Top 『浮世絵師伝』浮世絵文献資料館
り浮世絵師伝 ☆ りゅううんさい 龍雲斎 ◯『浮世絵師伝』p219(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝龍雲斎 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】寛政 藤原姓、遠山氏、名は政武、江戸中洲に住す、美人画の錦絵及び絵暦あり〟☆ りゅうえん 龍淵 ◯『浮世絵師伝』p219(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝龍淵 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】天明 肉筆、蚊帳より出でむとする娘の図あり、落款に「法橋龍淵画」とせり〟☆ りゅうざん 龍山 ◯『浮世絵師伝』p219(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝龍山 【生】 【歿】 【画系】初代玄々堂八男 【作画期】明治初 松本氏、また松田氏、俗称民次郎、明治初期に三都名所図其他を製作せり、またそれ以前既に十一歳の 時に「日本三景其一奥州松島風景」の作あり〟☆ りゅうし 龍子 ◯『浮世絵師伝』p219(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝龍子 【生】 【歿】 【画系】歌川国直門人 【作画期】文化 粕壁宿の産なり、歌川を称し、竹斎と号す、美人画・役者絵・草双紙の挿画などあり。文化五六年頃の 作とおぼしき「青楼美人合」と題する錦絵には「りうし筆」とし、文化十二年版の草双紙『【お染久松】 天の岩戸初日門松』には「竹斎龍子画」とす〟☆ りゅうすい 龍水 ◯『浮世絵師伝』p220(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝龍水 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】宝暦~明和 勝間氏、名は定安、其の居所和泉町にありしを以て新泉と号す、父の後を承けて町役を勤め、傍ら幼童 に書法を指南するを業とす、書は池永道雲に学び、篆刻をも能くし又俳諧に名あり、画系詳かならざれ ども、彼が挿画せる宝暦十二年版の『海の幸』二冊を見るに、巧みに木版の長所を利用し、且つ雲母な どを加へて彩色摺とせるは、其の技巧上に独創の才ありしを知るべし〟☆ りゅうじょ 龍女 ◯『浮世絵師伝』p220(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝龍女 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】享保 江戸下谷長者町御旗同心山崎文左衛門の娘、天性画を好み、六七歳の頃より浮世絵を描くといふ、世に 「おりう絵」と称す、肉筆美人画多し、十四歳の筆にして既に相当見るべき作品あり、初め東叡山の麓 に住し、後ち増上寺門前に移る〟☆ りゅうげつどう 柳月堂 ◯『浮世絵師伝』p220(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝柳月堂 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】享保~元文 肉筆美人画あり、また「柳月子」と落款せるも同一人なるべし〟☆ りゅうこう 柳郊 ◯『浮世絵師伝』p220(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝柳郊 【生】 【歿】 【画系】北尾重政門人 【作画期】天明~享和 北尾龍向斎といひ、又、式上亭柳郊と号す、画風師(重政)に酷似せり、天明七年版の黄表紙『【面向 不背】御年玉』の自序に「皆樣御存之万象亭ガ戯作ニシテ伝記ノ画工ハ北尾之換玉文字ノ筆者ハ竹賀和 尚」云々とあり、此の北尾之換玉とは、彼が重政の代筆者として著名なりしか、或は重政と紛れ易き事 を意味せしものならむ〟☆ りゅうこく 柳谷 ◯『浮世絵師伝』p220(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝柳谷 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】享和~文化 菱川を称し、春暁斎・丹青斎と号す、美人画あり、また草双紙の挿画を描く。『浮世絵師系伝』に「春 章の門人にて初め勝川春喬なり後に柳谷と改めしなり樵者と号す鳥越侯の藩中たり草双紙合巻を書きし なり錦画も有り文化の頃の人」とあれど、両者果して同一人なりや否や、尚ほ考ふべし〟☆ りゅうそん 柳村 ◯『浮世絵師伝』p220(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝柳村 【生】 【歿】 【画系】五姓田芳柳門人か 【作画期】明治 小倉氏、本名は明かならず、明治十三年・十四年に出版されし東京名所絵の届出でには「画工築地小田 原町二丁目十四番地、小倉柳村。出版人同番地新井八蔵」と刷込あり。此の頃は、清親の風景画を錦絵 版元にて売出し中なれば、それに刺戟されて試みたるものなるべし。洋画と日本画及び南画などを融和 して画きしもの故、頗る興味をひく所あり。彼の風景画は少数なれども、大略左の如し。 ◯日本橋夜景 ◯湯島の景 ◯向島八百松楼之景 ◯浅草観音夜景 ◯愛宕山の景 以上各図の輪廓は金又は銀にて刷り込み、後に淡緑に替へたるものあり、外に水道橋之月夜、品川之月 夜、隅田川畔(釣竿持つ人)等あり〟☆ りゅうこうさい 流光斎 ◯『浮世絵師伝』p221(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝流光斎 【生】 【歿】文化六年(1809)? 