈別本は「和泉丁」〉
幸四郎 宗十郎似顔を能書くなり
鳥居清信は江戸絵の祖といふべし 初は菱川の如き昔絵の風俗なりしが 中頃より絵風を書かへしな
り 此後絵風さま/\に変化せしかども 江戸哥舞妓の絵看板は鳥居風に画く事也
清満 清経 清長とも一枚絵◎◎をかけり〈別本は「清満 清倍 清経とも一枚絵草双紙をかけり」〉
清長は俗名関新助と云 近頃錦画彩色の名手也 七代目を継(ぐ)
近藤助五郎清春 元祖清信門弟 赤本 金平の絵本など書(く) 正徳享保の頃なり
奥村文角政信 親妙と称(す) 通油丁本屋也
鍾馗の絵名人 目玉金箔を置 浮絵紅絵の初め 枕絵上手
うかく絵日本画師 志道軒画等書す〈「うかく絵」不明〉
同 利信 (瓢箪図)印押(す)
西村重長 俗名孫三郎 西村孫三郎筆と書す
同丁地主 後神田ぇ移る 本屋に成る〈同丁とは通油丁〉
浮画 画本 歌舞妓役者絵等書す
石川豊信 宿屋飯盛の実父 ぬかや七郎兵衛とい◎◎もの〈別本は「いひし」〉
紅絵多く書す 一生倡門酒楼に遊ばず しかるによく男女の風俗を写せり
一枚絵多し 画本もあり
宮川春水 芳丁 享保の頃
古山師政 門弟 米沢丁〈この「門弟」は宮川春水の門弟の意味だが、式亭三馬は否定している〉
市川海老蔵似顔 其外似顔の名人 似顔の元祖
勝川春水 俗名藤四郎 寛保の頃 宮川長春門弟 深川後に芳丁に住す
勝 新水 宮川長春門弟 本銀丁四丁目 薩摩座忰 宝暦明和頃也 〈別本「薪水」〉
勝川春章 勝川春水門弟 人形丁 哥舞妓役者似顔名人 又勝宮川氏とも云 明和の頃
是も明和の頃 哥舞妓役者似顔を画て大に行はる 五人男をはじめとす 其頃人形丁林屋七
右ヱ門といへるものゝ方に寓居して 画名もなかりしかば 林屋の請取判に壺の内に林とい
ふ文字ありしを押手とせり 人呼て壺画と云 弟子春好を小壺といゝき 武者絵をも能く画
きし也 〈壺印の図あり〉
春好 春章門弟 長谷川丁 哥舞伎役者似顔をもよくす 上手
りう 山崎氏女 〈山崎りゅうが勝川門流の中にあるのは写す場所を間違えたか〉
春童 /春朗 宗理改後北斎と改(む)
春常 /春英
春山 /春潮 鳥居清長の筆之(意)を能似せたり
いづれも哥舞妓役者 其外紅絵一枚ずり 美を尽し書す
富川房信 西村重長門人 本屋 俗名丸屋九左ヱ門 後明雪共 百亀とも云 一枚摺草そうし 拙
き方也 寛保宝暦の頃〈「明雪」別本「吟雪」。「百亀とも云」は下掲小松屋への書き入れが混入したもの〉
小松屋三衛門 飯田丁薬鋪 枕画出す〈百亀とも云〉
一筆斎文調 亀井丁 石川幸元門人 男女の風俗 哥舞妓役者も拙き方也 二代目八百蔵似顔をよく
す 明和頃
湖龍斎 両国やげんぼり 右同断 後に浮世絵をかゝず 下手 明和頃
柳文調 右同断 二代目似顔を能す 豊後節朝太夫弟子にて浄瑠璃を能く 上手 明和頃
〈「同断」とは「男女の風俗」〉
鈴木春信 名人 自流
明和のはじめより 吾妻錦絵を画なして 今に是を祖とす 是は其頃 初春大小摺もの大に流行して
五六へんすり初て出来せり 工夫して今の錦絵となれり 春信一生哥舞妓役者の画をかゝずして曰(く)
我は大和絵師なり 何ぞ河原ものゝかたちを画くにたえんやと 其志かくのごとし 明和六年の頃
湯島天神に泉州石津笑姿の開帳有し時 二人の巫女みめよきをゑらびて舞しむ 名をお浪おみつとい
ふ 又谷中笠森稲荷の前なる茶店かぎ屋の娘おせん 浅草地内楊枝屋娘柳やお藤の絵を錦絵にゑがき
