Top 『浮世絵師伝』浮世絵文献資料館
ろ浮世絵師伝 ☆ ろけい 蘆渓 ◯『浮世絵師伝』p223(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝蘆渓 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】享和 大阪の人、浅山氏、蘆洲の父なりとする説あれど如何〟☆ ろすい 蘆水 ◯『浮世絵師伝』p223(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝蘆水 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】天明~文政 鶴岡氏、翠松斎と号す、下谷金杉に住し文政の末頃まで存命せしと云ふ。天明元年版の『両岸一覧』は 彼の画く所にして、隅田川の東西両岸を乾坤二巻に収む、乾は永代橋より千住までの東岸を写し、坤は 西岸の上流より高輪海岸に至るまでを画く、乾巻には題字二枚と画十枚、坤巻には画十八枚と跋文二枚 をつぐ、題字跋文共に東江源鱗の撰併せて書する所たり、而して全巻の彫刻は関根柯影(カエイ)の刀に 成れり、則ち黒線のみを版刻して、其の上に数色の筆彩を加へたるものなり、用紙は丈長奉書を半裁し て横長につなぐ、蓋し、隅田川両岸一覧の版画としてはこれを以て嚆矢とすべく、且つ浮世絵派の表現 とは異なれども、大作を写生に基きて特色を現はしたる事は偉とすべし〟☆ ろよう 蘆陽 ◯『浮世絵師伝』p223(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝蘆陽 【生】 【歿】 【画系】蘆国門人 【作画期】文化末 大阪の人、役者絵あり〟☆ ろちょう 廬朝 ◯『浮世絵師伝』p223(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝廬朝 【生】寛延元年(1748) 【歿】 【画系】北尾重政門人か 【作画期】寛政~文政 水野氏、清線館・攀鱗斎と号す、肉筆美人画に「水廬朝」と落款せるは、姓氏の一字を略せしなり。又 肉筆「太夫と禿の図」には「文化乙亥(十二年)季秋、応需廬朝戯画」とし、同じく「桜下芸妓の図」 には「文政己丑(十二年)時風、八十ニ叟長丘斎(印文蘆朝)」とせり。此の年齢を逆算すれば、彼の 出生は寛延元年にして、寛攻五年版の『誹諧世吉の物競』(三冊)を画きしは、彼が四十六歳の時に当 れり。同八年版の『絵本多能之美種』(三冊)も亦彼の画く所にして、中に自作の句あり、按ずるに谷 素外に就て俳諧を学びしものならむ。彼は幕府旗下の士にして、向島に住し(佐野純氏の説)、別に烏 巷斎路眺とも号しき(藤懸静他氏著『浮世絵』所載)。肉筆の美人画は、すべて細密に画き、頗る彩色 に意を注ぎたるものゝ如し。 因みに、廬朝の「廬」は一に「蘆」の字をも用ゐしこと、前記落款の一例に依りても明かなり〟☆ ろこう 露好 ◯『浮世絵師伝』p224(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝露好 【生】 【歿】 【画系】松好斎門人か 【作画期】文化 大阪の人、役者絵あり〟