Top 『浮世絵師伝』浮世絵文献資料館
た浮世絵師伝 ☆ ゆうきょう 友杏 〔生没年未詳〕 ◯『浮世絵師伝』p203(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝友杏(キヤウ) 【生】 【歿】 【画系】西川風 【作画期】宝暦初 京都の人、岡山氏、宝暦二年版『絵本艶歌仙』六冊あり、又宝暦三年版の『世話詞渡世雀』を描く〟☆ ゆうせつ 友雪 ◯『浮世絵師伝』p203(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝友雪 【生】慶長三年(1598) 【歿】延宝五年(1677)-八十 【画系】狩野風 【作画期】元和~寛文 狩野風の画家なり、海北友松(カイホクユウセウ)の男、名は道暉、通称忠左衛門、友雪は其号、京都の人、初 め父の画法を学び、後ち之を改めて狩野正風に復す、京都清水寺の頼政怪鳥を射る図有名なり、延宝五 年九月三日歿す年八十。 (以上大日本人名辞書より抜萃) 彼の作品に職人尽絵屏風あり、六曲一双にて一枚毎に製作、註文を取るゝ戸外の人等六七人動作して居 る図にて、川越町喜多院所藏の職人絵尽の屏風に比較して遜色なく、一折毎に揮毫されたる職人の種類 は仏具師、弓師、馬具師、筆師、経師製本師、鎧師、縫箔師、糸師、靱師、琴三味線師、刀師、馬具師 等で日常生活の職は少なく、武士、上流階級にて使用する器具の職人多し。此屏風の一枚毎に捺印あり、 長方形の中に海北と黒肉で、また左側の一図には道暉斎図と書き、海北の印の下に鼎形の中へ友雪と捺 印あり、落款は楷書の字体故、壮年の筆なること首肯せらる。浮世絵初期の盛りは慶長-元和-寛永ま で、慶安頃から下火に成る様である。此の落款に拠て、道暉斎を画号と判断するより肩書きとし、海北 を家名、友雪(ユウセツ)を画号と推定することが至当である。(本項、渡辺庄三郎氏執筆)〟☆ ゆうじんさい 友尽斎 ◯『浮世絵師伝』p203(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝友尽斎 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】天和~貞享 日置氏、名は清親、俗称徳右衛門、友尽斎と号す、京都佐女井(醒ヶ井)通和泉町に住し、図案工と染 工とを兼ねたり。『扁額軌範』所載京都祇園社の扁額村山座狂言の図に「天和二年壬辰正月二十一日、 月直〈二字に「△」の添え書き〉 氏清親筆」とあるは、恐らく日置氏の誤なるべし、又貞享五年版『友禅 雛形』の著あり、其の序文に由れば、彼は友禅に学びて此の雛形を著はせしものなり。友禅染は友禅と 彼と協力して大成せしものゝ如し〟☆ ゆうぜん 友禅 ◯『浮世絵師伝』p203(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝友禅 【生】承応三年(1654) 【歿】元文元年(1736)六月-八十三 【画系】 【作画期】元禄~宝永 宮崎氏、一に日置氏、加賀金沢の人なるが、加賀染の法を習得して京都に赴き、東山智恩院門前に住し、 衣裳図案を画くの傍ら扇工を兼ねたり、世に伝ふる所の友禅染なるものは、実に彼によつて大成せられ しなりと云ふ。其の著『余情雛形』(元禄五年版)の外に、挿画本『鵬羽掻』(元禄四年版)・『和歌 物あらかひ』(元禄五年版)・『梶の葉』(宝永四年版)等あり。晩年に故郷金沢に帰り、彼の地にて 歿せり。彼の生歿地及び歿年に就ては、近年に至り世人彼の偉績を慕ひて調査研究を進め、金沢卯辰山 麓上小川町龍国寺に過去帳、墓碑等を発見し、或は俳書『花の屑』に拠て、歿時も稍や明瞭と成りしも、 文学博士笹川臨風氏は全然其等の説を否定されたり。彼の伝記には尚ほ研究を要すべき点多し。たゞ、 天和二年版の『好色一代男』には既に友禅扇の流行せる旨記載あり、貞享五年版の『友禅雛形』は友尽 斎の画なるも、(友尽斎の頃參照)友禅に学びて此雛形を作りし事、序文に記せるを見ても、天和・貞 享年間には既に社会に認められ、且つ相当の年輩なりし事を想像するに難からず〟☆ ゆうしょう 有昌 ◯『浮世絵師伝』p204(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝有昌 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】 諸書に此の画名を伝へたれども、恐らくは昌有の誤りならむ、昌有は勝川春山の改号なり。(春山の項 参照)〟☆ 有年 ゆうねん ◯『浮世絵師伝』p204(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝有年 【生】 【歿】 【画系】二代玄々堂門人 【作画期】慶応~明治 京都の銅版画家、石田氏、両麦亭と号す、主として京都名所の図を作れり、居所東洞院四條下ル〟☆ ゆうば 遊馬 ◯『浮世絵師伝』p204(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝遊馬 【生】 【歿】 【画系】北馬門人 【作画期】文政 摺物あり〟☆ ゆきのぶ 幸信 ◯『浮世絵師伝』p204(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝幸信 【生】 【歿】 【画系】珍重門人 【作画期】寛保 落款に「三同幸信画」とせる墨摺一枚絵あり、羽川珍重の法号を三同宜観居士といへば、恐らくは珍重 の門人なるべし〟☆ ゆきまち 幸町 ◯『浮世絵師伝』p204(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝幸町 二代・歌麿の初期の戯作名〟☆ ゆきもと 幸元 ◯『浮世絵師伝』p204(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝幸元 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】宝暦 石川氏、一筆斎文調の師なりといふ。宝暦七八年頃の出版とおぼしき『絵本武者手綱』(石川豊信画) の巻末附録の書目中に、『画本鏡の華』石川幸元画、全二冊とあり、或は石川豊信と何等かの関係あり し者にはあらざる歟〟☆ ゆきのぶ 雪信 (柳川信貞参照) ◯『浮世絵師伝』p204(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝雪信 柳川信貞の前名。(信貞の項にあり)〟☆ ゆきまろ 雪麿 ◯『浮世絵師伝』p204(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝雪麿 【生】寛政九年(1797) 【歿】安政三年(1856)十二月五日-六十 【画系】月麿門人 【作画期】文化末~天保 田中氏、名は親敬、字は虞徳、俗称善三郎、墨川亭と号す、高田藩士にして、天保年間には江戸池之端 武縁坂に住しき。初め喜多川月麿に画を学びて、文化の末頃より錦絵美人画の作あり、然れども幾ばく もなく版画の作を廃し、或は肉筆画、若しくは雑書の挿画などに筆を揮ひ、凡そ天保半ば頃まで、若干 の作例を示したり。其の外、狂歌を眞顔に学び、戯作は種彦の影響を受け、文政天保年間に亘りて草双 紙数種を発表せり。墓所は白金台町妙円寺なりと云ふ。因みに彼と喜多川行麿とは全然別人なり〟☆ ゆきまろ 行麿 ◯『浮世絵師伝』p205(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝行麿 【生】 【歿】 【画系】歌麿門人 【作画期】天明 喜多川を称す、天明五年より同八年まで、黄表紙数種に挿画せり〟☆ ゆみしょう 由美章 ◯『浮世絵師伝』p205(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝由美章(ユミシヤウ) 【生】 【歿】 【画系】勝川派か 【作画期】天明~寛政 美人画其他、少数の作品あり、また天明二年の絵暦あり、画風勝川派に近し〟