て出せしに 世人大にもてはやせり
春信 二代目 自流
歌川豊春 日本橋に住す 近来うき絵を錦絵に書出せり 宝暦の頃のうき絵に(ママ)
〈(ママ)のところ別本「まされり」〉
豊国 豊春門弟 当時哥舞妓役者似顔の上手 寛政より享和文化
国政 豊国門弟 右同断
豊廣 豊春門人 はりまぜ小さき一枚摺 墨絵など書けり
北尾重政 大伝馬丁二丁目 後根岸に住 俗名左助 紅翠斎花藍共 明和より名人
重政は近来錦画の名手也 男女の風俗或は絵を画 刻板の文字をよくかけり
政演 重政門弟 京橋銀座丁 俗名伝蔵 しやれ本草そふしの戯作に其名高し
狂名身軽折輔 山東京伝と云 号宝山
政美 重政門弟 浜丁へつついかし 俗名三四郎 杉皐 後蕙斎と号 落髪して浮世をやめ 一種
の画をなす
恋川春町 小石川春日町 松平丹後守家中【小石川春日町/勝川春章】両名をもちり 恋川はる丁と唱(ふ)
鱗形屋孫兵衛方へ草双帋を書き直し 作の風を改るは是人也 絵も又一流種也 草そふし数多 しや
れ本等あり 当世大通人の姿を草そふしに書出せし初の筆者也 書する所おかしき姿のみ 当時の通
人歟 俗名倉橋寿寿平 明和より天明
喜田多(川)歌麿 名人 神田弁慶ばし久右衛門丁 俗名勇助 春画名人
初(め)鳥山石燕門人 狩野家の絵を学ぶ 後男女風俗を画く 絵草帋問屋蔦屋重三郎方に寓居す 錦
絵多く 弁慶橋に住す 近代男女風俗絵 種々工夫して 当時双ぶ方なし
哥麿門人 行麻呂 /千代女 草そふし画
栄之 遊女の姿絵を写(す)事妙也 錦絵多し
栄之門人 栄里 /栄昌
窪 俊満 尚左堂 亀井町に住す 狂歌摺物の画のみかく 左り筆也 尤一枚絵大絵も出す
宗理 上手 元は春朗 寛政十午年の頃北斎と改(む)
是又狂歌俳諧等の摺物画に名高く 浅草第六天神の脇丁に住す すべて摺物は錦画に似ざる
を尊ぶとぞ
写楽 東洲斎
是又哥舞妓役者の似顔をうつせしが あまり真を画かゝんとて あらぬさまにかきなせし故
長く世に行はれずして 一両年にて止(む)
やげんぼり不動前通り 俗名 金次 隅田川両岸一覧筆者
西川祐信 京都 正徳の頃名人
忰 祐尹 下手
京都に住す 中興 浮世画の祖と云べし 絵本あまたの中も絵本倭比事すぐれたり 名人也 枕絵を
書初る
橘 守国 大坂 後素軒 享保の頃
是又町絵なれども よの常の浮世絵ならず 世に伝る所の絵本通宝志 絵本古事談 謡曲史 写宝袋
等を見て知べし〈「謡曲史」は『謡曲画誌』か〉
同 守国 二代目 天明より
長谷川光信 大坂 享保の頃
是又同断 士農工商〈同断とは「町絵なれども よの常の浮世絵ならず」。「士農工商」は未詳〉
竹原春朝 大坂 天明より寛政〈春朝斎〉
是又山城名所記 大和名所記 伊勢参宮記を出す 上手
田中益信 浮画板行初り 享保の末元文の始(め)
古山師政 両国米沢町 寛延の頃 柏莚似顔上手 其外風俗板行は不出
羽川珍重老漁 近藤助五郎と同時人 享保元文の頃
丹絵 漆絵 享保に初る 三遍摺 紅、草のしる、墨、寛延延享の頃より始る しのぶ摺と云
一枚画春信画 はりま屋新七初(め)て出す
〈紅・草・墨の三遍摺とは紅摺絵のこと。それを「しのぶ摺」と呼んだか。この「一枚絵春信画」とは、彩色の順番からする
と、錦絵を指す。それを初めて出版したのが播磨屋新七だというのである〉
以上 2026/01/27翻刻