【画系】関月門人 【作画期】安永~文化 多賀氏、名は如圭、俗称慈平、別号流光斎を以て著名なり、大阪北堀江四丁目に住し、後ち難波新地京 橋町に移る、また一時住吉に居りしものゝ如く、寛政年間の彼が肉筆画「住吉社頭の景」(小品)に、 流光斎と署名し「慈平」の印を捺し、其が附箋に「住吉多賀如圭」と記せり。彼れは寛政より文化年間 に亘りて、細判の役者絵を画きしが、其の画風一種独特の趣あり、或る部分に就ては、江戸の勝川春好 及び春英などの作品より影響を受けしかと(黒田源次氏の説に拠る)思はるれど、其の表情の描写には 全く彼れ独自の技巧を示したり、彼は、年代上にも技巧上にも、大阪俳優似顏絵師として、頗る重要の 位置を占むる者と謂ふべきか。彼が書物に挿画せしものは、安永六年版『狂歌ならびの岡』に見ゆる一 図を以て最初とす、以下左の如き絵本若しくは絵入本あり。 ◯天明四年版『絵本旦生言語備』 ◯寛政二年版『画本にはたつみ』 ◯同六年版『絵本花あやめ』 ◯同八年版『通者茶話太郎』 ◯同九年版『桐之島台』 ◯同十二年版『【三都戯場】役者百人一衆化粧鏡』 ◯享和三年版『戯場画史』 ◯文化元年版『【三都戯場】草の種』 ◯同六年版『一河の流れ』 右の外に尚ほ未刊本四五種あり、而して、文化六年以後に彼の作品の続刊されざりし事を考ふれば、或 は其の後間もなく他界せしものなるべし。現に、嘉永六年版の或る摺物には、彼を文化年間に歿すと記 せる由聞けり。彼が門人には松好斎半兵衛あり、よく師系を伝へたりき。また多賀子健(朴仙と号す) といひしは、彼が兄なりと『伝奇作書拾遺』に出でたれども、男といふ説正しかるべし。(子健の項参 照)〟☆ りゅうしゅう 流舟 (石川流宣参照) ◯『浮世絵師伝』p221(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝流舟 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】元禄 河未軒と号す、流宣(トモノブ)と同一人なり〟☆ りゅうせん 流宣 (「とものぶ」参照) ◯『浮世絵師伝』p221(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝流宣(トモノブ)〟☆ りゅうほ 立圃 ◯『浮世絵師伝』p221(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝立圃(リウホ) 【生】慶長四年(1599) 【歿】寛文九年(1669)九月三十日-七十一 【画系】狩野探幽及び俵屋宗達門人【作画期】 野々口氏、名は親重、俗称紅屋庄右衛門(或は市兵衛、次郎左衛門とも)、立圃また松翁(一に松斎) と号す、丹波国保津村に生れ、後ち京都に出でて烏丸家の近傍に居を構へ、禁裏御用の雛人形師となり、 傍ら画技に親しみ、書は尊朝親王の流を習ひ、共に堪能の聞えあり、其他、歌を烏丸光広に、俳諧を松 永貞徳に学び、文才亦豊かなりしが如し、素より専門の浮世絵師にはあらざれども、世に雛屋立圃の名 は、其の肉筆画を以て多く知られたり、又版本には『十帖源氏』の挿画あり。墓所、京都要法寺〟☆ りゅうしょう 立祥 (広重二代参照) ◯『浮世絵師伝』p222(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝立祥 二代広重の改名。(其の項参照)〟☆ りゅうしょう 立祥 二代 ◯『浮世絵師伝』p222(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝立祥 二代 【生】 【歿】 【画系】二代広重門人? 【作画期】明治 明治四年版の「【東京】九段坂上招魂社之図」に「二代目立祥画」と落款せり〟☆ りすい 里水 ◯『浮世絵師伝』p222(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝里水 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】宝永 東川堂と号す、画風菱川派、遊女高尾を描ける画幅に「宝永乙酉春、大和絵師里水」の落款あり〟☆ りせき 里席 ◯『浮世絵師伝』p222(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝里席 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】 堀田連山の別号か〟☆ りふう 里風 ◯『浮世絵師伝』p222(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝里風 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】享保 東川堂と号す、懐月堂派、「大和絵師里風堂菅谷図之」と落款せる肉筆美人画あり〟☆ りょうこ 了古 ◯『浮世絵師伝』p222(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝了古 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】元治~明治 叟斎と号す。明治元年版の諷刺画及び明治初期の風俗画錦絵に此の落款あり、画風歌川派に近し、隅田 に住す〟☆ りんしょう 鄰松 ◯『浮世絵師伝』p222(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝鄰松 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】明和~寛政 鈴木氏、俗称源左衛門、狩野栄川門人、浮世絵師に非ず、寛政七年版『四方の巴流』に鄰松六十四歳画 とあり〟