Top 『浮世絵師伝』浮世絵文献資料館
す浮世絵師伝 ☆ すいいんどう 水引堂 ◯『浮世絵師伝』p104(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝水引堂 【生】 【歿】 【画系】春燈斎門人か 【作画期】安政頃 京都の銅版画家、俗称制輔、初め蛸室(たこのや、或は蛸薬師室町の略か)といひ、後ち水引堂と改め、 また水引軒とも号せり、作る所、名所絵の外雑図あり〟 ☆ すいおう 水鷗 ◯『浮世絵師伝』p104(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝水鷗 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】元禄~享保 田村氏、卯観子水鴎と落款せる肉筆人物画あり、印文に「千山」とあるは俳号なるべし、画風菱川派に 似たれども、衣裳の線を能く単純化し、独特の表現を試みたる点は、凡手に非ざることを証するに足れ り〟☆ すいろちょう 水廬朝 (廬朝参照) ◯『浮世絵師伝』p105(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝水廬朝 廬朝の項にあり〟☆ すいほういつじん 酔放逸人 ◯『浮世絵師伝』p105(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝酔放逸人 重政及び春亭の別号〟☆ すいふてい 翠釜亭 ◯『浮世絵師伝』p105(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝翠釜亭 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】天明 大阪の人、天明二年版の『翠釜亭戯画譜』と題する役者(京阪地方の)似顔絵本を画けり、画風飄逸に して、しかも各俳優の舞台上に於ける表情の微を穿ちたるなど、非凡の天才たりしを察するに足れり、 憾むらくは彼が伝記に就て未だ何等の資料を得る所無し〟☆ すううん 嵩雲 ◯『浮世絵師伝』p105(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝嵩雲 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】寛政 高氏、名は清、烏有斎と号す、寛政七年版『狂歌江戸紫』に挿画あり〟☆ すうえい 嵩英 ◯『浮世絵師伝』p105(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝嵩英 二代常嵺の初名〟☆ すうがく 嵩岳 ◯『浮世絵師伝』p105(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝嵩岳 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】文政 和田氏、白盛楼と号す〟☆ すうがく 嵩岳 ◯『浮世絵師伝』p105(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝嵩岳 【生】 【歿】 【画系】田崎草雲門人 【作画期】安政 中山氏、名は浪江、嵩岳堂と号し、浅草伝法院地内に住す。安政六年版の錦絵「生写四十八鷹」は、彼 の落款を用ゐたれども、実は田崎草雲の筆なる由、『浮世絵志』第十一・第十二両号に、遠堂主人の考 証あり〟☆ すうがく 嵩嶽 ◯『浮世絵師伝』p105(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝嵩嶽 【生】 【歿】 【画系】初代嵩谷の長男 【作画期】安永~天明 名は良恭、早世す〟☆ すうきょく 嵩旭 ◯『浮世絵師伝』p105(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝嵩旭 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】文政 中根氏、嵩旭斎・翠翁等の号あり〟☆ すうかく 嵩鶴 ◯『浮世絵師伝』p105(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝嵩鶴 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】文化 桜井氏、名は素絢、字は礼卿、清均舎と号す。初め狩野風を学びしが、後に一蝶風を慕へり〟☆ すうけい 嵩渓 ◯『浮世絵師伝』p105(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝嵩渓 【生】宝暦十年 (1760) 【歿】文化十四年(1817)四月七日-五十八 【画系】初代嵩谷の次男 【作画期】寛政~文化 高氏、名は信宜、字は可復、玄々斎・煙龍舎・睡雲子等の号あり〟☆ すうけい 嵩卿 ◯『浮世絵師伝』p106(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝嵩卿 【生】 【歿】天保十四年十二月廿一日-八十余 【画系】初代嵩谷門人 【作画期】寛政~天保 嵩月の子、高氏、名は重(或は信とす)実、後に友松庵一珪と号す。本所に住めり〟☆ すうげつ 嵩月 ◯『浮世絵師伝』p106(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝嵩月 【生】宝暦五年(1755) 【歿】天保元年(1830)十一月廿日-七十六 【画系】初代嵩谷門人 【作画期】寛政~文政 高氏、名は常雄、字は子行、簑虫庵・景訥等の号あり。久松町に住めり〟☆ すうこく 嵩谷 ◯『浮世絵師伝』p106(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝嵩谷 【生】享保十五年(1730) 【歿】文化元年(1804)八月廿三日-七十五 【画系】嵩之門人 【作画期】明和~寛政 本姓本国、高久氏、後に修して高といふ、名は一雄、字は子盈、楽只斎・翠雲堂・屠龍翁等の号あり。 曾て浅草観音堂に源三位頼政鵺退治の図(扁額)を納む。墓は浅草西福寺中智光院にあり〟☆ すうこく 嵩谷 二代 ◯『浮世絵師伝』p106(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝嵩谷 二代 【生】寛政十年(1798) 【歿】明治八年(1875)三月廿七日-七十八 【画系】嵩渓の男 【作画期】文政~慶応 高氏、名は丈雄、字は可親、初名嵩嵺、一桐斎・致雲堂・隣庵・物々斎等の号あり、初め江戸に居りし が後ち大阪錫屋町に住し、其の地にて歿す〟☆ すうし 嵩之 ◯『浮世絵師伝』p106(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝嵩之 【生】宝永四年(1707) 【歿】安永元年(1772)七月三日-六十六 【画系】初代一蝶門人 【作画期】元文~明和 佐脇氏、名は道賢、字は子岳、俗称勘(或は甚とす)蔵、初め英一水・嵩椿等の号を用ゐ、後に果々観 ・東窓翁・一翠斎・中岳斎・中岳堂・観中堂東宿・幽篁斎・幽篁亭等数号あり。浅草誓願寺中称名院に 葬る〟☆ すうしょう 嵩松 ◯『浮世絵師伝』p106(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝嵩松 【生】延享元年(1744) 【歿】文化八年(1811)六月廿八日-六十八 【画系】初代嵩谷門人 【作画期】寛政~文化 高氏を称す、名は正雄、通称大野屋喜三郎、後ち平七と改む、武蔵松山の人にして、江戸に来り京橋北 紺屋町に湯屋を開業す、晩年浅草花川戸に移れり、国学及び狂歌を以て聞ゆ、狂歌名は元ノ木阿弥とい ひ落栗庵と号す、後年剃髪して珠阿弥といへり。深川万年町正覚寺に葬る、一説に、歿時の年八十一と 云へり。〟☆ すうしん 嵩深 ◯『浮世絵師伝』p106(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝嵩深 英一笑の初名〟☆ すうじゅ 嵩樹 ◯『浮世絵師伝』p106(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝嵩樹 【生】 【歿】 【画系】初代嵩谷門人 【作画期】文化 高氏、名は尚康〟☆ すうせつ 嵩雪 ◯『浮世絵師伝』p106(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝嵩雪 【生】元文元年(1736) 【歿】文化元年(1804)十一月廿二日-六十九 【画系】嵩之の男 【作画期】安永~享和 佐脇氏、名は貫多、俗称倉治、仰止楼・中岳斎・中岳堂・翠雲堂等の号あり。父と同じく浅草誓願寺中 称名院に葬る〟☆ すうとう 嵩涛 ◯『浮世絵師伝』p107(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝嵩涛 【生】天明元年 【歿】嘉永七年正月廿七日-七十四 【画系】初代嵩谷門人か 【作画期】文化~嘉永 奥田氏、本姓松下氏、俗称虎之助、後ち賀久輔と改む、一蝶の画風を慕ひて、自ら英一翠と号せり、又 別に拳々斎・虎風堂・画賛人等の号あり、狂歌を朱樂菅江に学び、初め狂名を時雨庵空言といひ、後ち 絵馬屋額輔と称す。 赤坂一つ木の商家に生れしが、後年奥田氏を冒して、浅草米廩書替役人の株を購ひ、浅草新堀端に住せ り。墓は芝伊皿子証城寺にあり〟☆ すうちん 嵩椿 (高嵩之参照) ◯『浮世絵師伝』p107(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝嵩椿 嵩之の初名〟☆ すうりょう 嵩嵺 (高嵩谷二代参照) ◯『浮世絵師伝』p107(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝嵩嵺 二代嵩谷の初名〟☆ すうりょう 嵩嵺 二代 ◯『浮世絵師伝』p107(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝嵩嵺(リヤウ)二代 【生】天保元年(1830) 【歿】明治十七年(1884)十一月十五日-五十五 【画系】二代嵩谷の男 【作画期】嘉永~明治 高氏、一に嵩綾、初め嵩英といふ、英林散人と号せり〟☆ すうりん 嵩林 (英一蜂五代) ◯『浮世絵師伝』p107(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝嵩林 【生】 【歿】 【画系】初代嵩谷門人 【作画期】寛政 後五代英一蜂となる〟☆ すうりん 嵩琳 (英一蜂六代) ◯『浮世絵師伝』p107(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝嵩琳 【生】 【歿】 【画系】初代嵩谷門人 【作画期】文化 後六代英一蜂となる。此家四代にて断絶せりと云〟☆ すうし 雛獅 (歌川国貞・豊国三代参照) ◯『浮世絵師伝』p107(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝雛獅 三代豊国の別号〟☆ すけただ 祐尹 ◯『浮世絵師伝』p107(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝祐尹(タダ) 【生】 【歿】祐信の子 【画系】 【作画期】寛延~明和 西川氏、俗称祐蔵、得祐斎・文生堂と号す、画を父に学び、数多の絵本を描きたり。一説に宝暦十二年 八月二十五目、五十七歳にして歿すと云へれど、『絵本玉椿』の序末に「明和九年正月吉日西川祐尹」 とあれば、其の頃まで生存せしものか、猶考ふべし。墓所、京都三條大宮、妙泉寺〟☆ すけため 祐為 ◯『浮世絵師伝』p107(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝祐爲 【生】元文四年(1739) 【歿】享和元年(1801)六月-六十三 【画系】祐信門人 【作画期】宝暦~寛政 梨本氏、京都下鴨の神官、正四位下に叙し上総介に任ぜらる。歌をよくし画に巧みなり、寛政九年版 『職人尽発句合』は彼が筆に係る〟☆ すけのぶ 祐信 ◯『浮世絵師伝』p107(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝祐信 【生】寛文十一年(1671) 【歿】宝暦元年(1751)九月十一日-八十一 【画系】狩野永納門人、後ち土佐光祐に学ぶ 【作画期】宝永~寛延 京都の人、藤原姓、西川氏、俗称祐助、或は孫右衛門、後ち右京と改む、自得斎・自得叟・文華堂等の 号あり、又自から大和絵師と称す、京都柳馬場通綾小路下ル町に居住せり、其が生年は、京都祇園社所 蔵釣狐之図(扁額軌範所載)の額縁に「延享甲子年五月西川右京祐信行年七十四歳筆」とあるを以て立 証せらる。彼は夙に浮世絵に志しゝものならむが、其の作品は、宝永年間に於ける浮世草子中の挿画な どに始まりしが如し、併し其等は何れも彼の署名を有せず、たゞ画風を以て之れを推定し得るに過ぎざ るものなり、然るに、正徳の末若くは享保初年頃よりして、其の作品中数多の秘戯画に至るまで、概ね 「大和絵師西川祐信」の著名を施すことゝなりしかば、彼は益々社会的に其の名を知られしものならむ と思はる。当時江戸に於ては、菱川派漸く凋落の色を呈しゝも、清信及び政信の如き名手の出づるあり て、浮世絵の中心勢力は、逐次江戸に発達せむとする時に際し、それと対峙して、よく京阪の浮世絵界 を代表せしのみならず、却つて其の影響を江戸の斯界に及ぼす所尠からざりしは、実に彼祐信の絶大な る功績と謂はざるを得ず、蓋し、彼の美人画は固より婉柔優雅の趣きを有し、筆致円熟して構図の調和 亦甚だ巧妙なり、殊に衣裳図案の変化多き点に至りては、恐らく彼の右に出づる者無しと断言するも失 当にはあらざるべし、又『絵本倭比事』(寛保二年版)に、古来支那風の画を尊び我が大和絵を卑むる の弊に陥る者の多きを慨歎し、「此國にして此国の風俗を見識せば豈楽しからざらんや、嘆息せずんば 有べからず、予専ら和画に心を入て画くも此意にして強て偏るにはあらず」と云へるを見ても、彼が所 懐の一端を窺ふに足らむか。 いま彼の絵本中、著名なるものを擧ぐれば左の如し。 ◯西川ひな形 五册(享保三年版) ◯百人女郎品定 二册(同八年版)(口絵第三図参照) ◯絵本玉かづら 三册(同十一年版) ◯絵本答話鑑 三册(同十四年版) ◯絵本常盤草 三册(同十五年版) ◯絵本筑波山 三册(同十五年版) ◯絵本答話鑑後編 三册(同十六年版) ◯絵本美奈能川 三册(同十八年版) ◯絵本蔦かづら 三册(同二十一年版) ◯絵本有磯海 三册(同二十一年版) ◯絵本徒然草 三册(元文三年版) ◯絵本浅香山 一册(同四年版) ◯絵本千代見草 三册(同五年版) ◯絵本倭比事 十册(寛保二年版) ◯絵本和泉川 三册(同) ◯絵本姫小松 三册(同) ◯絵本女貞木 三册(延享二年版) ◯絵本若草山 三册(同三年版) ◯絵本龜尾山 三册(同四年版) ◯絵本忍婦草 三册(寛延三年版) 其の他尚数多あり。 彼の画統を継承せし者は、嫡男祐尹を始めとして、門人或は準門人と認むべきもの二三にして止まらず、 而して、其の画風は、彼の歿後に於ても亦、多く幾多の人々によりて反復踏襲せられたりき。墓所、京 都三條通り大宮西、妙泉寺(浄土宗)〟☆ すけはる 祐春 ◯『浮世絵師伝』p109(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝祐春 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】嘉永~慶応 京都の人、西川を称す、紀氏、安政四年版『都の賑』其他にも挿画あり〟☆ すけはる 祐春 ◯『浮世絵師伝』p109(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝祐春 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】明和 松井氏、春信風の錦絵あり〟☆ すけひろ 祐寛 ◯『浮世絵師伝』p109(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝祐寛 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】享和 藤原氏、栄之風の肉筆美人画あり〟☆ すけよ 祐代 ◯『浮世絵師伝』p109(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝祐代 【生】 【歿】 【画系】祐信門人 【作画期】宝暦~天明 京都の人、西川氏、花月亭と号す、画風祐信の特徴を帯びたり、而して、其名の女性的なると、作品の 年代より画く所『絵本初音森』(宝暦十一年版)・『栄本千代鏡』(天明七年版)其の他尚ほ数種あり。 推想すれば、或は祐信の女なりしやうにも思はるれど如何にや〟☆ すえさと 季郷 ◯『浮世絵師伝』p109(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝季郷 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】文政~天保 大阪の人、美人画あり〟